なぜなんだろうか?

 

私にとって、期待の持てる街は、萩市、京都市、奈良市、そして、大阪市なんかではないか?と、思うのであるが・・・・。

 

これらの街は、いずれもが、古都としての特徴を、持っており、その特徴としては、かつて、池田は、こう言ったのである。

 

関西はさ、道路が、広くて、しかも真っすぐなんだよな!!と。

 

ところでさ、私には、この町、萩市には、本当は、工場誘致なんかするのではなくってさ、本当は、やはり、学園都市的な、都市づくりというものが、求められているようであるが、それは、現市長の、20年以上の、長期政権によって、それは、ことごとく、潰されてしまったのであるからさ・・・・。

 

本来ならば、私は、理工系の、学生さんたちや、文科系の学部でもいい、とにかく、萩というところは、学問をするには、最適な場所だったといえるのかもしれないのであるが・・・・・。

 

しかし、私は、指摘してきたような、陰陽の、連絡高速鉄道というものは、とうとう、完成しなかった。

 

そして、代わりにである。

 

萩市は、地域高規格道路の小郡・萩道路というものを、建設したし、萩・三隅道路というものも、着工完成したところである。

 

代わりに、JR西日本さんとは、口喧嘩をしたと聞いたんだけども・・・・・。

 

この間に、陰陽の高速連絡鉄道というものを、建設していればなぁ?

 

ところで、期待が持てる都市と言えば、私には、どう考えてみても、関西の、京都、大阪、奈良などの、昔からあったような、道路が、直角に、交わっているかのような、そんな、場所というものが、いったい、どうして、ダメになったんだろうか?と、考えてみればさ、この町、萩市でも、それは言えたのであるが、かつての人々が歩いていた、道を、今では、車で、皆さんが、行き交うようになってしまったからではないだろうか?

 

本当は、京都や、大阪、奈良というような、街というものは、かつては、人が歩いていることでの、街の設計だったはずだからなのであるからさ・・・・・。

 

車は、走る、覆面ではないのか?

そのように、考えるのであるが・・・・・。

走る、覆面に、走る、個室?さらには、走る、部屋の一部だとか?

 

本来は、直角に交わっていた、街の、角々というものは・・・・・。

 

だから、当時には、ランドマークなどというもの、つまりは、超高層ビルなんて、不必要だったのであるが・・・・。

 

いや、京都や、大阪や、奈良には、ちゃんとした、ランドマークというものはあるのであるからさ・・・・・。

 

それは、遠くに見える山がそうなのであるからさ・・・・・。

 

今日のことであった。

 

私は、萩市内のことで、思ったことがあるのであったが・・・・。

それは、街を、走る、車というものは、コストを、考えればさ、いったいどうなんだろうか?という事になるのである。

 

私は、街の中心街には、自動車は、コスト意識で、考えればさ、車での都心を、作るとすればさ、これは、萩市ではさ、アトラスパークというものが、シンボリックであろうに・・・・・。

 

だから、街の中心部が、車社会であるという事は、本来は、コスト意識には、欠けているという事なのである。

 

やはり、街の中心部を支えるものとしては、鉄道か、または、バスか?

という問題になることであろうに・・・・・。

 

しかし、萩市内でもさ、ちょっと、郊外に行けばさ、これは、確かに、自動車というものはさ、コスト的に考えればさ、安いという事であるからさ・・・・。

 

しかし、これが、街の中心部になれば、確かに、車よりも、公共交通機関というものがあるほうがいいのであるからさ・・・・。

 

安くて、正確で、安全で、そして、便利な交通機関というもの。

 

これが発達していてもいいはずなのであるからさ・・・・。

 

例えていえばさ、私は、いつだっただろうか?

 

大阪市の街を、歩いてみたことがあるのであるが、キタから、ミナミへ走る、御堂筋というものは、ある意味、これは、大阪市の、公共交通機関というものは、鉄道ではなくて、車の方なんですよ!!という事を、アピールしているようなものなんだからさ・・・・・。

 

また、車社会の、大阪市を、変えるためには、先ずは、大阪市でも、発生していることであろう、問題は、中心市街地の商店街の問題ではないだろうか?

 

大阪市は、まるで、萩市とよく似ている街であり、何がよく似ているのか?と言えばさ、それは、街なかで、自転車に乗っている人々を、私は、観たという事なのであろうに……。

 

多くの、大阪市民たちの、移動手段というものはさ、自転車なのである。

 

別に、自転車が好きなものは、それは、大阪市民もそうであり、京都では、京都大学の学生さんたちが有名ではあるが・・・・・。

 

私は、京都の町は、知らない。

奈良の町も知らない。

 

大阪市の街が、いちばんに、知っているほうであろうか?

 

それでも、大阪市に行ったことは、数えるぐらいであるが・・・・。

 

だから、大阪市では、これは、私の想像なのであるが、大阪市は、多分、以前は、上方だったのであるが、今では、地方都市が抱える問題というものが、たくさんあるのではないだろうか?

