辻村深月『盲目的な恋と友情』 | 本の虫凪子の徘徊記録

本の虫凪子の徘徊記録

新しく読んだ本、読み返した本の感想などを中心に、好きなものや好きなことについて気ままに書いていくブログです。

【再読】 辻村深月『盲目的な恋と友情』 新潮文庫

 

本日はこちらの作品を再読しました。

辻村さんの作品ですがファンタジー要素はなく、少し暗めというか、大人向けのお話です。

主人公は大学生の女の子二人。同じ時系列の出来事を、二つの視点から追っていく展開となっています。

それでは内容について書いていきたいと思います。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

第一章は盲目的な「恋」を描いたお話です。
主人公の蘭花は、私立大学の管弦楽団で第一バイオリンを務める女の子です。宝塚の元娘役だった母を持つ非常な美少女で、賢く、芸術的なセンスもある、誰もが羨むような人物です。一瀬蘭花(いちのせらんか)という華やかな名前がピッタリ似合ってしまう程の完璧な美貌。ただし、本人はそのことには若干無自覚です。

オケの指揮者である美青年の茂実星近に惹かれ、彼女は初めての「恋」を経験します。身体の相性が良かったこともあり、そこから物凄い勢いで茂実にのめり込んでいきます。
茂実と交際を始め、美しく才能ある恋人を手に入れたことに有頂天になる蘭花。茂実の元恋人の稲葉先輩や、茂実の友人・平野を見下しては哀れんだりと、勝ち組の余裕から来る感じの悪さが目に付きます。
この先の展開を知っている身からすると、今、幸福の絶頂にいる彼女が可哀想に思えてきます。所詮は道化だったわけですから。

彼女が真の意味で「盲目的」になるのは、この後、茂実が師の妻・菜々子と関係を持っていたということが判明してからです。
菜々子は茂実より二十も年上、もう五十歳にもなろうかという美しいマダムです。彼女の登場で蘭花の生活は狂い始めました。

菜々子との関係を否定する茂実。そして、彼の稚拙な嘘に呆れ、彼を信用できないと思いつつも、別れることなどは一切考えていない蘭花。
理解し難いのは蘭花のその精神です。どう見たって別れたほうが良いのにその後もずるずると関係を続け、茂実との乱暴なセックスに溺れていきます。茂実と菜々子のことで頭がいっぱいで、ストレスからどんどん痩せていってもまだ、彼のことが好きで好きでどうしようもなくて、一緒にいたい、一緒にどこまでも墜ちて行きたいとすら思うようになります。彼女の世界には茂実しかいません。あまりにも盲目的な恋です。

最終的に、師匠に菜々子との関係が露見したため、茂実は仕事を干されます。その後の彼の転落ぶりは絵に描いたようです。性格は荒み、蘭花に金をせびるようになり、手を上げたり、脅したり。とことん卑劣な人間に成り下がります。
最後には泥酔状態で陸橋から転落して死亡、状況から自殺と判断されました。
蘭花は別の男性と婚約し、彼女の結婚式のシーンでお話が終わります。穏やかな愛情を胸に、茂実との激しい恋愛を思い返す蘭花の姿が印象的でした。もう完全に茂実は「過去の男」のようです。

もしかすると茂実も、遊びで蘭花と付き合っていたのではなく、きちんと結婚まで考えていたのかもしれません。けれど真剣な愛ではなかったのだと思います。蘭花が茂実に依存していたように、彼もまた、菜々子の支配から逃げ出すことはできませんでした。
彼の死について同情はしません。悪人というほどではありませんが、セックスを隠し撮りしてそれをタネに蘭花を脅すというのは控えめに言っても下衆な行いでした。心の弱い人です。そういう部分が菜々子に付け込まれる原因になったのでしょう。

若い恋人たちを苦しめて遊んでいた菜々子は性悪に違いありませんが、彼女の、若さを妬み、憎悪するその苛烈な精神は魅力的です。あくまで個人的な感想ですが。
やっていること自体は最低です。茂実や蘭花の人生が狂った原因はほとんど彼女にあります。
この人はその後どうなったのでしょうか。


第二章は盲目的な「友情」の方を描いたお話です。
主人公の傘沼留利絵は、蘭花の女友達です。オケでは蘭花と同じ第一バイオリンを担当しています。
「恋」の方でも主要人物として登場し、蘭花が破綻した茂実との関係について相談する相手、蘭花の話を黙って聞き、その恋を見守ってくれる存在として描かれます。後半で一緒に暮らすようになります。
この章では、そんな留利絵から見た蘭花の恋の様子、そして蘭花への異常な執着心が描かれています。

この留利絵は蘭花とは対照的な人物です。
痩せぎすで目が細くニキビ跡の目立つ、あまり良いとは言えない容姿の持ち主で、オシャレに興味がなく、化粧もせず、着飾る女の子たちのことを「男に媚びている」と馬鹿にして見下しています。冗談の通じない性格で、卑屈で神経質。蘭花との共通点は、二人とも賢く、美術への造詣が深いということくらいです。

幼い頃から美しい姉と比べられ、男子にはからかわれ、女の子たちからはくすくす笑われる、そんな扱いを受けていたため、内心で周囲を憎む陰気な性格になりました。自分を馬鹿にする男子より、その後ろで「やだーやめなよー」と言うタイプの女子の方が憎い、というのが特徴的ですね。可愛い子がいるから、自分が比べられて差別されるんだ、という思考です。女性作家さんならではのリアルな心情描写だと思います。
そういった経験から、派手な子、明るい子、可愛い子を無条件に苦手とするという気持ちもよく分かります。留利絵の性格から考えると、第二バイオリンの美波、オシャレで明るく、合コンを繰り返す彼女を特に苦手に思うのも当然だと思います。

