救急車で運ばれる時
とても小さくなってる 

家から20分ほどの大きめの病院

着いてすぐの緊急処置のため
寝台に乗った本人を
看護婦さん数人が
病院の奥へと連れて行く

私は1人 

そこら辺のイスに座り
1時間半ほど、大きな荷物を両脇に抱えながら、しばしフリーズ


入院の準備でパンパンになった
カバン
不安を両脇に抱えてるみたいだな

感情と
表面に出てることがリンクしてるなぁ、

ちょっと俯瞰できて
苦笑い、

少し落ち着いた。


前には変な油絵





病院の先生と繋がる安心感
でもまた
同じことを繰り返すんかな、、

化学療法でしか方法がないと
また言われるてしまうんだろうか、

そしたら本人が
また退院したいと言いだし
家で素人が看病する、

充分な介助ができるのだろか?
私、
できないよね、思いっきり、素人だよ

もしも、2日前のように
話せなくなった本人に
どんな処置をしたら
命を守ることができるんだろう、

その都度 救急車を呼ぶのだろうか

すごく重要な役目過ぎて、





不安の方が正直大きい、、


こんなことを頭でぐるぐる考える

その都度

目の前にある 油絵で、ここに戻る

本当に
変な絵だよ、

気を紛らわしてくれるために
あるのでは
と思うような 変な絵、


こう言う時は
美しい絵より
変な絵の方が、私にとって

 不安が散ってありがたかった。




全て必要だから、在る のか。






1時間半ほどして、
先生と 
初めて対面できた。

以前のデータ拝見しました、
病気が悪化しています。

しばらくは集中治療室での入院です、

今までの経緯、全部お聞かせ願いますか?


この1年のことを全て、
こと細かく伝えた。
代替療法のこと、
病院嫌いなこと(病院の先生に面と向かって言いづらいけど、この時はなぜか言えた)


それでも 生きたいと言う意志があること。

先生は とても静かにうなづいて聞いてくれた、
この言葉少なめ
装いが少ない人

私は、短い時間ながら
信頼できた。
この人が一番最初の先生なら
随分変わってたのかも知れない、

治療を選ぶことはもちろん大切
それと同じように
人と人
一緒に治療をしていく人を選ぶこと
見えない何かが
大切だなと感じます。

 
わかりました、今後のこと
またお話しながら

と先生は言い、
一緒に
集中治療室へと向かう、

数時間後、本人の意識が戻り、
本人と
何か一言二言喋った記憶があるけれど、

私はモーレツに眠たかった。
何を話したか
その後どうだったか
あまり思い出せない。

東京から帰って来てそのまま緊張状態がずっと続いていたからなのかな、

つい2、3日前のことが遠い昔
それが週ごとにおそってくるもんだから
未来のことも過去のことも、
ここ半年、考えが及ばないのです。

現実の変化が速過ぎて
毎日朝が来るたび違う世界に来たみたいでした。

泥のように寝た 次の日


ダンナさんは
まだ、集中治療室ですが、
少し話せるようになっていた、、


耳は殆ど聞こえないようで、

こちらから話しかけることは
殆どしなかった


用事を済ませて
帰ろうと
した時


一緒にご飯食べたい、


とぽつっと言った、




うん、
食べよう


この時、ダンナさん、
5歳の子どもみたいだった


つられて
私も5歳のようになって




過去も未来も知ったこっちゃない
5歳に近かったように思います。



この時に、
私の大切にしていた何かが
変わりはじめたようでしたが
まだ、蓋をしていたように思います。

ただ
一緒に
ご飯を毎日食べてあげたいな、

と。



その次の日、先生から集中治療室から
個室へ移動できる
とのこと。

通してる管も2本くらいになり、
話せるようになった。

少しゆっくりしてから
本人が話し出した、

一回死んで
生き返ったみたいに、右も左もわからない。

今まで、信じてたことも
そうでないことも、

全部わからなくなったそうです。


ゆっくりと
ポツリポツリと話すダンナさん



先生との面談の時間がはじまり、
話は途中で終わり


先生は
今までにない、提案をしてくれた、


9へ続く