お姉ちゃんのおかげ(?)で身内で変な噂がたってしまった。
これだけは言っておきたい。
娘の父親はブログでも出ていたイッ〇との子供です。
2012年とある日、ふと仕事上の間違いメールが着て「間違えてますよ」と返した事から始まった。
それが3月末。
ただ時々お買い物に付き添ってもらったりしているうちに5月25日には寄りを戻す運びになった。
2013年のイッ〇は単身赴任で遠距離だったので生理周期なんかも把握していなく、初めは偶然妊娠してしまった。
私はイッ〇に迷惑をかけたくなかったので、電話でお別れを告げた。
でもその時、「お前もか、実は俺去年子供産まれたんだよ」と告白された。
ショックで頭を鈍器で殴られたような、衝撃目眩と気絶しそうになった。
あぁ、前に夕方テレビのニュースで高齢出産のリスクについて特集されていたのを真剣に見ていたのは奥さんを心配してだったのか...私の事も考えていてくれているのかと期待してしまっていた。
付き合いたての5月頃、「子供たちも大きくなってもうどうでもよくなってきた」と言っていて、私はまたその言葉に期待してしまったのかもしれない。
時々イッ〇の服の香りが、昔付き合いたての頃の香りがして不思議に思ったこともあった。
クリスマスデートの時に冗談で「妊娠しちゃったかも」と告げた時の真剣な拒絶の表情も全て辻褄があって卒倒しそうだった。
それでも平静を装っていた。
その後イッ〇が会いに来てくれることになった。
その時に「おめでとう」と、想像していなかった言葉を言われた。
でも数日後には大量出血...
救急で病院を受診したが、「見えません...」と。
後日いつもの病院へ行くと、流産か子宮外妊娠の可能性があると言われ、HCG数値がなぜか上がり続けるという謎の現象が起きたが、掻爬はせずに薬でしばらく子宮を休める事になった。
ショックで立ち直るまで時間がかかった。
でも1度お腹に命を宿してしまうと もう一度と欲が出てしまった。
2014年1月、奇跡的に再び妊娠することができた。
しかし、お腹の中で赤ちゃんは亡くなってしまい流産...掻爬手術。
私は妊娠できない身体になったんだ...
立ち直れなくなりそうだった。
年齢を重ねすぎてしまった。
もうダメなんだろうな...結婚していないと不妊治療もできない。
ほとんど諦めてしまっていた。
しかし、ほんの少しの希望を捨てずに排卵検査薬というものを使って挑戦する事にした。
2014年11月4日、排卵検査薬の反応が良かった。次の日は用事があり長時間出かけなければならなかったが、2人の雰囲気はノリノリで行為は始まった。(外に一人で出るのがコワイ私に気持ちを解させる為だったのかも)
月末、妊娠検査薬で陽性反応が出た。
でも期待はしなかった。
また流れてしまうんだろうって思っていたから。
記録も付けるのを途中で辞めた。
でもその子が今の娘です。
イッ〇は男の子が良かったらしく、4D超音波検査で性別を聞いた時はガッカリしていた。
出産間際に「俺は責任はとらないよ」と言っていた。(認知はしないよということ)
わかっている。
自分の責任だから。
出産準備は大きい物なんかの買い物は付き合ってくれた。
ベビーカーとか箪笥、ベッドや冷蔵庫等。
出産までずっと病院の方に心配されていた。
一人きりの出産。
メンタル持ちの私が耐えられるか、何度も聞かれた。
私は妊娠の幸せホルモンで何もかも乗り越えられる気がしていた。
出産直前、イッ〇が泊まりに来ていて丸一日寝ていなかった。
イッ〇が帰ってから深夜イモトようこさんの登山の録画を再生して寝ようとしていた時、バチンとお腹の中で音がして破水して陣痛が始まった。
でもテキパキと行動が出来た。
病院に電話で確認の電話を入れ、何日間お風呂入れないかわからないから、髪の毛だけでも洗っておこうとか、何分間隔だからもう少し大丈夫とか。
養父が付き添い人だったので、キャリーケースを引きながら病院まで歩いていった。
一緒に病院入った方がいいかな?と少し外で待ってみたけれど、私1人先に病院に入ることにして破水かどうかの検査?が、始まった。
「これは破水で間違いないです」と言われ、養父が到着し、陣痛が少しづつ強くなっていく。
