版画をしていた時のものが物置から出てきました。
自分でもびっくりなほど 懐かしい と言う感覚はなく、
当時の作品のことをあまり思い出せない、、

びっくり
なんでこんなカタチなんだろうと
初めて見たような、新鮮な気持ち。


時間と共に私が作られている
と言うより

その時代の
その時間に私が張り付いて
ひとつの絵
みたいになっていて

なんも今は持ち合わせていない!びっくり
過去のあれこれを手に握りしめていなかった

ような身軽さを
今は、在るんだなぁと思います。


そのことに
だめだとか良いとか
いちいち自分で良し悪しを
あまりつけなくなりました。

私自体が
いろんな立場に変わっていったり
そんなことある!?みたいな経験を
してきたら

ここまでが私 それ以上は私以外と思い込んでた枠も
どんどん広がっていってるような気がします。

こうあるべき
とか
こうしなければ
とかを
無くしていく作業が
今は
とても
懐かしい 感覚です。

赤ちゃんに戻るような

そんな無垢な ところへ帰るための
あれこれが

おこっていく 不思議。



できた絵より
版木 の方が 、ずっと見てしまう、
木 というモノが持つ雰囲気が懐かしいのかしら。

完成したかった絵より
その絵を完成させるための道具やモノが
美しい雰囲気が漂ってます。


表現したくて
期待して
憧れて
身につけたくて
そこに向かって進むのだけれど、

結局 それは期待すればするほど
あっけないほど
美しい からは
かけ離れるようなこともあるんだなぁ
と思います。


今すでに手元にあるものや漂ってる雰囲気が
実は思ったより
キラキラしてる?のかな





おじさまおばさまに紛れて
朝5時散歩を最近続けていて、

太陽の光が 激しくなってきました。


産まれる時もこんな激しい光を
チラチラ見ながら
産道を通ってたのかも

ときどきそんなことを思いながら
散歩、してます。変態DESU


どれもこれも
良い悪いも
NOジャッジ
時々ジャッジしてしまうこともこれまたよしチュー



朝の散歩で

描いたり作ったり、石と戯れたり
色々と計画を立てるのが楽しいです。

で、そんな計画通り行くわけもなく
結局できないことが
多いのだけど、、

そんな自分に
嫌気もささず、お付き合いいたします。


今日も
それぞれがそれぞれの
実りある時間となりますように