先日、亡くなられた高畑勲監督のことを
思い返していたら「リトルニモ」のことを
思い出した。


「リトルニモ」とは
日本とアメリカの共同製作で、
55億円もの巨額の費用が投じられ、
高畑勲、宮崎駿、出崎統、大塚康生、
近藤喜文、レイ・ブラッドベリ、メビウス、
などが製作に関わった
まるで嘘のような企画の話である。

プロジェクトとして動きだしのは1982年頃で
「カリオストロの城」と
「ナウシカ」の間くらいの時代。

ウィンザー・マッケイ原作のコミック『リトル・ニモ』を
原作としたアニメ映画を作るため
日本側監督の候補には高畑と宮崎がノミネートされたのだ。

プロデューサーには、
『スター・ウォーズ』を製作した
ゲイリー・カーツが就任したのだが
結果的にこのカーツのお蔭で
映画は泥沼へと沈んでいくことになる。


カーツが何をしたのかというと
何もしないのである。
日本から行った優秀なアニメーター達が
いろんなアイディアを提案しても全て却下で
ただただ時間だけが過ぎていく。

早々に見切りを付けた宮崎駿は
「ナウシカ」の企画を立ち上げ
1984年に劇場用作品として公開することになる。

残った高畑勲は、なんとか
「ニモ」を形にしようと様々な提案を
カーツにするも、全く話が進展しないことに失望して
結局、退くことになってしまう。

高畑は、その後「ナウシカ」に参加し
プロデューサーを務めることになる。


「ニモ」は、いろんな紆余曲折があった末に
カーツもプロデューサーから外され
1989年7月に映画は完成するものの
興行的には記録的大失敗で終わったのである。

より詳しい話は、大塚康生氏の
「リトル・ニモの野望」に書いてあります。




結局、よく解らないのは
プロデューサーだったカーツだ。
この人がちゃんと進めていれば…と
思わずにはいられないのだが
僕が思うにこの人、宮崎、高畑の
才能にビビってたんじゃないのかなぁ。

当初、現地では出来たばかりの
「カリオストロの城」の上映会を
何度も開いていたらしく
大評判だったと聞いている。

今見ても全く色褪せない「カリオストロの城」の
スピード感と数々の名シーンは
世界でも圧倒的なパワーを見せつけたんだと思う。
ジョン・ラセターもこの頃に初めて見たそうだ。


つくづくなんとも勿体ない企画だ。
プロデューサーって大事だよね。
この時に、カーツの代わりに鈴木敏夫が居たらなぁ
…なんて思ってしまう。
一番、ギラギラしてた頃の宮崎駿が
世界で活躍する姿を見てみたかったなぁ。



1984年に近藤喜文と友永和秀が中心となって作られたパイロットフィルム。