宮崎県北東部に位置する、嫁さんの故郷「日向市(ひゅうがし)」
一昔前は神戸・大阪・広島・川崎港と全国の主要都市をフェリーで結ぶ巨大フェリーターミナルがあり、大きく賑わいを見せた街だったが、現在は貨物船のターミナル港が残るのみで、その時の様子を伺うことは出来ない。
小学生低学年のころ、高速道路もない時代に、都城の片田舎から3時間という長い時間をかけ、おじさんを家族みんなで見送りに行ったことを今でもよく思い出す。
今現在は凄腕刑事になっており、警察何とかと言うテレビ番組で活躍をしていたのをたまたま発見した。
ちなみに、おじさんはドカベンが大好きで、単行本を全巻持っていたが、神奈川へ行くということでその大事な漫画を俺たち兄弟に全部譲ってくれたこともあった。
SL&SR400の撮影から始まった2泊3日の帰省旅も、とうとう最終日となってしまった。
もっと旅を続けたいが、これ以上嫁さんを引っ張りまわすわけも行かず、一旦は福岡へ帰らなければいけない。
そして16日の早朝、お義父さんお義母さん義理の兄さん全員に見送られ、旅の続きへと出発だ。
日向市を脱出した我々は延岡市を経由して佐伯市へと向かい、その途中にあった唄げんか大橋に隣接する「道の駅宇目」に運転の交代と休憩がてら立ち寄った。
そのとき、嫁さんが場内に設置した周辺観光案内で「ある」ものを発見したのだ。
「ととろのバス停?!」
だった。
「まだ行った事がなーい」
そうなので、ととろの森へ行くことに急遽その場で決定した。
そのとき、国道326号を地元のライダーだろうか、軽装のKawasaki Z1が風の様に走り去って行ったのを見逃さなかった。
そのととろのバス停だが、実は「高速道路どこまで走っても1000円♪」の時代に、ひとりで来たことがあるにはあったが、正直「ふぅ~ん」で終わった記憶が残る。
しかしだ。
行きたがってる彼女にそんな事は当然言えなかった(笑)
ととろのバス停に到着すると1台のオートバイが停まっていたが、よく見ると先ほど道の駅で見かけたkawasakiのZ1だった。
話を聞くと、道の駅に隣接するキャンプ場にテントを張っており、後ほどそこへ戻り撤収作業をするそうだ。
「移動手段は?」
と聞くと、関東から自走で来たそうで、これからどこへ行こうかまだ思案中なんだだそうだ。
そこで、鉄馬写真家推薦の高千穂経由阿蘇周辺ツーリングを勧めておいたが、高千穂は初めてで、絶対行くと言っていた。
そう、肝心のバス停だが、どうも記憶とは何かが違う。何かが・・
そう思い、帰ってから携帯に残る過去の写真を引っ張り出してみると、なんと昔は道の反対にあったではないか!?
しかも川の上に・・・
「ととろのバス停」がまさか移転してるとは、思ってもいなかった。
すぐ近くにある「ととろの森」では、佐世保から来たと言うドライバーと会話を交わした。
「自分も若いときSR乗っていたんですよ」
という話から、
「今はZ1に乗っている」と言う話題に変化し、それにZ1乗りの関東ライダーさんも加わり、さらにバイク談議に花が咲いた。
何時までも聞いていたかったが、先もあるので挨拶だけして次の目的地へと向かった。
うっそうとした山間の景色から田んぼなどが広がる広大な景色へ変化すると、そろそろ日本のナイアガラ「原尻の滝」に到着だ。途中、いい感じの石橋やら、沈下橋やらが見えたが、次回の目的地としてインプットだけしてその場は素通りした。
原尻に滝に到着すると、盆休みの為か人が多かったような気がしたが、あまり気になるほどではなかった。
しかし、やはり気になるのは川の「水量」だった。
案の定だったが、最近雨も降っていない為か、正直少し迫力が薄い気がした。
梅雨時期など、水量の多い時期に来るのがいいのかもしれない。
しかし、この日もとにかく午前中から暑かった。
さすがに旅の疲れと気疲れがたまりにたまって、そうそう集中力も長続きせず、カメラを出しての撮影もここが最後で、以後カメラケースから出る事はなかった。
竹田市から涼しい久住高原、瀬の本高原を抜け、あとはいつものファームロード、日田と、宮崎道以外すべてした道と言う、かつて一度もやったことのない初チャレンジ「ケチケチツーリング」も無事に終わりを告げた。
総合計650Km程の旅だったが、今回は目的があっての旅だったので、達成感は馬鹿でかく、かなり充実をしていたツーリングだったように感じた。
旅の途中で出会った人々や、場所、すべてに感謝をし、これで終わりではなく再度必ず撮影に伺う約束を自分自身と交わしこの旅は一旦終了。
次回の旅企画に乞うご期待であります!
THE END