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鉄馬写真家 綿屋兼一 オフィシャルブログ

イベントの撮影や、撮影ネタを書いていきますw

宮崎県北東部に位置する、嫁さんの故郷「日向市(ひゅうがし)」

一昔前は神戸・大阪・広島・川崎港と全国の主要都市をフェリーで結ぶ巨大フェリーターミナルがあり、大きく賑わいを見せた街だったが、現在は貨物船のターミナル港が残るのみで、その時の様子を伺うことは出来ない。

 

小学生低学年のころ、高速道路もない時代に、都城の片田舎から3時間という長い時間をかけ、おじさんを家族みんなで見送りに行ったことを今でもよく思い出す。

今現在は凄腕刑事になっており、警察何とかと言うテレビ番組で活躍をしていたのをたまたま発見した。

ちなみに、おじさんはドカベンが大好きで、単行本を全巻持っていたが、神奈川へ行くということでその大事な漫画を俺たち兄弟に全部譲ってくれたこともあった。

 

 

SL&SR400の撮影から始まった2泊3日の帰省旅も、とうとう最終日となってしまった。

もっと旅を続けたいが、これ以上嫁さんを引っ張りまわすわけも行かず、一旦は福岡へ帰らなければいけない。

そして16日の早朝、お義父さんお義母さん義理の兄さん全員に見送られ、旅の続きへと出発だ。

 

日向市を脱出した我々は延岡市を経由して佐伯市へと向かい、その途中にあった唄げんか大橋に隣接する「道の駅宇目」に運転の交代と休憩がてら立ち寄った。

そのとき、嫁さんが場内に設置した周辺観光案内で「ある」ものを発見したのだ。

「ととろのバス停?!」

だった。

「まだ行った事がなーい」

そうなので、ととろの森へ行くことに急遽その場で決定した。

そのとき、国道326号を地元のライダーだろうか、軽装のKawasaki Z1が風の様に走り去って行ったのを見逃さなかった。

 

そのととろのバス停だが、実は「高速道路どこまで走っても1000円♪」の時代に、ひとりで来たことがあるにはあったが、正直「ふぅ~ん」で終わった記憶が残る。

しかしだ。

行きたがってる彼女にそんな事は当然言えなかった(笑)

 

ととろのバス停に到着すると1台のオートバイが停まっていたが、よく見ると先ほど道の駅で見かけたkawasakiのZ1だった。

話を聞くと、道の駅に隣接するキャンプ場にテントを張っており、後ほどそこへ戻り撤収作業をするそうだ。

「移動手段は?」

と聞くと、関東から自走で来たそうで、これからどこへ行こうかまだ思案中なんだだそうだ。

そこで、鉄馬写真家推薦の高千穂経由阿蘇周辺ツーリングを勧めておいたが、高千穂は初めてで、絶対行くと言っていた。

 

 

そう、肝心のバス停だが、どうも記憶とは何かが違う。何かが・・

そう思い、帰ってから携帯に残る過去の写真を引っ張り出してみると、なんと昔は道の反対にあったではないか!?

しかも川の上に・・・

「ととろのバス停」がまさか移転してるとは、思ってもいなかった。

 

 

すぐ近くにある「ととろの森」では、佐世保から来たと言うドライバーと会話を交わした。

「自分も若いときSR乗っていたんですよ」

という話から、

「今はZ1に乗っている」と言う話題に変化し、それにZ1乗りの関東ライダーさんも加わり、さらにバイク談議に花が咲いた。

何時までも聞いていたかったが、先もあるので挨拶だけして次の目的地へと向かった。

 

 

うっそうとした山間の景色から田んぼなどが広がる広大な景色へ変化すると、そろそろ日本のナイアガラ「原尻の滝」に到着だ。途中、いい感じの石橋やら、沈下橋やらが見えたが、次回の目的地としてインプットだけしてその場は素通りした。

 

原尻に滝に到着すると、盆休みの為か人が多かったような気がしたが、あまり気になるほどではなかった。

しかし、やはり気になるのは川の「水量」だった。

案の定だったが、最近雨も降っていない為か、正直少し迫力が薄い気がした。

梅雨時期など、水量の多い時期に来るのがいいのかもしれない。

 

 

しかし、この日もとにかく午前中から暑かった。

さすがに旅の疲れと気疲れがたまりにたまって、そうそう集中力も長続きせず、カメラを出しての撮影もここが最後で、以後カメラケースから出る事はなかった。

 

竹田市から涼しい久住高原、瀬の本高原を抜け、あとはいつものファームロード、日田と、宮崎道以外すべてした道と言う、かつて一度もやったことのない初チャレンジ「ケチケチツーリング」も無事に終わりを告げた。

 

総合計650Km程の旅だったが、今回は目的があっての旅だったので、達成感は馬鹿でかく、かなり充実をしていたツーリングだったように感じた。

旅の途中で出会った人々や、場所、すべてに感謝をし、これで終わりではなく再度必ず撮影に伺う約束を自分自身と交わしこの旅は一旦終了。

次回の旅企画に乞うご期待であります!

 

THE END

大浴場の上の部屋と言う「悪条件」のなか眠れぬ夜を過ごした朝は、妙にテンションが上がってはいるが、体と脳みそがまったくもって付いてこないでいた。

いろいろ考えてはみるが全く答えが導き出されず、テレビを見ていても一瞬、いやけっこう長い間、身動きが止まってしまう自分に真剣に嫌気がさす。

 

【後日伺った嘉例川駅の朝の風景】

 

早朝6時。

部屋の布団を簡単にたたみあげ、すでに汗ばんだ体で、逃げるように昨晩泊まった宿の玄関をくぐって外に出た。

「これがほんとの妙見の風だよな・・」

部屋にいたときには感じることのできなかった、超心地よい空気を胸いっぱいに大きく吸い込み深呼吸をしてみる。

「はぁ・・」

「これだよこれ~」

 

大自然に自分自身を開放してやった。

 

 

SR400のエンジンは今日も快調そのものである

軒下のためか、ノーマルマフラーから奏でられる以外にも大きな排気音が、周囲に堂々と響き渡った。

「今日も頼むばい!」

「ガコン!」

ニュートラルから1速のギヤにかみ合う音が足元から聞こえた。

慣れないクラッチミートには今も戸惑うが、低速トルクのありがたみを思う存分感謝しながら滑るように走り出した。

KLX250のようにガツン!というか、ウィリーができそうな瞬発力はほぼ感じられないが、低回転でも異常に粘るこのエンジンは秀逸だ。

 

森の空気を全身で堪能した。

 

 

10分ほど走った頃、朝もやの中に「ほわっ」と浮かんだ、沈下橋と言うか柵のない橋を遠くに見つけた。後続の嫁さんにストップの合図を出し、早速撮影開始だ。

SSでもオフでもなんでもいいわけじゃない。

SR400だから似合う景色があるんじゃい!

