今年入って初めての更新(笑)
ゆーて、ゆぅちゃんも更新してへんなww
先週、宮城の東松島市に舞子高校第四クルー。普通科として
一週間、支援ボランティア行ってきました。
片道約14時間やから実際は5日間しか活動出来んかってんけどな(-。-;)
生徒29名、引率教師3名
4班に分かれて現地で活動してきた!!
葵は3班で、班員は7名
千奈津先輩 つーさん 寛乃 福政くん
はっし- ゆーまん
2日目
朝から頭痛くて、ゆーまんは熱出してぐだぐだやった
前の日の夜は余震続きやった。
朝っぱらから雨被りながらプランター作りしたからやw
雨の影響でその日のプランは全部なしになった。
その日ボランティア入ってた家の人には申し訳ないとおもった。
バスの運転手の計らいで被災地をバスで見に行った。
・・・・。
声出んねん。さっきまでの山の風景が嘘やとおもった。
家の門が前だけ立ってるのとか見てると
ここに家があったなんて考えられんかった。
ここに人が住んでたんやろな。。
当たり一面が茶色くて、何がなんだかって感じ。
被害を受けた、鳴瀬第一中学校は全部飲みこまれてた
ここらへんかな。
そのあと避難している人の避難所に行った
おばあちゃんとか子供とかいっぱいで、葵らが行ったときには
もうだいぶの世帯が仮設に移ってたみたいやけど、やっぱり窮屈そうやった。
ひとりのおばあちゃんの話を聞いた。話しながらずっと手をつないでくれた。
地震の次に津波、その次に雪。おばあちゃんはすぐに山の神社に
逃げたそうで生き延びれたらしい。
そこには80近くのおばあちゃんもいたらしいけど、
寒さ上にその夜お亡くなりになられたと話してくれた。
津波から、地震から生き延びた方でも寒さ上に亡くなられた
赤ちゃん、ご老人はもっとたくさんいるだろうと思った。
その夜は、同じ交流センターで避難している方と一緒によるご飯を食べた。
松島一の旅館、一の坊さんが来てくれて
おいしいご飯をふるまってふれた。
市長さんもきてくれた!後、高須?クリニックの医院長さんも来てくれた!
医院長さんは現地の方に無料で整形手術をしに来たらしい!
阪神淡路大震災の時もそんな活動をして下さったとのこと。
3日目
台風接近。警報の中。
元家具屋さんだったお店の中のお掃除をさせてもらった。
29人全員でやったけど泥はなかなか落ちないから
てこづった。約30センチくらい浸かったのかな?
捨てるものも多かった。そこはボランティアの拠点の場所に
改築するらしい!頑張ってもらいたい。
そのあとは公民所に行った走って約1分。
でも強風で全然進めんかった。飛ばされるかとも思った。
そこでは関西の方では放送されなかった、自衛隊が撮ったビデオを見た。
凄く生々しくて、正直、怖い、見たくないとも思った
でも目が離せんかってんよな(+_+)
津波が早くて、人が手あげてその中浮いてんねん。
生きてるねん。絶対助けてって言ってるねん。
何回も沈んでは上がってきて両手挙げてるねん。
それも一人じゃない。何人も。
あれはなんやったん?本間に3ヵ月前に日本で起こったん?って疑いたくもなった。
車なんておもちゃみたいやった。
そのビデオ見てるとき、誰も動いてなかった。みんなも葵とおんなじこと思ってたんかな?
そのあとに実際津波に流された人の話を聞いた。
津波来るなんて信じられんかったらしい。だから
運河の方に向かって車走らせたらしい。
んでそん時、誰かが『あっ!』ってゆったらしいねん。
その方向向いた時にはもう津波に流されてたらしい。
その方はもう死ぬんやって思ったらしい。
でも車の窓自分であけて浮力でどっかの工場の2階の窓にしがみついたとか。
人間ってすごいと思った。窮地に立たされた時なんだってできるんやと思った。
その人はその時助けを求める声が聞こえたともおっしゃってた。
おじいさんを助けられなかったことも悔やんでた。
そんで、すっごい不満も抱えてらっしゃった。
ほとんどは物資によるものだった。
物資は何でも送ればいいってもんじゃない。
精神的につらい時に洗っていない洗濯物片方しかない靴下
しみがついてるワイシャツ。
一つの箱に食べ物服いろんなものを詰められても困るみたい。
うちらが良いとしてやってたことは余計現地の方を苦しめていたみたぃ。
送る側ももっと相手のことを考えて送らなければならない。
学んだことは他にもある。
((車で逃げてはだめ))
・渋滞する
・情報が一方からしか入ってこない
・道路は津波の勢いが早くなる。(障害物がないから)
これは憶えといたほうが絶対いい!