 

というもの、あんなにも長い、長い、アーケードのある、中心商店街があるなんて・・・・。

 

その一方で、車社会の、大阪市は、だから、多分、都心部と、郊外の街が、現れており、郊外の街は?と言えばさ、これが、ショッピングモールという事になるのであるからさ・・・・・。

 

というわけで、今後のことであろうが、大阪市というものは、地方都市が、今、抱えている問題に直面するか、もしくは、もう、直面しているのであるからさ・・・・・・。

 

多分。

 

だから、私は、本当は、関西の中心都市である、大阪市は、鉄道インフラというものを、整備するべきなのではないか?

 

と思うのであるからさ・・・・。

 

だから、近畿自動車道などというものを、作ってしまった、大阪府や、大阪市の問題は、その後、衰退化という問題になったんじゃないだろうか?

 

私は、こう思うのであるが・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

僕の、母への、思い出と言えばさ、スラックスだけをはいて、店へ出て仕事をしている母の姿が、思い出されるのであるが・・・・・。

 

なぜに、母が、スラックスばかりはいているのか?と言えばさ、それは、母は、実は、静脈瘤という、足に、できものができているかのような足をしており、それでいたものだから、決して、スカートというものは、はかなかったのが、母であったのだから・・・・・。

 

あれは、中学3年時のことであった。

 

母が、萩市の都志見病院で、やっとのこと、足の手術というものを、やってからというもの。

 

あの時には、毎日のように、病院まで、お見舞いに行っていたっけかな?

 

小さなころから、振り返ってみればさ、いつも、スラックス姿の母。

 

それは、やはり、女であり、長時間の立ち仕事というものを、やれば、そうなっても仕方がないよなぁ?とも、思えるものなのであったのだから・・・・・。

 

父は、よく、店の改装という事を、やる人間であった。

 

取引先は、萩信用金庫本店であった。

 

父の大の親友であった、森田さんを、父は、森田君と言って、親しみを込めて、言ったものであるが・・・・・。

 

私の、母との、だから、二人で歩いた、活気ある、田町商店街での思い出と言えば、2人で歩いたこと、マルサントいうお店の、2階で、フルーツパーラーで、一緒に、食べた、パフェだったかな?

 

あの当時は、田町商店街は、まるで、今の、東京・新宿と同じような、賑わいというものがあったのであるからさ・・・・・・。

 

母で、記憶に残っていることと言えばさ、やはり、仕事ばかりの母だったという事であっただろうか?

 

しかし、それでいて、私は、何しろ、学生時代よりも、社会人になってからの方が、より、母というものを、観てみることができたのであったから・・・・・・。

 

一番印象に残っているものは、やはり、肉親との死別の時の、母であっただろうか?

 

じいちゃんの死には、私は、立ち会ってはいないのであるが、ばあちゃんの死や、そして、母の兄の死には、私の母は、電話での一報がありながらも、泣きながら、涙を流しながら、皿洗いをしながら、必至になって、店が閉まるのを、待っていたのであったから。

 

そして、夜の、車での実家へ直行だっただろうか?

 

とにかく、母は、お正月の、元旦に、親戚一同が、みんなだ、泊りがけで、本家にやってきているというのに、一泊もすることもなしに、日帰りで、帰っていたこと。

 

あれなんてさ、子ども心に、感じていたことは、なんか、自分に、厳しいというべきか?

 

父と、母とでの、だから、福田屋食堂というものが、成功したのであろうに・・・・・。

 

福田屋の成功の陰には、まだ、母の、並々ならぬ、努力というものがあるのであるからさ・・・・・。

 

それは、福田屋食堂の、お好み焼きと言えば、萩市内では、天下一品であったこと。

 

その福田屋の、お好み焼きを、成功に導いたのが、手作りのマヨネーズというものであったことであろうに……。

 

何しろ、ボールに、卵と、調味料を入れて、サラダ油を、ゆっくり、ゆっくりと、注いでゆき、泡立て器を、ゆっくりと、ゆっくりと、回しながら、作っていく、福田屋特製の、マヨネーズというものの、考案からであった。

しかし、このマヨネーズにしても、作るまでの、苦労と言えばさ、毎日毎日のことであったが、女手一つで、ホントに、よくやったと、思えるのであるからさ・・・・・。

 

俄然、福田屋の、お好み焼きと言えば、関西に、出て行ったものにも、萩に帰ってきたら、福田屋へ、言って食べにくるというのであるからさ・・・・・・・。

 

しかも、彼らが、言う言葉には、本場の、関西の、お好み焼きにも、何ら、負けることのない、味を、作り上げたのは、母の考案した、マヨネーズというものがあったからであろうに・・・・・・・。

もしかしたら、日本一の、お好み焼きを、我が母は、作って、お客さんに、提供していたのではないだろうか?

 

この町、萩市で・・・・・。

 

この町、萩市では、福田屋のことを、よく言う人と、悪く言う人が、いるようであるが、どうしてなんだろうか?