と言わんばかりに自己主張するSR400に、今一度惚れ直した。

 

20分ほど走ったころ、昔よく原付オートバイで遊びに来ていた霧島市(元姶良郡霧島町)の県道を通ったが、あのころの記憶は曖昧で、よく遊びに行ったH君の家も、I君の家も全くと言って良い程思い出せなかった。

 

探しながら行ったら、あっという間に霧島神宮だ。

 

 

昨夜の出来事は夢だった?と思えるほどに、凛とした空気漂う霧島神宮。

あの暑さも寝不足も全て吹っ飛んでいくほど強烈にやさしい雰囲気の空間だ。

 

駐車場には車中泊のクルマがいるくらいで、境内には1家族以外ほぼ誰もいない。

一緒に出掛ける理由の一つだったのか、子供は怒られることもなく「何とかGO」をしながら、遅れがちに歩いている。

長い階段と参道を歩き、いちばん奥にある本殿で旅の無事を祈った。

 

その後もSR400はスコブル快調で、昔、原付でよく走った御池のワインディングロードを、想像をはるかに超えた走破性でいとも簡単に走り抜けた。

はるか後方では、景色を眺めながらドライビングを楽しむ嫁さんの姿があった。

 

 

緑のトンネルをくぐりながらたどり着いた場所は、何年か前、偶然に発見した木のぬくもりを肌で感じれ取れそうな木造校舎の「御池小学校」だ。

過去、あれだけ何度も近くまで行ってたはずなのに、若気の至りか全く気になることもなく、素通りしていた。

 

しかし、高千穂の峰がよく似合う。

 

 

御池小学校と来れば次は「御池」だ。

中学時代、バイクに乗るまではあほの様に毎週BASS釣りにはまっていたあの頃を思い出す。友達と備え付けのテントで悪いことしながらよくキャンプしたもんだ。

この一帯全てが思い出の地。

 

 

SR400とはしばしお別れし、今度は自分がクルマに乗り換え都城の実家へと向かった。

窓を全開にし、生暖かい空気を車内に目いっぱい循環させ、バイクの疑似体験を味わってみた。

都城市内は、湿度のある暑さだったがバイクで走ると以外にも気持ちよさそうだ。

 

それから死んだ親父の墓参りと、実家への挨拶だけを終わらせ、泊まらずそのまま三股町などを経由してSR400で日南方面へと向かった。

日南海岸までは比較的難易度の低いワインディングで、高速コーナーあり、低速コーナーあり、地元のぶっ飛ばすクルマありで、予想以上に楽しめた。

 

しかし、盆休みの日南海岸は凄いクルマの数だ。

すれ違うバイクの数は極端に少なかったものの、クルマの数が半端なく多い。

鵜戸神宮へも寄ってみたが、工事片側交互通行の為、信号で待っているとみるみる汗が噴き出した。

話を聞けば、前日まで完全通行止めだったらしく、盆休みに合わせて開通させたらしい。

このくそ暑いなか、ほんとうに頭が下がる思いだ。

 

 

それから国道220号線を快調に飛ばし、酷暑のなか道の駅フェニックスで休憩した。

駐輪場にはこの暑さの中でも地元宮崎ナンバーのオートバイが軒を連ねていた。

 

しかし、暑かった。

ここで起こったこと、感じた事、思った事。

気がもうろうとして記憶が非常にあいまいだ(笑)

 

 

南国の景色らしい日南海岸が終了し、空から見たら絶景だった220号バイパスを北へ向けて軽快に走った。

睡眠不足の為か、ぼーっとした感覚を保ちながら宮崎インター入口付近まで来た。

しかしそこには、あろうことか「7km渋滞」の文字が電光掲示板に刻まれていたのだ。

「はぁ?」

眠気が一気に吹っ飛んでしまった。

 

ネットで調べてみると、日向インターのトンネル付近で事故があったらしく、全面通行止めと言う。

宮崎市内の道路は基本的に海岸線かその一本奥の道を通るのだが、正直2人とも宮崎県民でありながら宮崎市内の事や道路は以外にもよく知らない。

 

結局国道10号線か高速を使うしか手段はなく、バイクに乗る嫁さんとは川南SAまで一緒に行動し、その先は「シャワーでも浴びとって」と日向の実家へ先にSR400で向かわせた。

 

案の定、都農インターから先は未だ全面通行止めで、すべてのクルマの列が流れるようにインター出口へ降りて行っているのが遠くからでもよく見えた。

自分もこのまま渋滞にはまるんだろうな。

そして出口の分岐の目の前までやってきた。

奇跡はおきんだろうな・・・

 

そんなあきらめかけた矢先だった。

 

機動隊の警官があわただしく、何か違う動きをはじめたのだ。

「もしかして!」

直感は当たった。

「パトカーの後に付いてきてください!」

という警官の声に、今まで言った事のない心からの「はい!」という返事を返し、対向車のいない誰も走っていない高速道路を先導車に導かれついていった。

 

ラッキーだった。

 

しかし、忘れてはいけないことがある。

嫁さんとSR400の存在だ。

うだるような暑さのなかを走る嫁さんとSR400を想像すると居ても立っても居られない。

なんとかして救出してあげんといかんのです!

 

「そうやん!」

 

万が一、嫁さんのインカムが携帯とつながってさえいてくれれば、きっと話が出来る、呼び戻せるはず。

そして一か八か電話を掛けてみる。

(頼むから出てくれ!)

「もしもーし」

呼び出し音の後に続いて、渋滞の真只中にいる嫁さんの暑そうな声が「携帯のスピーカー」から勢いよく聞こえた。

 

「開通したもんですぐ戻って高速のって!」

「もどるー」

 

 

 

実家近くのコンビニで、アイスを食べながら嫁さんの到着を待っていた。

「トコトコトコトコ・・・」

程なくしてSR400のエンジン音が聞こえ、開口一番笑顔でこう言った。

 

「少し頂戴(笑)」

案外平気そうだった。

 

旅は続く

「矢岳越え」と言われる険しい山岳地域(標高536.9m)にある「矢岳駅」。

駅周辺には一応集落があるが、過疎化が進み人もクルマもほとんど見る事はない。

地元の人を唯一見れる場所と言えば、、観光列車「いさぶろう・しんぺい号」の到着に合わせSL展示館の中にあるお土産屋さんに店員さんが家から戻ってくるくらいである。

 

1972年に完成したSL展示館に展示してあるD51。ちなみに、その隣にはいまのSL人吉号の58654(8620型)が飾ってあったというが、1988年に現役復帰を果たす。

メンテナンス次第で寿命は延びるって事を証明してくれたのだ。

 

 

矢岳駅を出発後、大丈夫か?と思うくらい山の奥深くに入って行った。

すると、突然茶畑が広がりはじめ、何となく安堵感が増した。

そこは、地図に載っていない幻の道路なのだが、矢岳高原までは普通に通る事ができる。

矢岳高原へ抜けると、眼下に見える「えびの市」まで一気に山を下ることとなるが、途中で見えた風景はそれは素晴らしい絶景だった。

 

そろそろ、6個目の木造駅舎「真幸駅」に到着だ。

 

初めて「真幸駅」に来たのは何時のころだったろうか。

小学校に上がる直前にも一度は来てるはずだったが、行ったり来たりしたような記憶(スイッチバック)しかない。

 

この駅は「真幸」と書いて「まさき」と読む。

「しんのしあわせを手にする」ため、年間多くの観光客がこの駅にやって来てはお守りを購入し、しあわせの鐘を鳴らしにやってくる。

こうふくえき・・

関係ないが、また北海道に行きたくなってしまった。

 

この駅も観光列車が停車するのだが、普通の停車駅ではない。

スイッチバックをするための駅で、先頭の向きが変わってしまうのだ。

と言っても、数百メートル先でもう一回折り返し、向きを変えて山を登っていくのだが。

(運転士さんは列車内を行ったり来たり大変だ)

 

 

 

そろそろ山の風景も飽きてきた。

行けども行けども細い山道ばかりで、都会育ちの自分にはちょいと荷が重い・・・

たまには街の風景も見たくなるってもんです。

 

そして、バイクの姿をほとんど見る事がないまま鹿児島県に入った。

夕方になるにしたがい気温も徐々には下がって来てはいるが、湿度だけはなかなか下がらない。クルマに乗ってる時はエアコンが効いていてすずしいが、バイクに乗りかえた瞬間、全身汗だくになってしまう。

鹿児島の溝部空港の滑走路脇を通り、山の奥へとすすんで行き、鋭角の交差点を左に折れて道沿いに進むと、そこはもう駅の入り口だった。

目の前にある大きな建物は、国指定の登録有形文化財の指定を受けた「嘉例川駅」だ。

 

