小さい頃から大人になりたいと思っていた。

でも、「おとな」ってなんだろう。

早く大人になりたいと思っていたのは、大人になったら何でも自分の都合良く思い通りにできると思っていたから。
 
大人はすぐに怒る。少しのことで、誰にも迷惑はかけていないのに、まるでそれが、それを怒ることが、決まり、ルールであるかのように怒る。
でも、自分の失敗は笑ってごまかして、平気で棚にあげる。謝って済ませる。多分、生徒と先生という立場にある二者が相互に怒る(叱る)ということはありえないことで、先生は生徒を怒るのは普通で、生徒は先生の言う事を聞くのが普通。そんなルールの上に成り立つ窮屈で理不尽な搾取がおこるのだ。
それは、小学生まで。学年が上がり、年齢が大人と近づくにつれて「自由」が得られるようになる。そして、大学生になると、大人の都合良く子どもにされたり、大人にされたりする。  


大人は勝手だ。

都合の生き物。


大人は一度の失敗を「いつも」と呼び非難し、褒めることを滅多にしない。


大人は自分の行動の理不尽さに全く気づかない。自分の立場を客観的にみることを怠り、「おとな」になりきれていない。こどもがこどもの振る舞いをしても何ら不具合はない。おとなになりきれていない大人が体ばかり、立場ばかりおとなになったところで、なんのいみもない。子供として受けた理不尽さを、「年齢」のせいにして忘れてしまうのだから。学習をしない人間は、同じことをなにもなかったように繰り返す。人間のすることに意味はない。大人の言うことに意味はない。意味を見出すことなど不可能。彼らはまるで命を食いつぶすみたいに、理不尽を繰り返しているだけだから。こんなことを書いても、大人にいくら腹を立てても仕方がない。


忘れるしかない。


忘れてしまえ。


どうせ忘れてしまう。


忘れて、


同じように、


私だって、


繰り返すだけだ。


意味はない。