かつて長寿県と呼ばれた地域を講演で訪れたことがある

気高き連山を遠景に望み、田畑がその山裾まで広がっている

高齢者がはつらつと農作業にいそしむ姿、

を期待していたのだが、お年寄りがいない!?

長寿県であるにもかかわらず、沿道にはたくさんの民家農家があるにもかかわらず

働くお年寄りの姿を見かけないのである。

ふと山の中腹にピンク色のラブホテルの様な建物がそこここにあることに気が付いた

送迎をしてくれた現地の方に聞いてみると

「あれは老人ホームです。この県は福祉が充実していますから」

 

子供たちが都会に巣立ち、伴侶に先立たれると

田舎屋は一人暮らしには広すぎてすきま風が身に染みる

それよりはコンクリート製の老人ホームで

狭いながらも空調完備の一部屋を与えられて

3食健康に配慮した食事付き、優しいヘルパーの介護付き

足が弱れば車椅子での送迎、歯が弱ればきざみ食を口まで運んでくれた方が

どんなに快適かと、家族にせかされ移り住んだのである。

 

年老いたものは、社会によって保護される対象となり

福祉の名のもとに、経済的自由と行動の自由を奪われ

介護付きの老人施設に隔離される

果たしてこれが豊かな老後なのか

 

「50歳を過ぎても30代に見える生き方」

これは私が8年前に出版してベストセラーとなった本のタイトルである。

いくつになっても青年のような輝きを持ち続けたいという願望は

老いて醜くなることの恐怖の裏返しでもある。

容色の衰えは性的魅力の減退であり、ひいては社会における指導力の衰え、

人としての存在価値の否定にまで言及されるされることを恐れるのである。

年を取った者は醜く惨めであるという、社会やメディアからの刷り込みが、年を取りたくない、とってはいけないかのように強迫するのである。

 

アンチエイジング、抗加齢、という名の下に

若作りにいそしませるのは医学の本道ではないはずだ

ワインのように成熟した芳香を漂わせながらおしゃれを楽しみ

社会との接点を持ち続け、知的財産として貢献し

常に思索し、常に新たな発見をし、

今日を満足して枕に頭をおくような

そんな年寄りに私はなりたい

 

毎週日曜の朝7時、弁護士丸山和也さんとClubhouseを始めました

皆も参加してね

 

今日はここまで