多くの観光客がくるこの駅には、嘉例川観光大使に任命された「にゃん太郎」がいるという情報を事前にゲットしていた。駅舎の中に入って早々、ベンチを占拠している「にゃん太郎」を発見したが、夏バテのせいか、何をやっても微動だにしなかった。

一応ネコ小屋もあったが、後日夜に行った時は何も入っていなかった・・・

 

 

≪おまけ≫

後日伺った「大隅横川駅」。

こんな素晴らしい木造駅舎が肥薩線にまだあったとは・・

 

 

ということで、今夜の宿泊地でもある妙見温泉郷へと急いだが、駅から宿泊地まではそう遠くなく、アッという間に着いてしまった。

「温泉!温泉~!」

意気揚々と宿の駐車場へクルマとバイクを入れた。

 

さっそくフロントらしき場所で支払いを済ませ、建物内を案内された。

「えっと、お客様は旧館で・・・」

「旧館?」

嫌な予感がした。

でもエアコンくらいはあるだろうし、それがあればもう十分だろう。

淡い期待感をもって係の人の後に恐る恐る付いていった。

 

旧館の玄関にはいると、グレー色のコンクリートの壁がいっそう蒸し暑さを倍増させている様子だった。

係の人も今までエアコンの効いた部屋にいたせいか、頭の表皮から汗が大きな粒になって吹き出ているのがちょっとあれだった。

 

それと、ここは連泊用の施設なのか?!

共同トイレや広い共同洗面所、共同冷蔵庫、共同炊事場を案内された瞬間、高校時代に出会ったあの恐ろしい合宿所を思い出した。

それから簡単な鍵の付いた6畳ほどの”風通しの悪そうな”部屋に通された。

(まずい、ここは温泉旅館とかそういうオサレなものではないのか!)

 

「エアコンはありませんが扇風機はありますので・・・」

「うっそ?エアコンないの?」

つい言葉に出して言ってしまった。

 

いや・・これが普通なのか(1)

 

じっとしててもただでさえ暑いこの連泊専用の部屋で、唯一の癒しの戦力は扇風機のみなのか。一応うちわもあったりしたが、力任せに仰いだら壊れそうだったので、そっと返しておいた。

扇風機のダイヤルを目いっぱい回し、首ふりを停めて扇風機の前にへばりついて離れなかった。

 

説明によると、

「暑いときは水風呂に入ってください」

と言うことだったが、そんなにここは暑いのか?!

「やっぱ値段か・・・」

そんな捨て台詞を履きながら、夕食を食べに宿のオーナーから聞いていた近くのファミレスに行ってみた。

 

ファミレスではウナギを食べ、中ジョッキを2杯飲んだ。

もちろん運転は嫁さんに頼んだが。

食べ物も酒も無くなり、待っている人もいたので帰るしかなかったが、温泉宿に帰るのがこんなに嫌だなんて、果して過去にあっただろうか。

 

いや、これが普通なのか・・・(2)

 

とりあえずは酒に酔ってしまうのが先決とばかりに、コンビニでビールとつまみを買いまくり、うだる様に暑い「我が部屋」にいやいやながら戻った。

それから、ビールなどの冷たいものは、説明どおり共同の冷蔵庫へぶち込んだが、盗られないかすこしだけ心配だった。

 

「とにかく風呂入ろう!」

 

建物の一階にあった共同浴場は、歴史のありそうな大きな湯舟が印象的な温泉施設だった。

泉質は若干鉄分が多そうで、飲んだら激マズだった。

蛇口なんておしゃれなものはなく、洗面用の湯も水路のようなところから湯を汲んでは豪快に体へかけ体を洗う仕組みだ。

生まれて初めて見る光景に正直驚きを隠せなかった。

 

これもこの辺りでは普通なのか・・・(3)

 

とにかくあつい湯船に浸かるだけ浸かってそそくさと大浴場を出た。

 

それからが地獄の始まりだった。

保温効果が高いのか、次々に流れる汗が体をつたっていく。

喉が渇き、ビールを飲んでも飲んでも足りず、在庫がみるみるなくなっていく。

扇風機の強風もほとんど効果がない。

もしかしたら、これは熱中症か?

外に涼みに出てもこの日は妙に暑く、とても山間の温泉地とは正直思えなかった。

 

このままバイクで夜道をかっ飛ばしたい・・・

 

とにかく朝が来るのを楽しみに、テレビを消して布団に横になった。

うるさいくらいの虫の鳴く声と、「強」にしたいまにも壊れそうな扇風機のモーター音が「我が連泊専用部屋」に響きまくっていた。

 

途中で気が付いてはいたが、泊まった建物の一階は全て浴場であり、そのうえにどうも寝ていたようだ。冬ならまだしも夏は地獄と化すのもうなずけるような気がした。

どうりで熱いわけだ・・・

でも、建物や部屋までレトロな雰囲気にしなくてもいいじゃないか。

今度行くならこたつもあったし、冬の季節がベストかな。

 

暑い暑いを連呼しながら遂に寝不足な朝がやってきた。

(誹謗中傷気味なので画像はありませんw)

 

旅は続く・・・

 

 

 

 

 

 

8月12日早朝。

前日遅くまで仕事をしていたせいか、目覚ましが鳴ったにも拘らず二度寝を繰り返し、けっこう、いや、かなり出発が遅れてしまった。

この日は帰省の旅第一日目で、宿泊予定の妙見温泉(鹿児島県)まで何があっても行かなければいけなかったのだ。

そんな今回の帰省旅のテーマは・・・

 

 「ノスタルジーに浸る旅 南九州編」

  ~古の風を感じながら肥薩線を廻る~

 

 

だ。

じゃ~じゃじゃじゃじゃじゃじゃーん♪

何の曲か自分でもよくわかっていないけど、かっこいいBGMが流れればもう少し雰囲気も伝わるんでしょうね。

そんなこんなで始まった帰省の旅ですが、今回は色々機材も持っていきたかったので、クルマとバイク(トランポがあれば最高なのですが・・)2台で交代しながら帰省。

 

福岡を出て数時間、やっとのことで最初の目的地でもある肥薩線の「坂本駅」に到着。

比較的山間で涼しいだろうと期待だけはしていたが、強烈な日差しは福岡とそう違いはなく、クルマを降りるや否やありとあらゆるところから汗が吹き出し始めた。

そんななか、

「バイクは涼しいよぉ~」

なんておっしゃる嫁さんにモデルとなって頂き、いよいよ撮影は始まった。

 

この坂本駅は「SL人吉号」も停車する、築うん十年・・いや、百年以上?の木造駅舎だ。道もろくに整備されていない時代、列車がメインだった人里離れたこの坂本村では、SLが大活躍したんだなと簡単に想像できる。

そんなSLが今現在も走っているなんて、考えただけでも興奮するではないか・・

あと、「しんぺい・いさぶろう号」(と聞いてもピンとこない人もいるかと思いますが)という見た目は普通の赤っぽいディーゼル機関車で、内装は豪華絢爛で(なななつ星」には負けるかもしれないけど)そこそこ立派な観光列車もこの駅に停車する。

 

JR九州もあれこれ考えて集客に結びつくよう、色々と取り組んでいるようで企業努力を感じます。

がっつり応援したいですけど、ただバイクにまだ乗りたいかな・・・

 

 

そんな素敵な「坂本駅」ですが、そういつまでも居られないのです。

というか、「SL人吉号」が来ちゃう時間が近づいてるし。

やばいやばい!と言うことで、前日に決めた撮影スポットへ直行です。

 

予定していた現場へ到着してふと対岸を見ると、盆休みのためか、けっこうな数の撮鉄さんやギャラリーが集結してたのには正直びっくりした。

 

