山形市長選挙で非自民系50年ぶり とか書かれました

そう書くと 山形はずっと革新政権かのごとく錯覚しますが

金澤と次の佐藤は ヤクザ風に言えば 自民党系服部会幹部 の初代金澤組組長と

自民党系服部会若中 佐藤組組長ですし


前の吉村氏は 反服部会な元自民党で色々移動した鹿野組の相談役 で

鹿野組初代吉村会会長(今の知事の親戚)

今の市川氏は 鹿野組二代目吉村会理事長(会長は吉村知事)

自民傘下と元自民 保守系でした


山形には他に自民党系加藤会と言う有力二次組織が有りました

(服部会と加藤会は仲良し、 加藤会と鹿野組は反目)

加藤の二代目は本家の若頭まで行きましたが、当代に成ろうとして反乱計画したあげく、

「来たらやります 来たらね」以下の

「動いたら百パーセント勝てますよ でもやりません」と言うカスでした

しかも本家で出世しとるだけで付いていた子分なので 子分引き連れて

一本でやれず 本家に土下座して
まぁなんやかんや 最後の方まで自民党にいました


で 鹿野さんは地力有ったので自民出た後の移籍先やら

一本時代にも配下が付いて行き 民主系だとかなんとか言いつつも

実際は鹿野組 を維持していました

鹿野組は知事選でも 服部会、加藤会連合に吉村会二代目が勝つなど勢力を維持しました

加藤会の二代目が引退する時に、実子にシマを譲りたい と考えました

しかし シマには自民党の東北ブロックに属する元加藤会系だったり

ちがったりする三次が沢山居ました

三次の組長達は、実子とは言え力無いもんが実子ってだけで継いで

自分らにデカい顔してくるのはイヤだ と
三次の中で有力な阿部組組長をたてて実子に抵抗しました

鹿野組は三次側につき、自民党本家は勝った側を認めるよ みたいな事を言いました

勝った側に本家がつく それを聞いた加藤会二代目は

俺がでりゃ三次の反乱なんて簡単に鎮圧出来る  と

自分が表にたって三次と戦い惨敗し引退しました

ただ 腐ってましたが本家の若頭まで行った人間が 泣いて頼んだので

その時代に部下だった今の自民党執行部のメンバーが多少融通し
反乱側がどれだけ自民党の直参なりたい と本家に言ってもダメでした

数年後 加藤先代が泣いて頼んだ結果 実子が直参に上がり 三次側との熾烈なドンパチに勝ちました

ただ、反乱側は実力があり、実子側は取り潰せずにいます

今回は 市川氏引退後 のシマの相続ですが 初代吉村会の実子 (民主共産)と

服部会内初代金澤組の実子の代理(自民公明)によるドンパチ でした


安保がどうこう 関係なく 山形の選挙は服部会(金澤組)と加藤会 VS 鹿野組(吉村会) 岸組 などのドンパチでしかありません








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