【再読】 谷崎潤一郎『春琴抄・吉野葛』 中公文庫
昨日、ふと思い出したこちらの作品。
今日は他に読みたいものも無かったので、久々に再読してみました。
以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。
『春琴抄』
相変わらず一文が長い。そして読点が少ない。
蠱惑的な盲目の美女、春琴。大好きです。
目が見えなくなる前は愛嬌があって人当たりの良い明るい少女だったそうですが、私は、盲目になってからの春琴の方が好きですね。気難しくて意地悪で贅沢好きで、異様なほど気位が高い。これでこそ春琴です。
甘やかされて育ったため非常に我儘で、察しが悪いとすぐ不機嫌になります。佐助も彼女の世話に慣れるまでは相当苦労したことでしょう。用を足すときも風呂に入るときも、自分の手は使わず全て佐助にやらせていたそうです。気を許している、というより最初はただ便利な道具という認識だったのかもしれません。
春琴の一番の魅力は、やはり彼女の自尊心の強さだと思います。
肉体関係を持った後も佐助を奉公人風情と見下し続け、両親から結婚を勧められても「佐助などとは嫌でござります」と拒み、お腹の子の父親が佐助であるとは最後まで認めようとしませんでした。目下の人間と関係を持ったことを恥じているのでしょう。周囲が、薬屋の息子の佐助であれば体の不自由な娘の相手としては丁度良いだろう、と言っているのも、己が軽く扱われているようで気に触ったようです。
家を出て佐助と同棲するようになってからも夫婦のように見られることを嫌がり、佐助にも主従らしく振る舞うことを命じるという徹底ぶりです。そして少しでも佐助が気を抜いて接しようものなら、その後平身低頭して謝られようとも決して許さず、執拗に無礼を責め続けます。
そのくせ、彼が若い女弟子に稽古をつけたりすると途端に嫉妬して機嫌を損ねるのですから、本当に面倒臭い性格をしています。
そしてこの春琴、芸人としての腕は間違いなく一流ではあるのですが、激しい気性と暴力的な稽古のせいで弟子の数も少なく、お師匠さんとしてはあまり優れた人物とは言えません。当時は珍しいことでもなかったにしろ、三味線のバチで顔をぶん殴るのはいくらなんでもやり過ぎでしょう。相手が佐助や下心で近づいてくる男ならまだしも、真剣に芸事を習いに来た女の子の顔に傷跡をつけるのは、恨まれても仕方のない行いだと思います。
まあ、そんな苛烈な稽古も一部の好きものには人気だったようです。まったく、いつの時代にもマゾヒストは存在するようです。佐助も若干この気があるようですし。
そして春琴は贅沢も大好きです。資産家の家に生まれ、何一つ不自由することなく育ったお嬢さんなわけですから、好みが贅沢になるのも当然ですが。
潔癖で、お洒落好きで、美食家。どれか一つとってもこだわりが非常に強いため、彼女の生活には大変お金が掛かっています。小鳥好きということもあって、鶯や雲雀のために贅を凝らした飼桶や餌を用意したり。彼女の浪費の裏でぎりぎりの倹約生活を強いられている佐助たちが不憫でなりません。使用人たちが愚痴るように、鶯の方がよっぽど大切にされています。
これで本人が、ただ金を湯水のように使う考えなしの浪費家であればまだ可愛げがあるのですが、実際は計算が得意で金に汚く、月々の収入支出を正確に把握した上で佐助たちの食い扶持を切り詰め、その上で一人だけ贅沢三昧をしています。強かで賢い悪女です。
外では猫を被っていても内ではこのように女王様然と振る舞っているわけですから、それは敵も作るでしょう。
春琴の顔に熱湯をかけた犯人は不明のままですが、容疑者が複数挙がるあたり、相当いろいろな所から恨みを買っていたようです。可哀想ですが自業自得ですね。
佐助ではありませんが、事件の後ですっかり苛烈さが鳴りを潜めてしまった春琴を見ていると、確かに、以前の彼女に戻って欲しいと思う気持ちにもなりますね。気弱になった春琴もこれはこれで魅力的ですが。
まあこの事件をきっかけに、春琴の内面で何かが大きく変化したことは間違いありません。その後彼女の奏でる音曲に深みが増していったことから、おそらく、より良い方向での変化なのだと思います。それは高慢な春琴を愛した佐助からすれば、受け入れにくい事実であったのかもしれませんが。
あの事件をきっかけに、というより、佐助が自分を思って盲人になった時を機に、春琴も自分の佐助への愛情を認めることができ、少し素直になることができたのでしょう。佐助が失明を告げる場面の二人のやり取りは、何度読んでも感動します。
佐助の異常な献身については、「春琴を愛しているから」の一言で説明がついてしまうからか、不思議とあまり興味が湧きません。彼は春琴を一人の女性としてというより、神のように崇拝して愛していました。彼の行動や後世に残した記録はまさしく信者のそれと同じものです。
私は、そこまで佐助という人間を惹きつけた、春琴の魅力の方に興味があります。タイトルも『春琴抄』なわけですから、谷崎潤一郎としても、このヒロインをどれだけ魅力的に描くことができるかを一番に考えつつ、この作品を執筆したのではないでしょうか。
個人的には、読了済みの谷崎作品の中では最も魅力的なヒロインだと思っています。
『吉野葛』
亡き母の面影、「永久に若く美しい人」を追う津村は、どことなく光源氏に似ています。こちらは童貞ですが。
吉野の自然や風景の描写は美しいですね。
「妹背山」の場面。紙漉きが盛んな村にある古い煤けた田舎家の、障子の紙だけが新しく、ちょっとした破れ目も花弁型の紙で丹念に塞いであるのを、「貧しいながらも身だしなみのよい美女」と表現するセンスが素敵です。
「初音の鼓」は中々タイムリーな話題でした。丁度大河ドラマで義経と静御前を見たばかりなもので。それから、今にも崩れそうな熟柿が美味しそうでした。私は柿はガリガリに硬いほうが好きですが、この熟柿は地元の名産ということもあって非常に美味しそうで、気になります。
そしてこのお話にも狐が登場するんですよね。何だか最近、「狐」という字ばかり見ている気がします。
吉野に限らず、日本各地に狐の伝説は数多く残っています。つまりはそれだけ身近な存在だったのでしょう。私も野生の狐、できれば女狐に遭遇してみたいものです。
この二編はどちらも同じくらいのページ数なのですが、やはり『春琴抄』の方が強烈に印象に残ります。
『吉野葛』も好きですが、春琴の魅力には敵いません。あくまで個人的な感想ですけれども。
巻末の河野多恵子さんの解説も面白いです。特に、佐助のマゾヒスト願望が春琴をサディストに仕立て上げた(読者にそういった印象を与えるように意図して描かれている)、という部分や、作品のモチーフは佐助の失明願望である、という部分はなかなかに興味深かったです。
以上。
谷崎の描く女性は本当に魅力的です。
本人の女性遍歴や、モデルとなった女性について知った上で読むとまた面白いです。
『細雪』も読み返したくなりましたが、あれ、長いんですよね。読み始めたら数日は掛かりきりになりそうなので、いつか纏まった時間が取れた時にでも読もうと思います。
それでは今日はこの辺で。