「ぽ------------------♪」

 

かなり遠くの方でSLの汽笛の音がこだました。

対岸の撮鉄さんが「来たーっ!」て連呼したりしてるのがかなり離れた場所にいる俺らにでもよく分かった。

その直後だった。

目の前にある鉄橋の上をなぞるように、煙突からどす黒い煙をまき散らしながら「SL人吉号」が豪快にしかもかっこよく通り過ぎて行ったのだ。

「まじか・・」

生まれて始めて(多分)みた「動くSL」に子供の様に感動し、肉眼で見たい衝動に駆られながらも、ファインダーをのぞきながら夢中でシャッターを切った。

今まで見てきた「静のSL」がついに脳みその中で「SL=動くもの」として認知された瞬間だった。

 

 

残煙をたなびかせながら鉄橋を渡り切った「SL人吉号」は、そのまま対岸の林のなかへ消え去って行った。

すると、何処からともなく今の今までこの近くで撮っていたであろう2台のクルマが、自分たちの横を張り合うように、そしてSLを追いかけるように走り抜けて行った。

「きっと撮鉄だろ・・」

どことなく冷めた言葉を嫁さんに投げかけてしまう。

自分たちは撮鉄じゃないんだ!バイクがメインなんだ!と言わんばかりに脚立を仕舞いこみ、そしてクルマに乗り込んで出発した。

 

2台のクルマの後を追うように、右に左にうねる球磨川沿いの細い路地を、こっちも負けじと追いかけはじめた。

すると、対岸にうっすらと煙が残っているのが見えはじめ、遂にはSL人吉号に追いついてしまった。

「追いついた!」

信号のない道だけにクルマの方が早くなり、何時しか追い越しそしてはるか後方へと消え、遂には見えなくなってしまっていた。

もうすぐ目的地と言うところで片側交互通行の信号に捕まったが、SLが来る気配はなく、余裕で白石駅に到着した。

「ポ――――――♪」

遠くで汽笛が鳴り、2度目の興奮タイムが襲い掛かってきた。

バクバクと鼓動を繰り返す心音を聞きながら、暫く駅のホームで待っていると、先ほど見た黒や白の煙を吐きまくる黒い物体がホームに滑りこんできた。

ホームへ停車するなり、中から多くの観光客が降りて来ては我先にと携帯(スマホ)やアイパッドでパシャパシャSLを撮りまくっていた。

なかには駅舎の写真を撮ってる人もいたが、やはりSL人気には負けているような気がした。

 

5分程の停車時間の終わりが近づくと、笛の音と共に汽笛が唸りを上げ、遮断機の警報音が周囲になり響いた。そしてその黒い物体は「シュボッ・・シュボッ・・」ってテレビで見たままの音を周辺にまき散らしながら3両編成の客車と共に目の前を華麗に通り過ぎていった。

なんとなく恥ずかしがったが、一応手を振り返してみた。

 

その後、「SL人吉号」とギャラリーがいなくなった「白石駅」を、ここぞと言わんばかりに撮影しまくった。暑さで汗が全身から流れているのが分かったが、そんなに気にはならなかった。

夢中になるっていうのはある意味怖い。

一通り「白石駅」を撮り終え、先ほど渡ってきた橋を渡り、再び国道219号を人吉方面へと向かった。

 

 

さて次は、あの「何度」も通った事のある「一勝地駅」である。

何度も?

そう何度もである。

始めて行ったのは今から5年ほど前だったろうか。

名古屋に住んでいる息子が大学を受験するという情報を前妻から聞き、親父として何かできないものかと、当時インターネットで受験の神様や受験に関することを何でもいいからしらみつぶしに検索したことがあった。

そして、この「一勝地駅」がヒットしたのである。

 

いろいろ調べた結果、入場券(160円)をお守りとして持っていると良いそうである。

そして危険時(急ブレーキ時)にレールにまく滑り止めの「砂」も一緒に送ってあげた。

今まで初詣以外「神頼み」なんて全くしたことはなかったが、他人(息子)の為だったら普通にお願いできるもんだ。

今では自分自身や家族の為にも、神社での参拝は何処へ行ってもするようにしている。

 

そんな思い出深い「一勝地駅」だったが、どうもSL見たさにたくさんのギャラリーが押し寄せているようで、正直撮影どころではなさそうな雰囲気。

オートバイと一緒に撮る場所もとうとう見つからず、思い切って「SL人吉号」とのコラボ写真を撮るのをあきらめた。

 

 

さて、これから先は時間に追われるわけでもなく、自分のリズムでのんびりと明治・大正の空気をリアルに感じとれる「駅舎」めぐりの時間だ。

人吉市内からえびの市内へ向けて走る途中に「大畑駅(おこばえき)」という看板があったので、その看板通りわき道にそれ、山の奥深く秘境の地へと入り込んでいった。

 

実は、今から3年前に初めて訪れたこの「大畑駅」。

駅舎内に入った途端、あるものを見て驚いたのを今でも鮮烈に覚えている。そのあるものとは、窓や壁に貼られたおびただしい数の「名刺」である。

ちょうどその当時は、自分もサラリーマンで出世なんかは考えてなかったけど「写真家」として独立したいなぁって夢をもったころだった。

駅舎の中に名刺を貼れば出世や成功するなんてことが書いてあったのを見て、躊躇なく出来たての名刺を貼ったのを今でも覚えている。

 

世の中こんなにたくさんの人が出世を願ってるんだ・・・

成功とはいえないが、一応うまく事が進んでいる自分は願い事が叶ったってことかな?なんて思う自分はまだまだ甘ちゃんだ。

これからもたくさんの荒波にもまれる所存でございます!

 

そんな思い出に浸っていた最中だった。

「ゴ―――――!」

うなりを上げながら赤いディーゼル列車がホームに滑り込んできた。

観光列車「いさぶろう・しんぺい号」だ。

この「大畑駅」はスイッチバックが有名で、もちろん停車駅にもなっている。

そういえば、自分も小さいころ親に連れられ「前に進んだり後退したり」した光景を覚えているが、きっとここかもう一つ先の「真幸駅(まさきえき)」の風景だったんだろうな。

 

 

 

さて、つぎは山の奥深くにある「矢岳駅」。

以前行ったとき、人も、すれ違うクルマもほとんど見る事はなく、こんな山奥に人が住んでいるんかな?(失礼!)道あってるんかいな・・・なんて不安に思ったことがあった。

 

明治・大正時代には、それなりに多くの人が利用したであろうこの「矢岳駅」も、今では完全無人化され、観光客以外に人を見る事はあまりない。

ただこの駅には、かつて大活躍したD51が室内保存しており、「いさぶろ・うしんぺい号」の到着と共に、多くの観光客が見学出来るようになっている。

(AM8:00~17:00)

2012年に国の有形文化財に名乗りを上げたと書いてあったが、未だに登録されたようなニュースは聞いてはいない。しかし他では「肥薩線」を世界遺産に!

