エドワード・ゴーリー『蟲の神』 | 本の虫凪子の徘徊記録

本の虫凪子の徘徊記録

新しく読んだ本、読み返した本の感想などを中心に、好きなものや好きなことについて気ままに書いていくブログです。

【再読】  エドワード・ゴーリー『蟲の神』 柴田元幸訳

 

本日はこちらの作品を再読しました。

絵本です。表紙がもう既に不穏ですね。

残酷なストーリーと、細い線で描かれた神経質そうな絵が特徴な、「大人のための絵本」を書くことで知られているゴーリー。日本にもファンが多く、かく言う私もそのうちの一人です。

この『蟲の神』は、中でもとりわけ好きな作品です。ゴーリー作品の中で一番好きかもしれません。

表紙に描かれているような、四本脚の巨大な蟲たちが登場します。

それでは早速、感想の方を書いていきたいと思います。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

幼い少女のミリセントが、得体の知れぬ者たちに攫われて蟲の神の生贄にされてしまうお話です。
はっきりと残酷な描写があるわけではないのですが、全体的に不穏な空気が漂っていて非常に不気味です。
ミリセントを連れてきた屋敷の中で蟲たちが興奮している場面、
【大きな部屋に 子を運ぶ
 鏡も帳(とばり) もねばねばで
 皆がブンブン 空を飛ぶ
 胸熱(いき)り立つ 罪の場で】
というページが特に好きです。細長い脚と触角を持った蟲たちの絵が絶妙に気持ち悪い。

最後の一節
【噫 ミリセント いけにえ哀し
 捧ぐる神は 蟲の神】
でお話が終わります。
いたいけなミリセントがその後どうなってしまったのかまでは明かされません。
多くが謎に包まれたままの、後味の悪い終わり方です。

訳者によるあとがきがまた、面白い。
本文では韻を踏ませて訳しているところ、韻を踏まず意味をより原文に忠実になるよう訳した散文調の訳も、おまけとして載せてくれています。比較しながら読むとなかなか楽しいです。
上に挙げた一場面も、正確には
【彼らは子どもを カーテンにも鏡にも
 ねばねば光る筋のついた舞踏室に連れていき
 空中をブンブン グワングワン飛びまわり
 罪深き儀式に向けて 胸を高ぶらせていった。】
となります。
最後の一節も、
【そうして ミリセント・フラストリィは
 蟲の神の生け贄に捧げられたのだった。】
とするのがより正確な訳であるとのこと。
韻文である本文のほうが、流石に響きは良いですね。【罪深き儀式に向けて】〜を【胸熱り立つ 罪の場で】としたのはかなり良いセンスだと思います。格好良い言い回しで中二心が擽られました。

それにしても、ガガンボじみたこの四本脚の蟲たちは一体何のメタファーなんでしょうか。
 

それでは今日はこの辺で。

 

 

 

年4回の楽天スーパーSALE開催!9月4日~11日まで!