だってさ、父と母の、子どもである、私は、幸せな、思い出というものが、時間的には、確かに、少なかったかもしれない。

しかし、私の、幸福の度合いと言えばさ、私は、十分に、満足だったのであるからさ・・・・・。

 

母は、よく、夜に、店から帰ってくるのに、我々に、お好み焼きを、焼いて帰ってくれていたものであった。

 

だから、私も、口にした、母の特製の、お好み焼きというものを・・・・・・。

 

さて、2014年の、12月2日(火)のことであった。

 

そんな、母が、脳こうそくで、倒れて、入院してしまったのには、驚きを、隠せなかったのであるからさ・・・・・。

 

突然の、知らせを受けて、私も急いで、病院へ駆けつけたのであるが、右半身が、マヒという身体になってしまったのであった。

 

あの時の、私は、萩病院の、G.H.での、生活が、続いており、そんな時の、急な知らせであったから、驚いたのであったが・・・・。

 

母との、思い出という話は、まだ、まだ、次の機会にでも……。

 

 

 

 

 

 

さて、久しぶりに、母のことでも書きましょう。

 

母は、とにかく、働き者だという事は、よくわかったはずです。

 

何しろ、我が母は、家で、家事、洗濯、掃除をした後に、今度は、店に、出て行きましたから・・・・・。

 

福田屋では、そして、母が、中心になってでの、お店の運営だったという事なのであったから。

 

しかし、前にも書いたように、母には、学というものがない。

 

しかし、やっぱり、母親である。

 

精神の病を持つ、私のことを、心配していたのは、第一に、母であるからさ……。

 

丸尾先生が、この本はおすすめですよ!!と言えば、その本を、買ってきては、一人で、読んで、そして、それを、暗記するほどまでに、読み込んでおり、しかし、それは、今、母が倒れてから、はっきりとわかったことなのであるが・・・・・。

 

実は、我が、兄は、私のことなんてさ、全く、もう、病院任せというのであり、そして、先日であるが、お前は、おれの、家族じゃないんだから・・・・と。

 

おれの、家族は、嫁と、3人の子供なんだから、むしろ、お前の、家族は、もう、2人共に、入院している、父と、母だけだから、と言われたことを、思うのであるが・・・・・。

 

そして、もちろん、本を読むこともやるわけがないし、本というものの、存在すら知らないのであるからさ・・・・・。

 

本と言えばさ、父は、暇な時間には、「近代食堂」という雑誌をよく読んでいたらしいのであった。

 

この話は、聴けば、ある働いている方が、私の、母に、だから、店主は、感心ですよ!!と、言われたのであるのだから・・・・・。

 

また、お好み焼きの、福田屋食堂というものの、2階というものは、それは、当時は、よく皆さんが、来てくださったのであり、そして、南側には、1~5番までの、座敷というものがあり、そして、床には、3台のテーブル、それから、また、座敷の、広間のような、テーブルがあったのであるからさ・・・・・。

 

特に、日曜日には、福田屋の忙しさと言えばさ、半端じゃないのであった。

 

ここで明かすが、一日で、10万円以上もの売り上げが出れば、これは、すごいことになるのであったのだから・・・・・。

 

私も、その、日曜日の、福田屋の、忙しさというものを、ちゃんと体験しているのであるのだからさ・・・・・。

 

当時は、私が、好きな、萩工業の高校生たちが、アルバイトに来ていたりしたのを、よく覚えているのであるが・・・・・。

 

今でも、ちょうじや、今田は、忘れてはいないのであるから・・・・。

 

ちょうじの方は、むちゃくちゃに、明るい奴であり、高校中退の、鮎川も、ちょうじの友人として、ここで、一緒に働いた仲なのである。

 

今田は今田で、こいつは、今でいう、イケメンぶりを、発揮していたりもしたのであるが、いずれもが、大阪や、名古屋に、就職として、出ていくというのが、萩市の、パターンだったのであったから・・・・・。

 

いちばん、初めは、あれは、今の、長門市油谷の高校生の、村岡君だったかな?

彼は、家が遠いことから、萩市内に、下宿していたのであった。

彼は言う。

「マザコンとは言われたくはない」と。

 

この言葉は、今でも、なぜだか、覚えているのであるからさ・・・・・。

萩工業の高校生と言えばさ、体育活動重視の学校なのであるが、彼らはさ、アルバイトに来るんだから、もちろん、村岡君以外は、文系の部活だったと思うのであるからさ・・・・・。

 

村岡君は、確か、少林寺拳法だったかな?

今、どこで、何を、やっているんだろうか?

 

とにかく、私が、福田屋で、働くことの、面白さというものが、あったのだ!!といえるとすれば、である。

 

それはさ、彼ら、高校生の、アルバイト生に、会える時というのが、土曜日と、日曜日だったのだから、だから、わかるでしょう?

もちろん、女子高校生たちも、やってきていたのであり、今思えばさ、恵子ちゃんは、かわいい女の子だったな?!