と言う動きもあり、ほんとうにそうなら是非にと願うばかりである。

 

 

旅はつづく・・・

 

「雨ほんとに止むとかいな・・・」

出発前夜に確認した限りでは、菊池方面の翌日の天気予報は曇りとなっていた。

熊本へ出発するころ福岡では既に雨は止んでおり、この調子だったら熊本も大丈夫だろうと僅かな期待をもって家を出た。

筑紫野インターから高速に乗り、北熊本SAを目標に、クルマが余りまだ走ってない高速をとばした。SAの駐車場に入ると、広島ナンバーのトラックに詰まれた「Ninja」らしきオートバイがチラッと見えた。

「きっと今日の走行会にいくんやろね」

妻とそんな会話を重ねながらサービスエリアを後にした。

 

「もうこの先、雨の心配はいらないよね」

そんな会話をした矢先だった。

皆の期待をあっさりと裏切るかのように、「ザ―」っと一瞬で視界を遮るほどの大粒の雨が空から一斉に落ちてきたしまったのだ。

「こりゃやばいねぇ~・・・」

一瞬にして道路は濡れ、周りのクルマは水しぶきをまき散らしながら走っていた。とにかく、諦めの気持ちと、このまま雨雲が通り過ぎて晴れていってほしいという期待感とが入り交ざった、複雑な心境のまま熊本インターを降り国道57号をサーキット方向へと走らせた。

 

 

2016年4月、マグニチュード7を超える2度の大地震が熊本・大分を襲った。

HSR九州の総合事務所の天井は崩れ落ち、ドリームコース、サーキットコースのいたるところで、大小様々な亀裂が縦横無尽に走り、そして頻繁に起こる大きな余震の影響で、亀裂はさらに大きくなっていき悪化の一途を辿った。そしてあろうことか、同じ敷地内にある本田技研熊本工場内にも甚大な被害が出てしまい、生産ラインが止まってしまうなどの大規模な被害がでてしまった。

 後日、HSR九州側より発表されたイベント中止のニュースに正直驚きを隠せなった。ただただ現実を受け止めるしかなく、その時はHSR九州サーキットの一日も早い復興を祈るしかなかった。

 

 

 

HSR九州の敷地内にクルマを乗り入れ、まず目にしたのが、未だブルーシートが掛けられた、足場が設置した総合事務所だった。

更に奥へと進むと、舗装が真新しいドリームコースが見えてきた。そしてさらに奥に進むと、あるべきはずの2階建てのピット建屋はすでに基礎ごと撤去され、完全に更地となっていた。

話を聞けば、ピット建屋は倒壊は免れたものの、今後またいつ大きな地震が来るかもわからないし、その際、多くのピットクルーや参加者に被害が出てもいけないということで、建て替えを余儀なくされたのだった。また、そのまま補強し継続して使用できたかもしれないが、安全のためピットの使用許可さえおりないと宣告されたそうだ。

もう建て替えしか道はなかったのだ。

そこで急遽、業者に解体を依頼したと言う。ちなみに、新ピットの完成予定時期は来年3月となっており、当面は仮設ピットで頑張ってもらうそうだ。

観戦については今の所は何も手を打つ術はなく、安全な観戦ポイントで観戦してほしいということだった。

とにもかくにも、完成までもうしばらくの辛抱だ。

 

 

黒く重々しい雲からは、情け容赦なく細かな雨粒が降り注がれたが、受付が始まるころになると次第に雨はやみ、そして空は明るくなっていた。

「このまま晴れてくれ・・・」

誰もがそう思った。

早朝よりはじめられた約100台ものエントリー受け付けもようやく終わりに差し掛かり、ついにブリーフィングの時間となった。心配していた雨もようやく上がり、全員が緊張の面持ちで久しぶりのコース説明に聞き入っていた。

そして、第1セット目のAグループが走行準備に取り掛かかろうとした時だった。

空から無常の雨粒が落ちはじめ、路面は完全ウェットの状態にまでなってしまったのだ。

マーシャルだけはコースを確かめるように周回を重ねていったが、その後は安全を最優先してか、誰一人としてサーキットコースを走行することはなく、各ピットでは各々が自由な時間を過ごしていた。

 

 

このまま第1セットは終わってしまうのか・・・

取り敢えず第一セットは取材に徹すると決めていたので、それはそれで助かったような気もした。

第1セット目の走行終了時間になると、ようやく青空が見え隠れするようになり、コースも半渇きとなっていった。

そして真新しくなったサーキットコースには、水を得た魚の様に、ここが俺らの場所と言わんばかりに、第2セット目Aグループのライダーが1台、また1台と吸い込まれるようにサーキットコースへと消えて行った。

ただコースは完全なドライコンディションではなく、時折水たまりもあり、一本一本マシンと会話をするかのように、そしてコースコンディションを確かめながら走り込んでいた。

 

 

コースコンディションも次第に良くなり、アドレナリンも大量に放出。それに暑さも加わり大興奮間違いなしのコース上だった。

第3セット目になると真夏を思わせるような晴天が広がり始め、ツナギを着て走るライダーにとっては非常に辛い時間となった。

それでもただひたすらにタイムを縮める為、自分に納得の走りを得る為、集中力を切らさないよう周回を重ね続けていた。

 

 

そして、アイアンモンスター17クラス、アイアンモンスター18クラス、アイアンスポーツクラス、アイアンモンスター750クラス、NK4&アイアンモンスター400クラスの計5クラス、計100台を超える鉄フレームによるIHDC走行会は無事に終了した。

 

次回行われるIHDCは2016年9月18日。年に一回だけ行われる鉄フレームの祭典(スプリントレース)なので、皆さま是非お誘いあわせの上、HSRサーキットへ応援しに来てください!

お待ちしております!!!

 

 

 

「ぶーーん」

新聞配達員のバイクが自宅方向に向かって近づいてくるのがなんとなくわかった。

明日こそは新聞を投函されるまでに起きるぞ!

て、自分に言い聞かせていたのだが、そうは簡単に起きれるはずもなく。

 

「コトンッ!」

 

配達された新聞が勢いよく玄関ポストの底に落ちた瞬間、はっと目が目が覚めた。

カーテンを締め切った薄暗い部屋の、白っぽい壁に掛けてあるアナログな掛け時計を裸眼で見ると、何となくだが5と6近辺をさしている。

「まじか、、」

とにかく階段を小走りで下り1階のリビングへと向かった。

昨晩遅くに嫁さんが作ってくれたサンドイッチを頬張りながら、今日1日の天気をしっかりチェック。

「うそ、午後から雨?!」

 

食べかけのサンドイッチをアイスコーヒーで無理やり流し込み、とにかく出発準備を急いだ。

 

 

前日、思いつきで作成したツーリングマップを頼りに、まずは国道442号で日田市内より鯛生金山方面へと走った。

 

予報とは裏腹に空は青く晴れ渡り、霧か霞か、今にも何かが降臨するかのような神々しい光の矢に包まれた絶景が、目の前に立ちはだかっては過ぎ去っていった。

時には、駄々をこねる子供のようにその場に居座り、撮影にかなりの時間を費やすような事もしばしばあった。

 

幻想的で誰が見ても感動間違いなしの絶景を心起きなく堪能し、何とか涼しいうちに道の駅「鯛生金山」へ到着した。

この辺りなら、走ればまだヒンヤリ感を味わえるが、日が当たる場所で動かないでいると、既にじわりと汗が出てくる。

 

ここでは水分補給とトイレだけを済ませ、遅れた時間を取り戻すかのように、県道9号から県道133号へとバイクを走らせた。

 

《スーパー林道は→》

 

よくよく見ないと見逃してしまいそうな看板が掲げられた「岳戸山林道」入口へと到着した。

ただ、この林道は全線舗装済みで、ダート区間は一切ない。

よって、ダート好きにはちょっとつまらないかもしれないが。

 

ただ、幅員は比較的広く見晴らしも良好だ。また、すれ違うクルマもほぼ皆無に等しい為、楽しく快適に走ることができる。

舗装されたのはいつかわからないが、ダート時代にタイムスリップ出来たら絶対に走りたい林道だ。

 

また、途中にはトクトクと湧き出る水場もあり、冷たいとわかってはいるが、お決まりのように取り敢えず触ってみる。

「つめたっ」

切り立った壁から溢れ出る湧き水は思ったよりも冷たく、手に取るだけでとても気持ちよかった。更に口に含むとこれまた美味。火照った顔にその冷たい水を思いっきりかけ、急速にクールダウン。

もちろんこんな事もあろうかとタオルは準備していた。

 

