独り言です。

 

どなかたかに見ていただこうというものではありません。

日記の代わりにしたためます。

 

有名人でもなんでもなく、ただの普通の中年男です。

 

ただ、半世紀以上生きてきて、今までを振り返ると、

自身の両親も含め、親戚、友人、知人、

たくさんの方が亡くなり、中には年齢の近い人も在り、

年下の方もいました。

 

直近では、母が亡くなり、その少し前に、

母の妹である叔母が亡くなり、

 

驚いたのは、母は亡くなる何年も前から、

病気で入院していましたが、

母より高齢なのに、これと言った病気もしていなかった、

母にとって兄嫁にあたる(私にとっての)伯母が、

なんと、母が亡くなった一時間ほど後に、

 

後を追うように、突然亡くなったのです。

 

 

 

中学生の時、初めて父方の祖父が亡くなりました。

人生で初めての、血の繋がりのある人物の死でした。

 

その後、同じ中学生の時に、面識は無かったものの、

同じ学校に通う、一学年上の方が、病気で亡くなられました。

 

高校一年の時に、受験の時に同じ塾に通っていた友達が、

病気で亡くなりました。

頭も良く、性格も優しく温厚、当時としては珍しかった、

お母様一人の母子家庭でしたが、とても親思い、親孝行で、

彼を悪く言う人など一人もおらず、

皆から愛された男で、私も好きで尊敬していた友人でした。

 

この友人の死は、当時の私に深いショックを与え、

当時は、日々様々な屈託にまみれ、間欠泉のごとく、

様々な疑問が吹き出し、まだ未熟だった精神は、

翻弄され続けました。

 

宗教というものを信じなくなりました。

 

中には、死後の世界は現世より幸福であると説く宗教もありますが、

少なくとも、その時生きていた自分は、死ぬことが幸福であると考えることはできず、

世の中には、勧善懲悪のような考え方が少なからず在って、

悪い行いをしたものは、必ず報いを受ける、ろくな死に方をしない、

などと言われていましたが、

では、良い行いをしたものが、必ず幸福な人生を送り、長寿を全うできるのか?

 

実社会はそんなに寓話的ではありません。

 

当時の私の未熟な心では、そのようなロジックで友人の死を受け入れることは

できませんでした。

 

その後も、同じ高校で、麻雀やバイクなどで遊んだ友人の事故死、

ちょっと悪い仲間だった、後輩の事故死、

姉の大学の友人で、私も紹介してもらって一緒に音楽活動をした人も、

事故で亡くなり、姉はその事故で数ヶ月に渡り生死の境を彷徨い、

命を取り留めたものの、身体には重篤な障害を残りました。

 

 

三十代で父を亡くし、四十代では、後輩が亡くなりました。

 

 

その後も、親戚、面識の在る方、様々な方の訃報に接しました。

 

 

嗚呼、人の命のなんと儚いことか。

 

 

人生を振り返り、亡くなった方々を思い起こす時、

そのような思いが、心の底に去来します。

 

 

そして、この歳になって、

子供の頃、青春時代の憧れ、ヒーローだった方々も、

次々と鬼籍に入られていきます。

 

 

自分があとどれだけ生きるのかはまったくわからないけれど、

もう、ゆるやかに死へ向かっていく途上なのだと、

心が準備を始めています。