 

さて、しかし、村岡君には、悪いことをしたと思えるのはさ、あれは、確か、卒業式のことであった。

 

私は、村岡君に、卒業式が終われば、ここで、食事でもしていけばいいじゃないか?と、誘っていたのであるが、しかし、あいにく、その日は、卒業式の日であるからこそ、福田屋は、忙しいという事で、村岡君は、せっかくやってきたのに、なにか、寂しそうに見えたからであったから・・・・・。

だから、よく覚えているのであった。

 

後は、ちょうじであるが、こいつは、ホント、おもろい奴でさ、しかし、腕相撲をすれば、強いのである。

 

痩せている体質だからという事を、気にしていたんだけれどもさ・・・・・。

 

ちょうじたちと、鮎川たちとはさ、よく、カラオケに連れていたものであったし、そして、やはり、別れの時には、奴らを連れて、焼き肉を、食べに連れて行けば、なんと、支払いは、1万円?だったのであったから・・・・。

 

だけど、私は、それほど、みみっちいわけではないのだから・・・・。

 

そして、時は流れて、今度は、イケメンの、今田との、出会いであったから・・・・・。

 

奴には、心の中で、当時の流行の歌で、郷ひろみが歌う、「言えないよ」という歌を連想したり、ある時は、漢和辞典を引いて調べれば、ある漢詩で、確か、タイトルは、「友を送る」という歌であっただろうか?

 

以心伝心とは、よく言ったものであり、すると、まるで、今田に、伝わっているかのようであって、今田の方も、なんか、深刻そうな、顔つきになったりして・・・・・。

 

だけども、当時は、もう、30歳は、越えており、私は、でも、玉江の今田を、訪ねれば、今田が、ベッドに入って、ビデオを見ていたのであった。レオンという映画であったが・・・・・。

 

その時には、やはり、もう、お別れの時なのであり、今度は、私は、今田には、大学時代に購入した、スタジアムジャンバーというものを、今田に、贈ったのである。

 

あの時の、今田は、たいそう喜んでいたが、その後、名古屋市に、行ったと聞いたが・・・・・。

 

なんか、母が、出てこないのであるが、当時の、学生さんは、みんなが、真面目であり、これが、高校生なのか?

今、思い返せばさ、では、現在の、萩商工高生は、特に、ラグビー部や、野球部員たちが、眼に入るのであるが、では、奴らの、あれだけの、エネルギーというものは、いったい、どこから出てきているんだろうか?

 

という事は、今でも、謎なのであるからさ・・・・・。

 

確かに、当時は、お客さんとして、いろいろな、高校生たちが、やってきていた店が、福田屋の2階なのであったが、高校生ウォッチングの癖と言えばさ、大分、むかしから、自分の癖なのであったが・・・・・。

 

だから、母と営んでいた、福田屋の、働き手であった、私も、だから、土曜・日曜と言えばさ、もう、これは、高校生日和なのであったから、楽しいはずであるからさ・・・・。

 

高校生の、相手というものが、こんなにも、面白いのか?と言えばさ、しかし、その一方ではさ、心の病というものがあったが、それは、誰に、いう訳でもなくて、私と、母との、秘密なのであったからさ・・・・・。

 

むしろ、心の病というものを、口にすればさ、それは、なんか、恥ずかしい思いというものがするのであるからさ・・・・・。

 

店ではさ、なんでもしたのであった。

 

注文ききから、レジ打ちから、そして、厨房での用事とか、皿洗いに、そして、これは、いつも、私は、これは、多分、人が嫌がるであろうに!!と、思うであろう、仕事で、夜の最後の仕事での、残飯の処理というものが、あったのであるが、私は、だから、母にそれをやらせるのではなくってさ、いつも自分が、進んでやり、そして、1階の、長兄が、コックとして、働いているのであるが、その、長兄は、注意してみれば、残飯の処理という仕事は、他人任せにしている!!

という事を、私はすでに、感じていたのであるのだからさ・・・・・。

 

ここを、どのように、観るのか?

2階の、私は、残飯処理というものを、進んでやり、しかし、1階の、コックである、長兄はさ、その仕事は、他人任せにしていたのであるからさ……。

 

私は、なぜ、それを、進んで、やったのか?と言えば、母にはやらせられないし、他に、店での働き手は、おばさんたちであり、だから、これは、男である、私が、やらずに誰がやるのか?

 

それと、もう一つには、これも、自分の癖であるが、なにか、仕事をするのであれば、他人が、嫌だと思う仕事を、自分は、進んで、やることが、性格的なことか?

 

あの時には、病気持ちではあったが、実にそれは、楽しい日々であったんだよね!!

 

今思えばさ、それは、病気持ちとは、言わせない!!いや、言えない理由がある?!

 

この辺で、私はさ、今後の、精神科治療に関しては、何かないのか?と、考えるのであるが、確かに、自分は、同性のほうが好きなのであるが、当時は、いろいろな、学校から、福田屋に働きに来ていたのであったが、だから、若い者の、持っている、エネルギーというものの、力というものとは?

 

それは、いったい、なんだろうか?と、思えることがあるのである。

 

確かに、萩病院でも、高校生の姿を、眼にすることがあるが、これは、プラトンの、エロースというものの、愛の神というものの、持っている力というものであろうか?

 

高校生ぐらいが、いちばん、私は、プラトンの言う、エロースというものが、感ぜられるという事が、わかるのであるからさ・・・・・。

 

だから、精神科治療というものの中には、これはきっとあるはずであるが、ヌードというものの、持っている力というものは、これと、精神科の治療というものは、考えることはできないのであっただろうか?