岳戸山林道は全体的に走りやすいが、所々に滑りやすい路面や、がけ崩れの恐れがある場所もあるので、走るときは十分注意しなければいけない。

 

 

岳戸山林道を脱出してからは、上津江フィッシングパークや黄金の滝を横目に見ながら上津江方面へと走ることになる。

渓流から河川へと成長していく姿を見ながら、国道387号のワインディングを軽快に走った。

しばらく走ると、左手に古い学校を利用した、宿泊可能な道の駅「かみつえ」がでーんと登場。

 

暑くなってきたし疲れたし眠たいしケツ痛いしで、誰が反対しようが(誰もいないが)休憩を優先した。

20分ほどぼーっとしただろうか。これから行くであろう林道に向け英気を養った。

 

  道の駅を出てからは、国道387号と県道12号で松原ダム方面へと向かうが、その先にはダート走行が待っている。

途中、勢いよく湧き出る水場に再度出くわしたところで、暫しの休憩タイムをとった。ちなみに湧水には硬水と軟水があるが、この水はどっちなんだろうか教えて欲しかった。

 

走行距離が140kmを超え、ガソリンの残りが多少なりとも気になり始めたが、昨日決めたルートを通れば大丈夫なはず、と自分に言い聞かせた。

ダート走行を前に、まるで撮影の前のような緊張感が全身を漲った。どんな路面なのか。走りやすいのか難いのか、とにかく全てが楽しみだった。

 

「うそ、、通行止め?」

 

ダート入口付近には簡単に突破できそうな簡易的なゲートがあったが、それ以上先に進むのは危険回避のため、取り敢えず今回はやめることにした。

迂回路にもよるが、走行距離の計算が大きく狂うかもしれないと言う不安がよぎった。

山に入る前に満タンにしなかったことをかなり後悔した。

 

僅かな燃料タンクのKLX250は、満タンで走れる距離はたかが知れている。

ちなみに燃費は恐ろしく良い方だが、タンクがあまりにも小さすぎて、200km超のロングツーリングではある程度給油ポイントも一緒に考えておかないと、泣く泣くスタンドまで押して行かなければならない事態にもなりかねない。

最悪それだけは避けたいが。

 

【教訓】

燃料は小まめにいれ、林道に入る前は満タンはあたりまえ。林道をある程度彷徨っても山を降りれるようにしとくべし。

これじゃ林道初心者丸出しやん!!って怒られそうだが、これも経験。

「オフロードは生き物なのだ」

と、ある人が言った。

それを身を持って体験でき、経験値がものを言うような世界だと今回実感した。

 

 荒れてはいたが、舗装された道を繋ぎ合わせ、運よく予定通りの県道9号に戻ることができ、正直ホッとした。

しかし、下界というわけでもないのに亜熱帯のようなこの蒸し暑さはいったい何なんだ。走りながら気がもうろうとしてきたではないか。

 

 市内中心部へ入ると更に気温は上昇し、国内ニュースでもよく耳にする日田市の真昼間の気温は、体感で40度を超えており、バイク乗りには非常に耐え難いものとなる。

熱風に耐えながらも、ただひたすらに自宅のある大野城市へと走り続け、昼過ぎには無事に帰宅した。その後、1時間もしないうちに雷を伴ったゲリラ豪雨が大野城の街を襲った。

 

生ぬるいシャワーを浴び全身クールダウンしそして、、、

 

 

プシュ!

これがあるから走れるのよね。

  7月のある日のこと、昭和29年に上映された初代「ゴジラ」を初めてテレビで鑑賞した。

 
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シン・ゴジラの公開連動企画らしく、他にも多くのゴジラ映画を放送していたが、第1作目のゴジラは手作りの「音」にも拘っており、妙に見ごたえを感じた。
そんな中、福岡県民でありながら一度も行った事がない福岡市美術館で、7月15日から「ゴジラ展」が始まったと先月新聞で知った。
 
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開始早々、ニュースや新聞などで大々的に報道され、もうこれは行くしかないと前から行くタイミングを狙っていたが、今日、ついに生まれて初めて美術館とやらに嫁さんを誘い足を踏み入れてみた。
 
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朝から夏の青空が広がり、気温もグングンと上昇するこんな日には、美術館や図書館はもってこいだなんて考えながらヘアコンの効いたロビーへと入った。

敷地内には所々にオブジェがあり、いかにも美術館という雰囲気が漂いまくっている。
しかし、どこを見ても撮影禁止で、撮りたいなと思っても記憶の中にストックするしかなかった。
 
 
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ゴジラ展に嫁さんと共に入場したが、こちらも当然の様にほとんどの場所が撮影禁止だ。
撮影可能な場所では「カシャカシャ」とスマホのシャッター音が鳴り響いていた。
また、展示スペースには、初代「ゴジラ」の上映ポスターや絵コンテ、ゴジラ映画の歴史、都心部の模型設計図、実際に使った小道具や撮影可能なゴジラスーツなどが所狭しと展示してあり、見どころ満載だった。
 
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「もう十分見れたし、そろそろ帰ろうか?」

と嫁さんと話した時だった。

福岡タワーのガラス越しにゴジラが中を覗いている写真と、半券があれば入場料が安くなるという内容が書かれていたパンフレットをたまたま発見。
ただでさえ高い福岡タワーの入場料だけに、この機会を逃すと正直またいつ来るかわからないと考え、久しぶりに福岡タワーへとクルマを走らせた。
 
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今から19年前に一度だけ登った事を思い出したが、どんな風景だったか完全に忘れてしまっていた福岡タワー。
 
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エレベーターガールさんの案内で一気にビルの40階付近まで登ると、眼下にはシーサイドももちと福岡の街が広がっている。

(夜景だったらもっと良かったんだろうけど・・・)

福岡市ってクルマで走ると思った以上に時間がかかるけど、上から見ると滅茶苦茶狭いなと改めて感じた。
 
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階段で下へ降りると、身長100メートルのゴジラがガラス越しにこちらを見ていた。そうそう、キングギドラは福岡タワーを壊したんだっけ。なんて考えながら撮影。
 
とにかくこのゴジラ展は、ゴジラ好きでなくとも特撮の技術というか映画製作の裏側ががよくわかる内容となっており、見るだけでも非常に楽しく、見る価値はあるなと実感した。
8月31日までなので、是非訪れてみては如何でしょうか?
(ちなみに今回の画像は全て携帯画像です)
 

あれは高校3年の夏だった。

原チャリの「HONDA NS50F」で30㎞も離れた霧島の友達ん家に、飽きもせずによく遊びに行ったものだ。

 

 

当時は「バリバリマシン」がバイク好き中高生の愛読書となってた時代で、毎日のように勉強もせんと、友達ん家の近くの峠に行っては、膝にカンカンつけて火花とばして「膝スリごっこ」やってた。

 

 

 そんなある日のこと、膝スリごっこが飽きたのか、他に目移りしたのか、カッコつけたかったのか、急にその友達がモトクロッサーを買ってしまった。

しかも高校生のくせしてトランポの軽トラまで・・・

そんな彼の行動に感化されたあふぉな俺は、金もないのに、いつしか自分もモトクロッサーを欲しがるようになっていた。

 

 

 後日、友達ん家に行く途中にある小さなバイク屋に、中古のモトクロッサー「YAMAHA YZ125」が入荷したという情報を耳にした。「買っちゃえよ!」なんていう無責任な他人事な発言も、当時は喜んで受け入れた。

でも、やっぱ現実は厳しく、バイト代だけの稼ぎでは到底買えなかった。

最終的にはローンで購入し、バイクは友達の家で保管してもらった。

それからというもの、原付で友達の家まで行き、そこからは自走で?!近くの林道に行くという毎日を楽しんだ。

 

 

そんなある日、俺はモトクロスに興味を抱き始めた。

友達のやけど、せっかくトランポもあることやし「モトクロスでもやろうぜ」って悪魔の様に囁いてみた。やりたかったのか返事は即OKで、軽トラにステッカーなんか貼ったり、プロテクター買ったりと、だんだんと本気モードに突入し、休みの日にはコースに走りに行くようになっていった。

 

 

そんなある日、都城にあるクローズドコースで練習していたときだった。思いっきりジャンプで失敗し大転倒。コケた拍子に足を負傷し、なんと、高校の卒業式には自転車でこけたなんて嘘をつきながら、大事な卒業証書と免許証を頂いた事もあった。

 

 

それから27年、ホントにホントに久しぶりに林道を楽しんでいる自分がここにいる。

死にそうにケツは痛いけど・・

 

 

モデルはFさん。

ある雑誌のサンプル撮影と言うことで協力して頂きました。

ありがとうございます!!

