母は透析を受けながらも、働き、家事をし、僕たちの夕食を欠かさなかった。
魚を焼く匂いが台所に広がると、正直子供の僕は憂鬱になった。
けれど今思えば、その一皿にどれだけの力を振り絞ってくれていたのだろう。
疲れて腰を曲げながらも、包丁を握り、フライパンを振る母の姿は、当時の僕には「当たり前」にしか見えなかった。
中学に上がると、僕と兄はおばあちゃんの家で暮らすようになった。
それでも母は、仕事の合間や透析の前後に、わざわざ帰ってきて夕食を作ってくれた。
その顔は本当に辛そうで、時には青白く、立っているのもしんどそうに見えた。
でも僕は優しい言葉ひとつかけられなかった。
むしろ不満や苛立ちをぶつけてしまうことさえあった。
「どうしてうちだけ、こんなに大変なんだ」
そう思いながら、母の姿に背を向けていた僕。
自分のせいで母が病気になったと思い込んでいたからこそ、感謝の言葉なんて口にできなかった。
胸の奥にあるのは「ごめんね」ばかりだった。
それでも母は、いつも僕の味方でいてくれた。
僕がタバコを吸ったり夜遊びをしても、頭ごなしに怒ることはしなかった。
「やるなら人を巻き込むな」「やるなら見つからないようにしなさい」
そんな冗談めかした言葉を残しながら、最後には僕を受け止めてくれた。
母の強さは、優しさと同じくらいに深かった。
当時は理解できなかったその愛情が、今も僕の中に生きている。
あの時の後悔と共に。
「母がどんなに頑張ってくれても、僕の心は満たされなかった。
気がつけば、友達と過ごす時間ばかりを求めていた。
次回は、そんな“空白の時間”についてお話しします。」