捨てなくてよかった。

 

母が多分30年以上前に、北海道旅行のお土産に、買ってきた、ユーカラ織という手織り紬のバック

というより、お手提げ

 

ブルーの濃淡のとても素敵な民芸品。

普段どう使って良いのか、ずっと母のたんすに、しまわれたまま、はや30余年

 

今回、母の遺品整理のおり、処分してしまおうか悩んだ。断捨離、生前整理、ミニマリスト、シンプリスト、素敵な暮らし

 

しかーし、異邦人となった今、この手提げを見るとわくわくする。

絶対持って歩きたい、きっと楽しい気分をもっと加速してくくれる。

 

 

一方、かつて買ったフェンディのピーカプーは重い

         シャネルのバックは、気が重い(汚さないようにとか、服装にあってるかとか、とかく色々考えてしまう)

 

異邦人は、持ち物も、気持ちも軽やかになれる。

 

先天性異邦人のR男は、いつも嬉々として祖母の古着や、下駄をはいたりしている。

シャネルのバック持つより、紬の手提げの方が楽しい

 

ここ2,3日、異邦人とは陰陽の関係にある、実践人になってた、、、、、、

気を抜くと、義務責任、より良く生きようとする実践人魂に、火がついてしまい、異邦人魂が

小さくなってしまう。

 

昨日の晩、鎌倉に夜桜を見に行きました。

 

屋根のごと 一本道の 夜の桜

 

一の鳥居から、まっすぐに、桜が屋根のように重なりあう風景は、幽玄で心が羽のようになりました。

R男とR男嫁と、話しながら歩きながら、62歳になるまで、なぜ一度もここに夜桜を見に来なかったのか

話しました。家から車で20分で来れるのに、実践人魂が強固だった時間、夜桜を見にこようなんて、

考えもしなかった、、、、、、、、

 

やるべきことで、頭がいっぱいだったなあ

 

異邦人とは、日常に美を見つけることだから、

実践人魂が優位になったのに気づいたら、深呼吸して 美を探そう

 

 

異邦人として起きたら、朝部屋の窓を全て開けたくなって、それから浄化の鐘を鳴らした。

 

朝ぶろにゆっくりつかっていたら、鳥のさえずりがもうパワーの塊になって、「春春春」と、告げていた。

異邦人として世界を眺めるのは、美しいものを見つけること。

 

朝ぶろに、急き立てられる 鳥の声

 

という、句が浮かんだ。

連想ゲームのように、人生を旅のように美しい句を詠みながら過ごした、芭蕉は異邦人の師ではないかと、思い浮かんだ。

 

芭蕉の句集を本屋で探した、一日でした。