と言うことで、本番。

雷神社をスタートし、いったん不動池へと立ち寄って白糸の滝方面へ舗装林道を暫く西へと向かって走った。

すると見晴らしのいい「はろ展望台」へと到着。

海の見える絶景ポイントではあるが、山奥なんでほとんど人影もなく、もったいないっちゃーもったいない。

 

 

暫く走ると、ツーリングマップルに載ってた須田野林道の入り口までやってきた。

入り口自体は普通で、まぁこんなもんかと思って勢いよく入ったものの、50mも進むと暗い森の中に突入。しかも路面もだんだんと悪くなり、慣れないブーツのせいでギアチェンジもうまくいかず、ガチャガチャ言わせながら孤軍奮闘した。

「えーこんなところ走れんのか?」

なんて独り言を言いながらも、今更引き返せない変なプライドと、この先どんな世界が待ってるんだろうという好奇心がうまくミックスされ、暗い林道を大事なカメラを守りながら無我夢中で走った。

しかし、まじしんどかった。。

 

 

さすがにガレた路面では写真を撮るなんてもってのほか(次回は頑張りますw)で、一枚もない。息を切らしながら、比較的路面のフラットダートへと何とか脱出できた。

しばらく走ると、「え?こんなとこに家あんの?」なんて言ってしまうほどの山奥に、普通~に家があったのにはびっくりした。

 

 

糸島市二条一貴山の集落に出てからは、休憩がてら一般道を東へ走り、三瀬峠の入り口にある野河内渓谷の林道入口へと向かった。

走るのは2度目だが、ここはスタートから楽しいコースで、ヘタッピな俺でも十分楽しめる。

(あ、もうここから絶景では泣くなちゃってますw)

 

(後半にもFさん登場です。ありがとうございました!)

 

なんだかんだ言って100㎞超のロングツーリングとなったんですが、普通のツーリングに比べかなり体力を消耗してしまいますね。これはもうスポーツですな・・

ということで、水分補給に十分気を付けましょう!

 

 

 高千穂の街には、温泉、コンビニ、スーパーなど生活に必要なありとあらゆるものが揃っていて、震災時でなければ車中泊をしていても全然普通な生活が出来てしまう。

いい歳をして、久しぶりに入る大浴場が妙に楽しくなり、風呂上りキンキンに冷えた発泡酒をドラッグストアで必要以上に買い込んでしまった「ような」記憶がある。

「今晩はひさしぶりに一人で飲むか」

と、道の駅の駐車場の隅にクルマを止め、カラカラに乾いた喉を発泡酒で潤した。

 

 テレビのないシンと静まり返った暗闇のなかで、薄明るい車内灯だけを頼りに、家から持ってきた文庫本を読みあさり、時々、寂しさを紛らわすため嫁さんと何度かメールを交わした。

数台のクルマから発せられる「グォー」とうなるコンプレッサーの音が周囲に響く。

震災時は、こんなに狭い車内で、そして数多くの被災者が長い月日を過ごしていたのかと思うと、ほんとうに気の毒でしょうがなかった。

 

 翌朝、エアコンの効きすぎで突然ハッと目が覚めた。

読みかけの本がシートの下に無造作に落ちており、かけていたはずのメガネもどこにあるかわからない。目をこすりつつ窓の外を見てみると周囲を「青」の世界が完全支配していた。

ぼーっと空を見上げたが、晴れてるのか曇っているのかわからないままトイレへ駆け込み、顔だけ洗ってクルマへと戻った。

そして朝食用に買っておいたパンを食べながら一晩お世話になった道の駅を跡にした。

 

 

 高千穂の街から国道218号を五ヶ瀬町方面へと進み始めると、先ほどまでどんよりとしてはっきりしない空だったが、雲の隙間から青空が覗きはじめ、日中暑くなるような予感がした。

 

 途中「うのこの滝」を見ようとわき道に逸れ、2台すれ違うのがやっとの狭い道を奥へと進み、紫陽花がきれいに咲いた誰もいない駐車場にクルマをとめた。

耳を澄ますと、確かに遠くの方で「ゴー」と滝壺へ川の水が勢いよく落ちる音が聞こえたが、うっそうとした木々が邪魔をし滝の姿はまったく確認できなかった。しかも5分も歩かないうち、今いる場所から滝つぼまでの高低差が予想以上に激しく、そして遠いことに気づき、あえなく撤退。

 

 結局何も見ないまま国道218号へと戻り、それから国道265号高森方面へと進んだ。

朝霞のかかった誰も走っていないコーナーを軽快に走っていると、たまに地元の軽トラが邪魔をしたが、落ち着いてそのあとを自分ものんびりと走った。

 

 

 高森峠入り口をパスし、国道265号をそのまま高森町方面へと進んだ。

峠道の隙間から時折見える阿蘇の街や雄大な阿蘇五岳の姿が、霞の中にやんわりと浮かんでいた。幾つものトンネルをくぐり抜けコーナーをクリアしていくうち、眼下にあった街並みや木々が目の前まで迫ってきた。

 

 

 高森の街へ降りると、災害の為運休となっている南阿蘇鉄道の「高森駅」の看板がチラッと見えたので、看板通り街の奥の方へ進んでいくと、道路の行き止まった先に背の高い建物が現れた。散歩中のおばさんがクルマのナンバーをじーっと見ながらも笑顔で挨拶をしてくれた。散歩がてら電車の来ない駅のホームへ出てみると、僅か3ヶ月しかたっていないというのに線路は赤茶色にさび、枕木の間からは勢いよく雑草が生えていた。一日も早い復興を!とその場で強く懇願した。

 

 

 高森の街に別れを告げ、熊本地震の取材などでよく訪れた道の駅「あそ望の郷くぎの」へと向かった。この道の駅は、熊本地震発生直後は指定外ではあるが、臨時の避難場所として有効活用され、余震におびえる多くの避難者がこの施設に集まり、みんなで助け合って心を一つにした。

ここの唯一の救いは、敷地内にある湧水のお陰で「水」には全然困らなかったことだ。しかも同じ敷地内にあるアウトドアショップの「モンベル」から無償貸し出しされたテント村も開設され、地元に方々による炊き出しも行われた。

 しかし、3か月が経つと当時の面影はまったくなくなっており、ごく普通に観光客の姿だけが目についた。つい最近のことが遠い昔の事のように感じられた。

 

 南阿蘇村からこの度完成した赤水方面への迂回路と、そのまた迂回路を走り西の阿蘇登山道へと抜けた。迂回路付近には所どころ倒壊した家やひび割れたアスファルトが未だ数多く残っており、地震時の恐怖が再び襲ってくるほどだった。ちょうど出勤時間帯だったせいか迂回路を走るクルマは比較的多く、途中交互通行などもあってすぐに混雑が始まった。

 

 