 

そういえば、であるが、萩病院の、作業療法士には、怪力君らしきものが、かつては、2人ほどいたのであったが・・・・・。

 

この、2人の、男性作業療法士さんを、どう考えるのか?であるが・・・・・。

 

ここが、精神科病院という事を、考えれば、であるが、別に、怪力君だなんて、強制的に~というような、イメージというものが、沸いてくるのであるが、その、一方ではさ、確かに、プラトンの、書いた本を読めば、若い男性の持つ、エロースというものの力というものも、書かれているが……。

 

男子病棟にも、女子病棟にも、このような、作業療法士さんというものの、存在というものは、精神科病院だからこそ、必要という事にはならないだろうかな?とも思うのであるが・・・・・。

 

暴力は、絶対に、反対なのは、もちろんだ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の父と、母は、とにかく、萩市でも、超有名な、お店である、福田屋食堂というものを、父親の代、一代で、作り上げたのであった。

 

最初は、1階だけだった、福田屋なのであったが・・・・・。

 

しかし、私の、思い出と言えばさ、やはり、一人遊びか?そして、近所の、自転車屋さんの、女の子の、平井さん姉妹と、よく遊んでいたのであったが……。

ここで、自意識というものの、発生というものを、私は、こんなにも、早い時期に、覚えたんじゃないだろうか?という記憶があるのであるからさ・・・・・。

 

その、一つには、私は、みんなで、近所の空き地で、集まっていた時のことであった。

平井さんたちの眼を、意識した、私は、もう、如何にも、勉強家に見えるだろう?というように、ちょっと、幼児には、分厚い本を、片手で、持って、さぞかし、気取った気分での、つまりはさ、女性嫌いなんかじゃなかったのである。

 

幼少期の、時期には、少なくとも・・・・・。

 

むしろ、本を持って、平井さんの目に留まるように!!という行動は、これは、当たり前だけども、女性の眼というものを、完璧に、意識してでのことであったから・・・・。

 

もう、一言、覚えている言葉は、「僕をいじめれば、死んだ、じいちゃんの、ばちが当たるんだからね!!」とかという事を、信じ込んででの、言葉であったのであろうに……。

 

我が、福田屋は、最初には、1階だけで、母は、その片隅で、関西風の、お好み焼きというものを、もうすでに、当時から、始めていたのであったのであるからさ・・・・・。

 

この、母の作る、関西風の、お好み焼きというものが、特に、我が家の、我が店の、福田屋の運命を、大きく左右させることになるのであるのだからさ・・・・・。

 

あれは、じいちゃんが、亡くなった、後のことであった。

私は、父が、店の、設計図というものを、開いていたことを、よく覚えているのであり、その設計図には、1階と、2階をつなぐ、リフトというものの、存在というものが、子供心に、忘れられないのであったから・・・・・。

 

そういえばさ、店の扉が、自動ドアになったのも、あれは、父の、考案であったし、リフトというものは、まるで、エレベーターみたいだったから、ホントに、よく覚えているんだから・・・・・。

 

そこで、1階と、2階の、福田屋の、誕生なのである。

 

そして、父は、主に、1階の責任者であり、福田屋の責任者でもあったのである。

 

さて、母の方は、これは、女性にとっては、今、考えればさ、2階というフロアーを、任されるという事が、女手で、どれだけ、しんどいことであったのかを、後々に、私は、知ることになったのであるからさ・・・・。

 

ちなみに、母の名前は、かつて、大阪で、女性の解放活動家で、もう、歴史上に名前の残っている、人と、同じ、同性同名なのであるからさ・・・・・。

 

私が、それに、気が付いたのは、Tにいが、持っていた、人名事典を、開いたときに、もうすでに知っていたのであったのだから・・・・・。

 

ところでさ、我が母の、イメージとしては、これがさ、実は、今度は、長門市先崎出身の、童謡詩人の、金子みすずの、あの、イメージの、顔に、若いころの、母の顔は、非常によく似ているのであるのだから……。

 

何かの、縁でもあるんだろうかな?

 

私も、ある時まで、気が付かなかったのだから・・・・・。

 

さて、ここからは、母の、仕事の取り組み方である。

とにかく、母には、昔の人だから、学というものは、ないのであるが、しかし、愛情というものは、ある人であった。

 

私は、特に、上から、言わせれば、溺愛じゃないのか?と、言い張る、2人の兄がいたが・・・・・。

 

しかし、私に、言わせれば、長兄の、あの執拗な、暴力というものは、これは、大学のカウンセラーの、福島さんが、分析したように、カインコンプレックスという分析は、私は、当たりなんじゃないだろうか?と、思うのであったから……。

 

私は、幼いころ、リンパ腺が、腫れ上がって、保育園を、辞めて、家での療養の生活に、入っていたのであった。

 

だから、母の仕事は、よく目にしたのであったから。

 

先ずは、子供たちが、学校へ行けば、それからのことである。

家での、家事、洗濯、掃除などを、ちゃんとやってから、だいたい、朝10時ごろには、店に行って、帰ってくるのは、夜の9時頃だったっけかな?

 

その現場を、はっきりと見ていたのは、これは、父でもなく、兄弟でもなくて、私が、いちばんよく知っているのであるからさ・・・・。

 

いつだっけかな?