ずば抜けて綺麗で知的な蘭花に対しては嫉妬よりも羨望が勝り、留利絵は彼女にのめり込んでいくようになります。
周囲の人間を低能と見下している留利絵は、優れた人間から認められることで自身の承認欲求を満たしています。酷い言い方になりますが、高尚な人物から認められれば、自身も高尚になれるのだと思い込んでいるようです。
容姿にコンプレックスのある留利絵が、美しい蘭花に親友として選ばれたい、と思う気持ちは、複雑ですが理解できます。彼女は周囲の人間、特に美波に対して「私は不細工だけど、この誰もが羨むような美人で頭の良い蘭花が選んだのは、あなたたちではなく私の方なの」とアピールしたいのでしょう。

正直、留利絵はもう少し別の方向で努力をするべきだったと思います。自分の外見をそこまで気に病むのなら、それこそ整形なり、そうでなくともメイクやファッションを勉強するなり、色々とできることはあるはずです。そういう必死の努力をせず、逆にオシャレをする女子をみっともないと軽蔑する彼女のプライドの高さ、それが彼女をよりみじめな存在にしています。

そして恋愛に失敗し、プライドを傷つけられたことでより一層蘭花に依存するようになります。蘭花に一番に頼られること、蘭花の親友であることが留利絵にとっては最も重要なことのようです。
【できることなら、学内で、私と蘭花が一緒に歩いているところを、その子たちにも見せたい。見てもらいたい。
私をこれまでバカにして、私を傷つけてきたすべての人に、蘭花を見せたい。】
このモノローグに、留利絵の精神性が凝縮されています。大きなダイヤの指輪を見せびらかして、私はこんな高価なものが似合う女なのよ、と言うのとあまり変わりありません。

蘭花のことが好きなのは本当でしょう。蘭花を大切に思い、茂実のせいで傷つく彼女のために、本気で怒っています。一緒に暮らし、情緒不安定な蘭花の世話を焼いてあげるのも友情あってこそです。が、留利絵の場合は見返りを望んでいるため、無償の献身ではありません。別に友情が無償の愛である必要はないのですが、彼女の場合、蘭花からも同じくらい愛して欲しい、自分に依存して欲しい、という欲が強すぎるのです。
自分よりも茂実を優先する蘭花のことを内心では恩知らずとなじり、憔悴しながらも彼と別れることのできない様子を、なんて愚かな子なんだろうと蔑みの目で見ている留利絵。
【いつか、反省してくれるだろうか。
自分がひどい行いをした親友が、それでも隣に居続けたのだということを、彼女が自覚する日は来るのだろうか。】
誰にも愛されたことがない留利絵は、大勢の人ではなく、ただ一人の親友である蘭花に愛されたかったのかもしれません。

ただ、蘭花にとって留利絵は「仲の良い友人」の一人でしかありませんでした。第一章の蘭花視点で見るとそのことがよく分かります。蘭花にとっても留利絵は大切な友人ですが、たった一人の親友というほどの熱量はなく、美波と同程度です。
蘭花がはっきりと留利絵を特別だと認識するのは、「恋」の本当に終盤です。

実は茂実の死は自殺でも事故でもありませんでした。
確固たる意思で茂実を陸橋から突き落とした蘭花と、その隠蔽を手伝って殺人の共犯者になった留利絵。茂実の支配から逃れ、新しい人と新しい暮らしを始めようとする蘭花は、確かに留利絵に感謝していました。現金ですが、そこでようやく留利絵を「私の親友」だと認識します。
ですが、留利絵にはそれでは足りませんでした。もっと感謝して、拝んで欲しかった、そうされることが当然だと思っていました。けれど蘭花はその後あっさりと結婚し、留利絵と離れて暮らすことを躊躇いもしません。留利絵からすればそれはやはり、恩知らずな行いだったのでしょう。

殺人の証拠になり得る、茂実のスマホ。ずっと持っていたそれを警察に送り付けることで、留利絵は蘭花が自分から離れることを阻止しました。
結婚式の途中で刑事に連行されていく、白いウェディングドレス姿の蘭花と黒いワンピースの留利絵。
【私がそうであるように、恋人も未来も、何もかも失った蘭花の横から、それでも、私だけは、これからも離れない】
留利絵の微笑みで、物語は幕を閉じます。

はたして、これは友情と呼んで良いものなのでしょうか。愛であることは確かなのですが。

私は第二章「友情」の方が好きです。キャラクターとしても、蘭花より留利絵の方が魅力的に感じます。割と感情の淡白な蘭花に対して、留利絵の方が人間臭いからかもしれません。辻村さんは、キャラクターが自分のコンプレックスと向き合うような文章が本当にお上手だと思います。繊細かつ鋭い心情描写が胸に突き刺さるようです。残酷なまでにリアルです。

そして意外と気に入っているキャラクターなのが美波です。
留利絵いわく「俗っぽくて、普通な女」。気安い態度と視野の広さですいすいと世の中を渡っていく姿は、傍から見るととても気楽そうで羨ましいです。留利絵も、素直に美波のような「オシャレで明るい大多数の女の子」になりたいのだと認めることができれば、もう少し違った人生を歩んでいたかもしれません。

美波が留利絵のことを「ルリエール」とあだ名で呼ぶ場面がありますが、フランス語で「蔦」という意味の単語に定冠詞を付けると「Lelierre」ルリエルになります。偶然でないとしたら「蘭」と「蔦」。なかなか象徴的な対比だと思います。
 

以上です。

そのまま映画化出来そうな物語構成です。

叙述的なトリックもあり、初めて読んだときは、茂実の死の真相が明かされる場面に衝撃を受けました。こういうのに引っ掛かってしまうと少し悔しくなります。辻村さん、流石です。

それでは、今日はこの辺で。