お久しぶりです
(めちゃくちゃ久しぶりになっていてビックリ)
いかがお過ごしでしょうか
本日は「お金」についての気付き
のシェアです
突然ですが、私の幼少期の話を
タイトルにもあります
私の「おばあちゃん」このおばあちゃんが
とってもパワフルな人で
私が20歳になる頃に天に還ったのですが
私が小さな頃からそれまでは
誰もおばあちゃんには逆らえない(笑)
花男の道明寺ご存知ですか?
その道明寺のお母さんいますよね?
まさにあれ
(なので私は道明寺のお母さんを見るといつもおばあちゃんを思い出し懐かしくなります笑)
私の実家は、ひいおじいちゃんの代から
自営をしているのですが
ひいおじいちゃんが始めた頃は
もう貧しくて貧しくて
隙間風が家にずっと入ってくるような
絵に描いたようなボロボロの家だった
(と、こちらもつい何ヶ月前かに天に還った
大好きな大好きな大叔母から聞いています
我が家は結構、波瀾万丈な歴史を持っているので
その話もいつかしたいです)
そんなボロボロの家から
私のおばあちゃんは
一代で約1000坪(以上?)の敷地を持つ家へ
発展させたんです
(約…なので正確な数字は知りません
ザザっと私個人的な計算です)
おかげで私はそんな中で
のびのびと育ったわけですが
(私が中学生?か高校の時に当時流行っていたイーストボーイのマフラーをしていたら「そんな肌感触の悪い偽物のマフラーするな!」と言って※いや、イーストボーイさんのマフラーは決して偽物じゃないですよ
後日バーバーリーのマフラーを色違いで何本もくれたり「量より質なんだ!」と言っていつも質の良い物を教えてくれる厳しいけど愛溢れるそんなおばあちゃんでした
)
私自身は逆にだからこそ??
めちゃくちゃお金についての
ブロックを持っています
田舎育ちなので
駄菓子屋さんへ行く時も親からは
「一番お小遣いが少ない子に合わせなさい」や
「お金を持っているだなんて言うのは下品だ」とか
「誰よりも謙虚でいなさい」とか
もう耳にタコ
くらい言われて育ったんですね
今思えばそれは、親からの大きな大きな愛だったのですが
気がついたら、もう誰よりも
「お金は持ったらいけないものなんだ」とか
「血反吐を吐く思いで頑張らないと手に入らないものなんだ」とか
もう本当に自分でもビックリします
でね、最近そのブロック
もうマジでマジで
手放すぞ〜〜〜〜〜〜〜
と決めたら、ふっと
思い出したことがあって
それがタイトルの本題なのですが
小学校の頃に
「ねー、なんでおばあちゃんはそんなにお金持っているの?」
と聞いたら、おばあちゃんは笑いながら
「ハハハそれはね、実はこの世には金のなる木っていう木があるんだよ
ばあちゃんはそれを持っているの
」
と返答が
当時は意味が分からなかったので
「ええ〜そうなんだ〜すご〜い」
と返しておりましたが
今思えば、おばあちゃんは
それ程軽やかに
「お金は無限」
「巡るもの」
「自分の力でいくらでも生み出せるもの」
というのを
信じて疑っていなかった
今、おばあちゃんのエネルギーと同調すると
「金のなる木というのは=自分の中にあるもの」
という言葉が
実際、おばあちゃんは
アイヌ漁師の網元という
まあまあ裕福な場所から
ボロボロの家に嫁いで
子供と一緒に
自ら命を絶とうとした事も
何度も悔し涙を流しては
「私なら絶対に立ち直せる事ができる!!」
と、自分を信じて
プラス「もうだめだ」と思った時に聞いた
「この先何があろうと絶対にそなたを助ける。
だから前を向いて進め」
という言葉を
(おばあちゃんは老後、今思えばあれは龍神様だったと言っておりました)
※この辺りは昭和の青春ドラマで、私も熱い展開が好きなのでうっかり自分もその中に置いてしまいそうになるのですが
今はもっと軽やかにスルスル〜と叶う時代
を意図してます
ただただ純粋に信じて進んだ
本当、それだけなんですよね
そして、それが魂の喜びだった
実際おばあちゃんはお買い物が大好きだったのですが、私たちにお小遣いをくれる時も何かを買う時も「有難いねぇ」と言って
とても嬉しそうで楽しそうでした
おばあちゃんは本当に純粋に人生を楽しんだなあ
本日はそんなシェアでした
今日も素適な一日を
そして、ハッピーな日々を
愛溢れる日々をお過ごしください
naho
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