 国道57号からミルクロード入口交差点を左折すると、反対車線には渋滞のピークということもあり二重峠の途中まで渋滞が激しく連なっていた。毎日のこととはいえ非常に心苦しい光景だ。そして、頂上のミルクロード交差点では、二十峠への右折待ちのクルマがミルクロードを埋め尽くしていた。

「これがあのミルクロードなのか・・」

ある意味しょうがないとはいえ、ホント色々な場所に地震の余波が来てるんやなとつくづく思うとともに、とんでもないことになってしまったんだと今更ながらに思った。

 

 「阿蘇大橋」の崩落は、南阿蘇村民の暮らしを「根こそぎ」変えてしまうほどの歴史的な出来事だったのだろうとつくづく思う。

新国道57号や阿蘇大橋の代替えルートもほぼ決定しており完成がほんとうに待ち遠しい。

 

 ミルクロード交差点を右折し、クルマが激減したミルクロードを突っ走り、過去一度も行ったことのなかった「豊後街道」の駐車場へとクルマをいれた。参勤交代で使ったと言われる石畳の道路は現代でも山の麓まで降りられるようになっていたが、ここでも敢えて最後まで降りず、途中で引き返してしまった。

 

 

このような歴史的な「道」が今でも保存してあるということは、ほんとうに素晴らしいことで今後もあり続けることを切に願う。

 

 ミルクロードを大観峰方面へと向かい始めた途端、ふわっとした白い世界が目の前を覆い始めた。

「ひょっとして・・」

雲海の出現に淡い期待を抱ききながら、何時もよりも慎重にアクセルを踏んだ。

しかし霧は一向に治まる気配はなく、周囲は「白」の世界が覆いつくしたままだった。

 

 

 しばらく走るとようやく霧も晴れはじめ、目の前には見慣れた阿蘇の丘陵地帯が現れ始めた。

幻想的な風景のなか夢中でシャッターを切った。

 

 

 大観峰へ到着したときには既に霧も晴れており、湿気を含んだ生ぬるいのか寒いのかどっちともいえない空気を肌に感じながら自販機を探した。

慌てて買ったせいで冷たいコーヒーを買ってしまったが、疲れた時のコーヒーはもうどちらでもよかった。

ミルクロードには多くのライダーが戻ってきている印象をおおいに受けたが、大観峰には時間が早かったのか期待したほどのライダーは来ていなかった。

 

 

 やまなみハイウェイ付近まで来ると、平日にも関わらず往来するバイクがかなり増えてきたように思えた。フェリーが港に着いた時間帯だろうか、とにかく多くのバイクを目撃した。

 

 

 やまなみハイウェイを北上し続け、いったん三愛レストハウスで2度目の休憩を行った。

駐車場には数台のバイクが止まってはいたものの、それには一切目もくれず駐車場を脱出。瀬の本高原を抜けると、どこか古めかしさを感じる黒川温泉街が姿を現した。

 温泉街入り口の看板からクルマを温泉街の中へと滑り込ませると、いかにもという温泉街の光景が目の前に飛び込んできた。今でこそ多くの観光客が戻っては来ているが、ほんの3ヶ月前は温泉街が生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされていたのかと思うとぞっとした。

 


THE END

 

鉄馬写真家

九州の玄関口 別府

 

何故に今回の旅は別府がスタートなのか

別府国際観光港から一歩出ると、目の前には天まで登るかのような登坂と、まるでカミソリで沿ったかのような緑色の山肌が露出した「扇山」の雄大な景色がまずは目に映る。さらに湯船からゆらりゆらりと立ち上るあれと違って、シューシューと噴き出す白い水蒸気らしきモノが、勢いよく天へと向かって立ちのぼっては消えていく。ヘルメット越しに見えるその先にあるものは、聞いたことのない道路番号「国道500号」と別世界に来たんだと否応なしに感じさせる自然の演出だった。

名古屋在住だったころ、九州へ初めてフェリーで行った時の記憶が未だに消えないでいる。

 

さぁ、絶景ロードの幕開けだ。

 

 

別府市内から由布市内までは県道11号を使えばほんとにあっという間だ。

走れば、迫りくるコーナー、すべての道という道がホントに楽しいという事が容易に理解できるはずだ。

が、しかし、今回は別府市から由布市内までの定番ルート(県道11号)を敢えて外してみた。

というのも、撮影ツーリングで他に楽しい絶景道を見つけたからだ。

しかし、↑の場所(県道11号)は外せないので、この場所の手前で県道11号に合流した。で、その後はというと、由布市内からやまなみハイウェイを通って長者原までは「ど定番」ルートを使用。言葉が出なくなって顎が外れそうになったり、その空いた口が閉まらなくなったり、ごくりと息をのむシーンにやたらめったら出会えること間違いなしである。

こんな絶景の真っ只中なら、たとえ同じルートを2~3往復したところで「あの人おかしくない?」とか「また通ってるぅ~」とか誰も口には出さない。

好きねぇ・・って思われるだけだ(笑)

 

そして長者原からは県道40号方面へと向かい、定番ルートとはしばしお別れである。この先は、これでもかと追い打ちをかけるかの如く、全くと言っていいほど手を抜かない九重(ここのえ)の更なる大自然が待ち構えているのを覚悟しなくてはいけない。気を抜かん程度に絶景をかみしめ、スピードの出しすぎには十分注意しつつ慎重に走って頂きたい。

 

長者原から飯田高原を眺めそれからゴンドーシャロレー方面へと向かい、再びやまなみハイウェイへと戻る。

 

 

再びやまなみハイウェイへと戻るとそのまま南下し、途中三愛レストハウスで休憩タイム。

遊びに来ていたバイクとライダーをこれでもかと嘗め回すように見たが、バイク乗り同士なぜか自然と目が合う(笑)

 

その後ミルクロードを右折し大観峰へと向かい・・

と思いきや、今回はそのまま直進しエルパティオ牧場を左折。もうひとつの?あまり走ることのないであろう「ミルクロード」の続きを走り抜け国道57号を左折。

それから少しばかり国道57号を東へ向かって走り、あくまでも「九州版」ジェットコースターの道や屋根付きの橋「阿蘇望橋」がある「森林基幹線 阿蘇東部線」を右折、あとはひたすら真っすぐに高千穂方面へと走った。

夜神楽舞う高千穂へはあと僅かだ。

 

 

天孫降臨の地 高千穂

 

R325に合流後ループ橋をくだり高千穂市内へ。

最初に訪れたのは夕闇迫った国見が丘展望台。遠くに阿蘇涅槃像を眺める事ができ、朝は運が良ければ雲海が見る事が可能な素晴らしい眺めの期待できる場所でもある。誰もいない平日夕方の展望台にはトンボが飛びまわっていた。

秋をも感じさせる涼しさに感動。

 

そして次に向かったのが高千穂町のど定番「高千穂峡」。

到着早々、美しすぎる「真名井の滝」に見とれてしまい、時間だけが過ぎて行った。そしてこれでもかと肺一杯にフレッシュエアーをパンパンになるまで吸い込み、そして深呼吸を2~3回繰り返したら頭がくらくらした。

さぁ、撮影だ。。

 

 

神話の里と言われるだけに、見るもの感じるものすべてが神々しく感じられる。

焼酎までもが神話に出てきそうな勢いだ。

 

高千穂峡から高千穂神社へはバイクでモノの数分だ。

神聖な場所だということがすぐにわかるほど透き通った空気が肌を刺す。

凛とした雰囲気にもまれながらも何かを感じつつ二礼二拍手一礼・・

 

更に奥地へと進み今度は天岩戸神社へ。

暗闇迫る境内を「ザクッザクッ」と、ひとり砂利の音を立てながら歩いた。

2度目のお願い二礼二拍手一礼・・

 

結果叶わなかったが。

 

 

 

後半へ続く