 

学校で、先生が、今日は、腐葉土を持ってきなさい!!と言われて、私は、駄々をこねればさ、母は、ちゃんと、裏の田んぼから、腐葉土を、用意してくれたことを、なぜか?思い出したのであった。

 

僕の方は、幼児期の、リンパ腺が、腫れるという病が原因でさ、小さいころから、お医者さんには、お世話になったものであった。

 

今はない、清水医院の清水先生ってさ、黒縁の眼鏡をかけていて、如何にも、先生って感じの人だった。

先生の、紹介で、私は、やはり、近所の、萩市の総合病院の、都志見病院での、手術、そして、治療というものを、受けたのであり、だから、当時の、私の夢は、お医者さんになることが、夢であったんだ!!

 

小学校で、私は、母には、暇な時間を見つけては、赤いスポーツカーという文章を、音読をして、母に、まるで、読み聞かせるようにして、読んだものであった。

 

しかし、掛け算の方は、流石に、母は、店をやるだけあり、足し算、引き算、掛け算、割り算は、やはり、店が暇な時を見て、教えてもらったのであった。

 

ちなみに、母は、漢字や、文字を書かせれば、いや、それは、母がなぜに、書くことを嫌がるのかは、わからないが、ただし、母の書く、店の、伝票を見れば、次兄が言うには、これは、象形文字じゃないか?と言った言葉を、覚えているのであるが、確かに、伝票を、その文字を、読めるのは、母だけなのであった。

 

私は、一瞬、母の、伝票を見たときには、もしかして、心の、なにかでもあるのか?と、思ったりもしたが、しかし、萩病院なんかでの、書類に、母の文字を、書いてもらったところ、これは、確かに、女性の文字であり、そして、母の心というものは、やはり、きれいなんじゃないか?と、判断したのは、私であったが・・・・。

 

ところで、いきなり、時間は、私が、精神の病を、持ちながらでの、福田屋での仕事というものに、移るのであるが、ここで、私は、最初は、本当は、母が言うには、あんたは、仕事はせんでいいから~、というのであったが・・・・・・。

私には、確かに、心の病はあったのであるが、しかし、私は、母のもとでは、なにか、自分は、働くという事は、できるのではないのか?と、思ったから、私は、福田屋で、病気を、持ってでも、働き始めたのであったのだから……。

 

後で、兄嫁は言うのには、あなたは、世間を知らないから、甘いんだ!!という言葉が、出てくるのであったが、さて、彼女が、実際に、精神の病を持った、母であるとすれば、本当に、そんなことは言えるのであろうか?というような、事を、思うのであるが・・・・・。

 

まー、とにかく、母のそばでの仕事というもの。

これは、私は、非常に、運が良かったと、感謝しなければ!!と、思うのであるからさ・・・・・。

 

ある意味、母が、働く母であり、そして、たまたま、2階を任されていたのだから、私が、入る余地というものがあるのであったから・・・・・。

 

しかし、私も、仕事は、よく頑張ったんですよ!!

精一杯の、自分にできることを、やったまでのことなんだから・・・・・。

 

でも、気分が悪いから~と言って、家に帰った時には、やはり、母である、愛情があるのである。

ちゃんと、あんたは、大丈夫かね!!と、心配して、家まで、様子を見に帰ってきてくれたのであったのだから・・・・・。

 

私は、最初は、お医者さんには、いったい、病気は、説明するのに困ったものであるが、素直に言えば、音を、読んでしまう病気だと、どこの、お医者に行っても、それは伝えるのであったのだから・・・・・。

 

ところがさ、病名はさ、私が、働き始めればさ、次々に、増え続けたのであるからさ・・・・・。

 

ナンバープレートの、数字の語呂合わせ病を、初めとして・・・・・。

 

しかし、今、思えばさ、確かに、精神の病を持っている人が、働くんだとすればさ、何が、考えられるのか?と言えばさ、これが、問題であろうに・・・・。

 

だってさ、他の人には、精神病の人の、心なんか、わかるわけないのだからさ・・・・・。

だから、政治家たちが、心の障害者を、今、どうしようと、考えているのか?という事には、注目するべきではないか?

 

私は、福田屋で、およそ、10年以上は、勤続したのであるが、それは、間違いなく、父がいて、母がいてでの、環境の下での、仕事だったのであるのだから・・・・・。

 

問題は、父や、母という人々は、私だけではないが、皆さんが、子どもよりは、先に死ぬるという事なのであるが、そこをどう解決するんだ!!という事が、政治的な課題なんじゃないだろうか?と、私は思うんだから・・・・・。

 

これまで、私は、同時に、医者ではないが、たくさんの、患者さんを、観てきたのであった。

母から、話が、また、脱線するが・・・・・。

 

今、思えばさ、精神科病院ってさ、まさに、コンクリートの中での、牢獄暮らしのようなものであり、どうして、精神病患者が、犯罪者と、同じような、処遇を受けるのか?

 

もしかして、この、コンクリートに閉じ込められることによって、人格というものは、変わる人々が、多いのではないか?とも、仮定できるんじゃないか?

