帰宅後、翌日午後から弟が吐き気…

その翌日受診してこのまま治るかと思ったら深夜からゲーですわ!ピギャー。

でその翌日がわたくしの誕生日!ウェーイ。みんな忘れてたし、どこもいってないしウェーイ。

弟の見守り中、ほぼ何もせず同じ部屋で寝てた。

修行である。

新学期には間に合ってよかった。


もうすぐ学校で読み聞かせしないといけなくて(だれもやってくれないから役員の自分がやることにぴえん)本を借りてきた。

節分になぜ炒り豆を投げるのかという話。


日照りを助けてくれた鬼に娘をさしだすと約束した母がいて、娘は泣く泣く鬼の元にいく。

が、冬になり鬼が酒に酔うのに嫌気がさした娘が春に脱走。

母の家にかくれ、母は追ってきた鬼に炒り豆を投げ、これを埋めて花を咲かせろと指示。

鬼は1年頑張るが炒り豆だから当然発芽せず、翌春母親になきつく。

また炒り豆を投げられ、その1年後また娘をとりもどしにきて豆を投げられ、炒り豆が嫌いになり逃げるようになった、ってのが節分の豆まきの由来だとか。


鬼の損した感…

冬の農閑期に飲酒し暴れた男がモチーフなのかも。

にしても、冬までは働いてたぽいし、娘脱走後1年炒り豆栽培に挑む根気もあるし、2年ごしに娘の戻りをこうほど娘のこと好きだし、つまり悪い鬼でもなさそう。

新たな相手と幸せにくらしてほしい。

食わず女房(いじわる姑の嫁ディスりを元にしたと勝手におもってる)も忘れられない。


さて、地震から日も経ってきた。

東京から金沢のはがきはけっこうかかったぽい。

ちなみに帰省荷物の金沢から東京の宅急便は翌日に届いた。

弟は冬休みの出来事として発表したらしい。

姉は話題をさけてるらしい。

先生はあまり触れない方向らしかった。

一応担任には連絡しておいた。

どこもいかない人もいるんだし、思い出発表とか日記とか撤廃してほしい。


そんなわけで、ひとつまたオバさんですわ。


読み聞かせでちゃんと読んだら、鬼は1年にわたる炒り豆栽培を2クールはやっているので、加筆修正した。



元旦の夜はかなり揺れた。

夜じゅうヘリの音と、消防車の灯り。

なのに翌日からスーパーやドラッグストアが営業してくれていた。

子といとこと義母でドラッグストアにいってみたら、柱まわりの天井がかなり割れていたり床が水浸しだったり化粧品コーナーはバラバラで入れなくなってたり。

その状態で営業してくれてありがたかった。

しかもその日の午後新幹線が再開。

どれだけの人が徹夜で作業してくれたのか。


夜の飛行機事故が救援物資の輸送のためだと知るといたたまれなくなった。

翌日、新幹線は少しの遅れだけで動いてくれて無事帰れた。

東京は完全に普通で、安心と嫉妬と罪悪感で複雑だった。

道一つはさんで断水や停電の人がいたり、もっとひどい人がたくさんいたり、恵まれていた自分たちだけイチヌケで安全なところに戻った、的な罪悪感…

そしてにわかで超ライトな地震体験なのにグジュグジュしてることへの罪悪感など。

子は子で別の感じ方してるのだろう。

地震当日、泣き叫ぶよりフリーズしていたのが忘れられない。

というか全体的に忘れられないお正月だった。

帰省先で元旦にイオンにいたら、会計後くらいに地面の振動を感じた。揺れてる?となった。

しばしあとにみんなの携帯が例の地震のアラート音をだし、さらにガタガタ揺れだした。

長いし大きい。

近くの天井から水漏れ?スプリンクラー?

買い物かごをかぶる人もいたり。

お店の人は意外に何も声かけせず、少ししてから外に出るようにいわれる。

化粧品コーナーがバラバラに落ちてたり、出口の天井パネルが崩落してたり。


駐車場から出る列もなかなかだった。

家についても余震が続くから子らといとこは玄関待機。

しばしして家の中に入る。

モノが落ちたりしてたが、電気ガスは使えて暖もとれた。幸運だった。

水はやや色がついてるかもで、買いにいった。

コンビニは行列なので自販機。

余震は続くし子らはかなり怯えていたが、マンガとかタブレットに入れてた映画でしのげた。

食事したらさらにほぐれた。

娯楽と食事は大切だ。


お風呂は怖いからパスしたが、なぜかカラオケ大会した。

娯楽は大切だ。

パワー切れで寝てしまう小学生もいたりして、やはりメンタル疲れはすごいのだろう。


明日からどうなる…

そして新幹線の復旧はいつなんだ…