人生60年と言っていた時代は過去のまた過去。私の祖母は小泉純一郎総理からの100歳のお祝いの品を喜んで受取り、103歳という長寿を全うしました。明治生まれの祖母の口癖は「体が弱い」。体が弱い人でも103歳まで長生きするんです。

2010年のある日の事です。たぶん誰かからの紹介でお会いしたのだと思うのですが、その方から見せて頂いた「人生100年の年表」を見た時の衝撃の激しさは、今も忘れる事はできません。

 

その事が、GWAをスタートさせるきっかけとなるのですから、私の友人が良く言っています、「人は誰と出会うかによって人生が変わる」。不思議なものです。

その年表は、雑誌の見開2ページにわたって掲載されていて、横軸はもちろん年齢、縦軸は、仕事、家族、趣味、人生と、いろんな項目に分かれていました。衝撃が走ったのは、左ページと右ページの間が、50歳だったという事です。丁度それを見た自分の年齢だった訳です。

もちろん左のページに書けそうな内容はたくさんありました。

 

驚いたのは、右ページ。考えてなかったんです・・・・・・・・・・

長寿大国に生まれ、家族に100歳を超える長寿の人がいるのに、どこで、どうして、何をして、生きて行きたいのか?

若い時は、がむしゃらにやって行けます。体力も気力も充実しているし、人生の後半こそ大切なのに、白紙・・・・

 

思い返してみれば、前半は、本当に仕事で彩られた人生、それはそれでやりがいもあったし充実もしていた。でも、それだけでいいのだろうか?DNAを受け継ぐ子孫もいない・・・極端に言うと、自分が死んだら何も残らないんだ・・・・・衝撃でした。

あの人生100年年表は、後半の人生を考える本当に良いきっかけとなりました。

 

GWAを立ち上げたお話しは、また、ゆるゆると綴ります。