 

特に、入院が、今までに、20年とか、30年とかという人々が、まだ、いるんだ!!という事を、考えるときには、はたして、病気が、よくなっているのに、病院から出ることができないという仕組みというものは、私は、改革するべきではないか?と、私も、たくさん入院を、繰り返してきたが、今までは、流石に、患者さん本意ではなかったと思う。

 

患者さんを、観るという意味では、である。

 

何が、それを、邪魔していたのかと言えばさ、それは、確かに、私は、働く障碍者としての、自負というものを、持ってはいたのであるが、確かに、外の世界でも、働きはしたものの、病があって、どうして、一般人と同じような、労働をせねば、暮らせないのか?というような、国の、障害者福祉政策にとっては、私は、頑張ったんだけれども、それでも、やはり、クスリでは、治らない障害というものがあれば、これは、国の、政治が動くべきなんじゃないのか?と、思うようになるのであるから……。

 

周りの人で、私のことを、甘いだの、なんだの、言う人がいるのであるが、私だって、精いっぱい、生きているんじゃないか?

この辺だろうか?

精一杯、私も、外の世界の仕事では、頑張ってきたが、それでも、やはり、病はあるのであり、そして、仕事も、転々としているのは、これは、ある意味、その証なんじゃないか?

 

かといって、今を、私は、精いっぱい生きていないか?と、問われれば、答えは、ノーである。

 

要は、障害者でも、仕事して、カネカネと言わせることが、本当に、必要なんだろうか?

 

それよりも、患者さんだってさ、ちゃんと、生きているんだから、私は、先日、書いたように、生きている人は、みんなが、美しいという事の、発見というもの。

 

これが、答えなんじゃないだろうか?と、思えるのであるからさ・・・・・。

 

私だってさ、毎日の、仕事で、それと同時に、考えるという作業というものは、これは、はっきりと言えば、しんどいですよ!!

 

決して、楽なんか、してませんよ!!

と、はっきりと言えるのであるからさ・・・・・。

幸いなことに、私には、エッセイを書くという、ライフワークというものがあるのであるからさ・・・・・。

 

だから、今の国の、障害者に関する、政治家の意見には、私は、悟ったような、生命は、皆美しいから、それを大切にしよう!!というような、政治ではないんじゃないか?

 

それは、政治家として、失敗なんじゃないのかな?

 

弱い立場の人々にとって、政治家ができることは、それは、弱い人にとっては、やはり、ちゃんとした、援助策というものを、持っている、政党や、政治家というものが、支持されて、当然でしょう?

 

国に、おカネというものがなければ、確かに、おカネを、持っている大金持って、いるんでしょう?

金持ちから、多く税金を取ればいいことでしょうが・・・・・。

あるいは、確かに、戦闘機、一機で、300億円もすれば、それは、他に、予算を回した方がいいというのも、これもそうであるし、第一政治家自身の、あの、税金の無駄使いというものもそうだし、あるいは、やはり、私は、萩市では、萩市の公務員というものが、どうして、公務員天国だという事には、大きな、矛盾というものがあるのも、事実です!!

 

 

今まではさ、私は、どうも、自分は、強い強いと、思い続けていたから、だから、自分が見えてこなかったんじゃないだろうか?

 

そうではなくて、自分という人間は、病を持っている、弱いものだ!!という、180度、全く違う見方をするのであれば、ならば、まともなことを、言っている政党というものは、これは、日本共産党以外には、ないのではないだろうか?

 

一応は、毎日、新聞赤旗を、めくっているだけだけれども、弱い人には、いちばん、真剣に、取り組んでいる政党と言えば、これは、どうしても、日本共産党という事になるんだから・・・・・。

 

ただ、日本共産党は、マルクスだから、神様の存在というものを、信じないという事を、私の教会の先生は、言うのであるが・・・・。

 

でも、本当のところ、私だってさ、これは、政治的な、救いというものを、実は、求めているんじゃないのか?

 

で、それに対して、いちばん、真剣なのは、日本共産党しかない!!

 

前に、私は、強い共産党、政権の取れる共産党という事を、書いたことがあるが、たまたまであるが、ある、アクション映画で見たので、印象的だったものには、弱いものだってさ、みんなの力を合わせればさ、強いものには、負けないじゃないか?

 

だから、みんなで、協力しようじゃないか?

あの映画は、ジャッキーチェンの映画であったが、新・レッドドラゴンという映画じゃなかったかな?

 

確かに、弱いものが、力を合わせれば、強いものにも、負けないじゃないか?

 

本日は、この辺で・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回のことである。

 

私は、父親からの、暴力なんて、一度も、受けたことがないと書いたのであるが・・・・。

 

しかし、実は、我が家の、暴力好きというべきか?

私に、とことんまで、暴力の毎日を、おびえさせる毎日を、過ごさせたのは、Mの存在だったのであったから・・・・・。

 

暴力というものが、如何に、恐ろしいものか?という事を、私に、教えたのは、だから、Mなのである。

 

Mの、家庭内暴力の根というものは、あれは、確か?中学生に上がると同時に、流行していた、ブルース・リーの映画なんじゃないのか?と、私は、断言できるのであるからさ・・・・・。

確かに、上の2人は、家で、ヌンチャクというものを、振り回していたことを、覚えているんだからさ・・・・・。

 

そして、Mの、思春期であろうか?