いろんな方に知ってほしい。
現地の方が言ってるのだから。
そのあとは鳴瀬第二中学校にお花を届けに行った。
(鳴瀬第一中学校の子が避難していて、そこで勉強しているから)
82パーセントの生徒が家からの通学はしていないらしい。
生徒の顔にあまり笑顔がなかった気もした。
「頑張ります」って言ってくれたけど。
「頑張って下さい」って言ったけど。
これが正しかったのか、葵には分からへんかった。
3ヵ月頑張って人たちにまだ頑張れって・・・・。
ひどい言葉やったかもしれん。
4日目
この日は快晴!
津波で殆ど使えなくなった家をぉ掃除させてもらった。
もう床もなくしきりもほとんどなく。
津波に跡は葵の身長を裕に超えていた。お風呂もトイレも
草と泥だらけで、リビングらしき場所も床は見えない。
トイレのカレンダーは3月のままやった。虚しい気持ちになった。
壁から泥を落として行って、最後に床。
写真も出てきたし、津波で倒されたトロフィーもあった。
野球のかばんも、グローブもバットも。
これ、一日でできんのかな?って思ったし、苦しい場面もあったけど
最後おうちの方が帰ってきて家の中見たとき
ほんとに感動してくださって、何度も何度もありがとうございますって。
葵ら、ほんま泣きそうやったやんな?
少しでも役に立てた気がした。このことでちょっとでもおうちの方の気持ちが
楽になって、次へと希望を持ってくれればと思った。
5日目
もう班員は仲良くなっていた。朝から食事班よりも早く起きて、
外にランニングしにいった。山の朝の空気は気持ちよくて
かなりリフレッシュにもなったし、今日も頑張ろうって思えた。
山ん中はホントに津波があったなんて嘘のように
田んぼはきれいで、少し寂しい気持ちにもなった。
東松島は田んぼが絶対きれいだったはず。
ほらね??
この日は、おばあちゃんのおうちにお邪魔した。
石巻市はやっぱり被害は大きいです。
だいぶお宅にはボランティア団体が入ってきれいにした跡はあった。
でも、ゆかには段ボール引いてあったし、タンスとかには泥がついてたり
前日のお宅に比べれば人も住んでたし、トイレもお風呂も使えるから
きれいだったけど、引き出しは泥で固まってあかないし
開いたと思ったらカビが生えていたりしていた。
おじいちゃんは地震の後に亡くなったみたいで
おばあちゃん一人で不安だったんだろうとおもった。
カビはおばあちゃんの体に悪いから、寛乃と全部落とした。
細かい作業が多いのは逆に大変だんやと分かった。
ここも海から離れていたけど100メートル浸水していた。
三浦さんは葵らに優しく接してくれたし、仕事もたくさん与えて下さった。
お昼御飯にはお宅に上がらせてもらい、葵らがおにぎり食べてるのを
ニコニコしながら見てくれていた。めっちゃかわいいおばあちゃん(T_T)
でも、田んぼが全部だめになったって話をして下さった時は凄く悲しげやった。
戦時中の話もして下さった。田んぼの水を飲まされたんよ?って。
笑って。おばあちゃん、大好きになったョ( p_q)
6日目
活動自体最終日
区役所にプランターを届けに行った。これでプランターわ全部終わったけん。
この日は大きなお家の泥かき&ジャリかきをした。
スコップですくいたいのに、ジャリだから全然すくえないし、重いし、
土納も重たい。でも力仕事は若者の仕事やし、葵らは手助けしにきたから
出来ることは全部やって帰ろうと思って頑張った。
最後は手でジャリを拾って、この大きな庭にきれいなお花が早く咲けばいいなって思ったりもした。
7日目
14時間かけて神戸に戻ってきた。
神戸に近づくに連れて宮城の風景が薄れて行くのは
ほんまに怖かった。
この一週間を通して感じたこと。
被災地は、3ヵ月たった今、復興には向かっているのかもしれないけど
被害の跡は、そのまま残っている所が大半。
自衛隊の人は人が埋まってるかもしれないから
土を掘るのも凄く気を配ってやているらしい。
バスから見ていても川をずっと捜索してる人もいたし。
まだまだ埋まってる遺体はこれから出てくるって言ってた。
海にもまだまだ沈んでるとも。
田中先生が言ってたんやけどね?
