古傷が疼く | 天気屋おっかさん劇場 第弐幕

天気屋おっかさん劇場 第弐幕

3人の子育てもひと段落 
ライター&さしえ作家のアラフィフかあさん
ゆるりきままな日常つれづれ日記

とある保育園の園長をされていた先生にお会いする機会がありました。


最近の保育園の状況はいかがですか?


一時預かりの枠が少なすぎて、働きに出ようと思われているお母さん方がなかなか出られなくて困るという話を聞きます。


どうしてそんなことになってるんですか?


一時預かりって、子育てに行き詰ったお母さん方も利用できるのではないんですか?


その枠は、実は切羽詰まって仕事を何が何でも優先しなければならない事情のお母さん方がどうしても抑えてしまうから、そんな緩い理由では利用できなくなっているらしいとのことでした。


何のための一時預かりなんだろう…。


子育て支援の定義が今、変わりつつあるのかなと…ふと考え込んでしまいました。




17年前の今頃、我が家は大阪にいました。


時代はちょうど子育て支援が始まりかけたころ。


公立保育園の一時預かりなんてまだなくて、民間の託児所が一時預かりを始めたという話がちらほら聞こえていただけのころ。


子どもを育てることってこんなにしんどいとは思わず…。


転勤で田舎から出てきた自分にとって、緊張の連続のまだなれない毎日。


オットは朝7時前には出て、帰りは深夜1時とかもざら。


娘と二人きりの時間が果てしなく長い毎日。


引っ越しして間もなくから、娘はいついうともなく足がふらついて、がくんと脱力し数秒ごとにマリオネットの糸が切れるみたいに崩れ落ちるようになりました。


意識がないから顔から地面に激突するのでいつも顔中血だらけかさぶただらけ。


瞬間的なものなので、顔を打った衝撃で気が付いて大泣き。


でも、人が大好きな彼女は、社宅の外で同じくらいの子どもの声がすると、遊びに行きたくて仕方なくて。


毎日毎日、外に出るのもつらく、行き詰まりを感じていたのですが…。


誰かに助けを求めて、病院、保健所、児童相談所、いろんなところを手繰るようにして紹介してもらっては、訪ねていきました。


当時、保育園は働く親しかかかわりが持てないところでした。


そして幼稚園は、3歳にならないと入れないところでした。


今みたいに、子育て支援センターなんてものもなくて…。


どこに相談したらいいのかわからなくて…。


最初は親戚のおばに相談し、おばが自分の主治医の内科の先生に相談し、地元の保健所に行きなさいと言われ…。


保健所に電話をかけて…子育て相談を受けました。


症状を伝えると「それは気になるから、十三から発達の専門の先生が来る日に予約一杯だけど入れてあげます。必ず来なさい。」と言ってもらえました。


訪ねたけれど、残念ながら、どうもあまり良くない所見。


「大阪総合医療センターを紹介しますから、そちらに行ってください。」


その時にはまだ、病気と障がいが彼女の自己紹介の最初に来るようになるとは思いもよらなかったあの日。


まさか、保育園や幼稚園から入園拒否されるようなそんなことになるとは夢にも思わなかったあの日。


小学校の普通学級に通えないなんて思いもしない、あの日。


中学を途中で辞めざるを得なくなって、追い出されるように特別支援学校に転学しなければならなくなるなんて考えもしなかった、あの日。


そんな一つ一つを歯を食いしばって乗り越えてきたんだよ…おかあさんはね。




子育て支援てなんだろうと、今になって思います。


娘を中心に動いていた頃は、息子たちもまだあかんぼで、まだまだ離れがたい時期から、一時預かりの枠がある託児所や私立保育園を探しては預けていました。


何もわからない3か月から次男は預けたので彼は泣くこともなかったのですが、物心ついていろいろとわかるようになった長男の激しい泣き顔が焼き付いて離れなくて…。


自分自身も泣きながら保育園の階段を駆け下りたことも今は思い出ですが…。


働かなきゃやっていけない人が増えたのは事実です。


私が当時息子たちを預けていたのは、むしろお金に余裕があったからできたことなのだと思います。


本当にいろんなことにくたくたで、子どもたちに手をかけてしまいそうなことが何度もありました。


いっそ子どもと心中でも…と思ったことも一度や二度ではありません。


健常な子ができて当然のことが社会的には認められないんですよね…。


幼稚園に入ることも拒絶されたり、入園しても付き添いを必ず求められたり…。


助けてくれるなら、お金を払ってでも自分ひとりの時間がほしかったのです。




子育て支援てなんだろう。


最近、いろんなところに相談できる場があるけれど、それでも取り残されている子育て中の方はいるんじゃないかと思うんですけど…。


あまり聞かないんですよね…そういう話は…。


もはもはや過去の話だといわれる。


生きいき輝いて、自分探しをしているママたちがあふれています。


きれいにお化粧して、短いスカートはいて、高いヒールの靴を鳴らしてる。


結婚してもずっと最前線で働いていて、子育ても仕事も両立している…そんな理想のママ像をあちこちの雑誌で見かけます。


私は、ひねくれものだから、それは虚構だと思ってしまう。


女性なんだからきれいでいたいのは当然。


子育て中だからと言ってすっぴんで髪振り乱して、ぺたんこヒールなんてはいて、自転車こぐなんてありえない…。


まあ…わかるんですけどね。




元園長先生とも、そんなことをいろいろ話しました。


いつも園で最後まで残る男の子とお母さんの話で…


「早く仕事が終わった日があれば、少しでも早く迎えに来てやって。そうしたらいつも自分が最後じゃないんだと、うれしく思うから」そうお母さんに声をかけたそうです。


たしかに…そうだなあ。


ひとり、またひとりと帰って、いつになったら自分のお母さんが迎えに来るのか、ひょっとしたら来ないんじゃないかと…だんだんさびしくなって来る子どもの気持ち。


胸が痛いですよね。




私は今でもお母さんが、心も体も楽にならないと子どもに影響すると思っています。


だけど、子どもの気持ちに寄り添うこと…母ならばたやすいはずです。


たまにできたひとりの時間かもしれないけど、自分を喜ばす以上に子どもを喜ばしてやろう…。


子どもは自分の分身なのだから、気持ちがつながりすぎていたいくらいわかるはず。


だからこそ、苦しくなるのかもしれないけど。


いろんな子育て支援サービスを利用して、上手に子育てをしている最近の親子を見ていると、正直うらやましくなります。


今は、自分が支援を提供する側でもあるのですが、今のサービスがあるのは当たり前ではなく、それまでにさまざまな社会的な問題としてクローズアップされた事実があり、それにかかわる多くの人たちの苦労があって、少しでも良くしようという流れの中で改善されて形になってきたものだということを知ってほしいと思います。


元園長先生の話を聞きながら、深いなあと思うことも多く、自分の子育て中のころに気持ちも飛んでいきついつい古い傷口がまたずきずき疼いたりして…。


いつになったら、この傷口が痛まなくなるのかなあと…時代の移り変わりを見ながら切なくなってしまうのでした。