これくらいなら耐えられるかも?と甘い考えもあった。
ここからが長い長い…
子宮口が開くまでひたすら陣痛に我慢。
養父が1度手を握ってくれたけれど、手の骨まで砕きそうな勢いだった。
魔の子宮口グリグリが数時間おきにやってくる。
ベッドが折れるんじゃないかと言うほど耐えなければいけない痛みと、とんでもない眠気に襲われる。
助産師さんは、「呼吸上手ですよ!その調子です!」と励ましてくれて神様に見えた。
ヘロヘロの中トイレへ行ってくださいと言われ、『無理ー!!』と言いつつも、陣痛が止まってる瞬間にスタッとトイレへ。
助産師さん立ち会いのもと💩をもらし、そのまま陣痛が続きなかなか便器から立ち上がれなくなった。
でも鬼の修行の様にベッドに戻らされる。
子宮口グリグリが複数人で行われる。
新人の助産師さんに指導するためだったようだ。
陣痛が止まった瞬間爆睡、陣痛で飛び起き痛みに耐えるの繰り返し。
あまりに長い時間耐えて体力もなかったけど、医師の「陣痛促進剤いれて」という鬼の言葉と書類にサインをする。
声も出ない程の痛みに耐えて、やっと分娩台に上がれる時がきた。
1次帰宅していた養父もまた駆け付けてくれていた。
歩いて分娩室まで行き、とうとういきめる!
ところがコツが掴めず、何回波が来ても上手くいきめない…呼吸も難しい。
声が出てて上手くいきめてないからと陣痛促進剤をまた追加され...
医師も時計を見ながら「次こそ頑張るよ!ココだよ!力いれるのココ!」とアドバイスされる。
1回の波で3回いきんで!と難しい難題を出される。
呼吸をハアハアとして頭が見え始めてきた頃、何度も波が来て、死ぬほど頑張っていきんでいたら『おめでとうございます!産まれましたよ』(気づかずまだいきんでいた)と言われ初めて自分の赤ちゃんを見られた。
18時間の出産だった。
赤ちゃんはすぐに色々やるぺき事があって、私は胎盤と会陰切開の痕を縫ったりしていた。
その後カンガルーケアをさせてもらい、写真撮影もして頂けた。
出産後は私の予後が良くなく、車椅子で移動し特別室で過ごした。
でも、赤ちゃん会いたさに出産翌日からは夜間も授乳に向かった。
看護師さんが起こしにきてくれる。
赤ちゃんに会えるのが幸せだった。
電話でイッ〇にも報告をした。
「おめでとう」
退院も予後が悪く、数日伸びてしまい【揺さぶられっ子症候群】のVTR鑑賞会に3回も呼ばれる笑
沐浴は口頭でしか説明してくれなく、そちらの方が不満だった。
退院時も養父が来てくれ、徒歩10分未満をタクシーで帰宅。
お会計に時間がかかり過ぎ、授乳の時間ギリギリになってしまっていた。
ミルトンの準備もしていなく、哺乳瓶の準備もしてなくてあたふた💦
何とか準備をして、養父に初めて孫を抱っこしてもらった。
一人きりの赤ちゃん育児。
旦那さんがいないから楽だったのかな?
初めてのことばかりで、保健師さんと助産師さんの訪問の時に相談しまくりました🤣
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ところで、何が問題かと申すと...
姉が(当事の姉たち夫婦が)、『なごみ、子供欲しさに養父とできてるんじゃないか』、『養父の子供を産んだんじゃないか』と身内や母に言いふらされた事。
私は出産終えるまで身内には秘密にしていた。
しかし、偶然出産直前の最後の買い出し時に病院でバッタリ縁を切っていた姉と会ってしまった…。
しかも、買い出しの付き添いがたまたま養父だった。
実父から「お前も子供欲しくてそんなことしたのか」と言われた...恨みは消えていない。
こんなことを言いふらすから、実母は私と養父が仲良い親子なのが気に入らない。
浮気していると思われている。
子供は間違いなく正真正銘イッ〇の子供です。
今でも母親から嫌われ、ヤキモチを妬かれ、娘とも思われてないのは辛い。
娘の顔はイッ〇そっくりなので、今は誤解も溶けていると思うがヤキモチは変わらず。
私には相談できる相手はできないのか...
DNA鑑定受けておけば良かった。
後悔しても時すでに遅し😟