小学生の男の子がね、グローブはめたまま、遺体で見つかったらしいんよ。
葵ね、それ聞いて泣きそうやった。田中先生は泣いてたかな。
やっぱり悲しいんは悲しいんよ。でもどうも出来んから、悔しくて泣けんかった。
ボランティアでやり残したことはいっぱいある。
でも葵らが完璧にできるなんて絶対ない。
だから次にくるボランティア団体に受け継いでもらいたい。
ボランティアは一人ではできん。
現地の人たちはみんな優しい。頑張ってね?って言って下さる。
現地では通る人全員が顔見知りみたいな感じで、誰もが声かけてくださる。
めちゃめちゃ嬉しかったし、認めてもらえてるみたいで、安心したのもあった。
現地に来て、見て、聞いて、テレビでは伝えられない初めて分かる現状もある。
現地は当分魚は食べれない。漁業で有名だけど、魚は食べれない。
なぜならば、サカナたちは海の中にある遺体を餌としてたべるから。
その魚が自分の家の食卓に並ぶのを誰が喜ぶだろか。
もし、自分の知り合いが・・・・。家族が・・・・。ってなるのが普通。
複雑です。みんなの心境はずたずたです。みんなの笑顔はいつ見れるのかな?
私たちには体力の限界はある。でも聞くことはいくらでもできる。
私たちにつらいことを話して下さる被災地のみなさんにもっと耳を私たちは
傾けるべきだと思う。それも大事な心のボランティア。
今回のボランティアはたくさんの方の支援あっての、支援ボランティアだった。
バスの運転手さん、お風呂を提供して下さった、旅館の方
松島市の市長さんや町長さん?同窓会の方。
もっともっとや。ほんまに感謝しきれへん。
宮城の中でも被害の状況は全然違うから、温度差を感じた。
なおさら、神戸の人はもっと分からんと思ってる。
ほんまに、被災者じゃなくて頑張るのはうちらのほうやねん。
復興する気配が無いのは、他県の頑張りが少ないんやと思うねん。
現地は道路の修正とか家の修正してるところなんか殆どない。
ビニール袋かぶった家なんてめずらしくない。
田んぼも全部だめ。お米作れんくて困るのは被災地の方だけじゃない。
うちらはそこのお米も食べてるんや。決して他人ごとじゃない。
もっと支援していくべきやと葵は思ったで?
帰ってきて葵は余裕がある人間の一部になった。
頑張れって言われたことわすれん。
出来ることは全力でやる。
3班のみんながおったから葵はつらくなかったし、
最後まで笑顔で作業頑張れた。
いってらっしゃいって言ってくれた人の分も頑張れた気がする。
ありがとう。まだまだ頑張ろうね。今度は全国全員で。
ちなつ先輩も班長おつかれさまでした。
この活動は自分の中でかなり大きな衝撃をうけた。
人との交流もたくさんでいろいろな人とも知り合いになれた。
つながっているって実感した。神戸から葵も頑張りつづけたぃ。
あなたが生きている『今日』という日は
『昨日』亡くなった人の夢見た『明日』という日。
どうかあなたの『今日』と言う日を
精一杯、生きて下さい。
『明日』を迎えられなかった人々の分も。
この花は東松島市で元気です
aoi