父は力道山であった(といってももちろん本人ではない。のような人であったといわないと本気で信じ手コメントする人がいるので、そのコメントを消してあげるのが一苦労である)。力道山を知らない人はまずインターネットでよく勉強をするか、アマゾンドットコムで力道山の試合のビデオを見るか、私のような年配のすてきなおじさまと隠れ家のような和食屋で日本酒を差しつ差されつしながら力道山の魅力について勉強をするか、してからこのコラムを読んで貰いたい。あこがれの人であったからその人の言葉は私の人生に深く刻まれた。あるとき、家族全員でディナーをかこみながら(といってもその日のおかずはイモの煮っ転がしであったが)父が幼い私にこういった、「医学部は楽しいぞ、毎日が祭りのようだった、喰うものはなかったが、たき火をたいてみんなで肩を組んで歌を歌いながらこうやって踊ったものだ」。
父の手振り身振りは滑稽で、家族全員が大笑い。その中で幼いなぐちゃん少年だけが医学部進学の決意を固めたのだった。それから十数年後、現役で父と同じ慈恵医大に入学したなぐちゃんは、千歳烏山のアパートの部屋で、毎日のように友人達と慈恵の寮歌を歌って大騒ぎをした。即刻、追い出されたときに一言つぶやいた。「話が違う・・・」