彼が、だから、いつも、私に、要求してきたのは、腕立てに、腹筋に、最低でも、それを、私に、協力させて、そして、わたしも、そんな、Mのだから、筋肉というものを、触ることになったのである。

彼が、よく、ポーズをしていたのは、力こぶを、誇示することであったと思うんだ!!

 

Mの、思春期と、確かに、私の、自慰を覚えた年齢は、一致しているんじゃないかな?

という事での、今度は、私の思春期での、筋トレというか?

自慰行為というべきか?

 

私は、早すぎた、自慰行為で、思い出すのは、これが、映画スターだったりしたものであるからさ・・・・・。

 

Mの、筋肉ではなかったのは、確かであるが・・・・・。

 

筋肉の話は、バカにしてはいけないと思う。

というのも、男の子の、第2次成長期の、一つの、決定的な、特徴の一つに、筋肉の発達というものが、挙げられるのであるからさ・・・・・。

 

ただし、現代人は、それが、中学生であったとしてもである。

筋トレをしなければ、別に、何ら、肉体的な、変化はないのであるが、他の特徴は、声変わりや、男根の成長や、身長や、体重の増加に、顔も変わるし、しかし、やはり、あどけないのは、これが、子供である証であろうか?

 

むかしの社会ではさ、確かに、考えられていた、大人の、男になる儀式というものは、きっと、どこの国の人も、それはあったようである。

 

では、現代社会では、スポーツのほかに、なにか?考えられないものであろうか?

大人になった、証というものは?

 

筋肉は、抜きにしてでの、大人の証というもの。

なんかないものか?

 

というのも、である。

今朝のことであった。

近くにある、高校生の男子たちは、みんなが、野球に、ラグビーに、所狭しと励んでいる?

いや、私から見れば、なにか?

聞きたくもない、不快な男声に変化したものたちの、全体的な、行動というものを見れば、これは、なにかが、おかしいと、私は、思えたのであるのだから・・・・・。

 

これは、スポーツ部に、疑問を持たなければ、多分気が付かないことであっただろうに・・・・・。

 

そんなにも、ボールというものについて、追いかけることが、なぜ、楽しめるのかな?

この点なのである。

 

いつだったか?

高校生男子で、ラグビー部員の声として、こんな、声というものを、雑誌で読んだものであった。

 

それは、ラグビーを、始めた、動機というものなのであったが、その中で、男らしくなりたいから・・・・、とか、筋肉をとにかくつけたいから・・・・、というような、彼らの言葉というものを、読んだのである。

 

ならば、そんな問題ならば、別に、それは、自分で、筋トレでもして、別に、ラグビーのような、如何にも、これは、もう、喧嘩でしかない、暴力の、応酬でしかないような、そんな、スポーツの、どこが、楽しいのか?

 

私には、わからないのである。

もしも、自分ならば、やはり、筋トレでもして、そして、もう、自分に満足がいけば、それで、男らしくなった!!という事に、なるのではないだろうか?

 

だから、彼らの言う、男らしくなりたいという声は、これは、もう、個々人の、実は、心の中での満足度の問題でしかないという事を、思うのであるのだから……。

 

自分が、これで、もう、男になったんだ!!

これは、あくまでも、他者が、決定することではなくってさ、自分が、思えればいいのであろうに・・・・・。

 

だから、私は、運動神経というものがないのであるが、しかし、それでも、筋トレならば、誰でも、できるのであり、自分にとっての、男性像というものは、どうも、筋肉の身体というものが、ある程度は、なれればいいと思うのであるから・・・・・。

 

特に、乱暴な、スポーツは、僕は、やはり、大嫌いなのであり、もしも、Mに、筋肉の教育というものを、受けなかったとすれば、である。

 

僕は、では、どのようにして、自分の、男らしさというものを、アイデンティティーという事が、確立できたことであろうか?

 

簡単な、運動でもある、そして、力も付くという事では、私は、どう考えても、これは、懸垂でもしていればいいじゃないか?とも、思うのであるが・・・・・。

 

これならば、誰に、迷惑をかけるわけでもないし、相手は、自分だし、いや、もしかすれば、相手になるものは、それは、この地球にある、引力という事にもなるのであろうに・・・・・。

 

ここで、物理学へ、ごう、である。

当たり前の話なんだけれども、すべてのものは、落体の法則によって、地球に住む人々は、コントロールされているのであるが・・・・・。

 

ある意味、これが、真理であり、心理かな?

 

ボール遊びが、面白いといえるのは、結局は、ボールが、引力の力でもって、必ず、下へ、落下するから、だから、面白いのであり、だけど、それは、スポーツに限ったことでもない!!

 

私の場合は、だから、物理学というものが、あったのである。

 

そして、生物学的に見ても、おそらくは、地上の、動物で、引力を、感じてないものは、いないであろうこと。

 

なのに、人間だけが、引力というものに、気が付き、そして、これが、物理学の、いちばんの、大本なのであり、それは、人間の、筋肉の筋トレの原理にしても、それは言えるのである。

 

ただし、私が、注目するものには、どうしてさ、筋肉細胞というものは、鍛えれば、発達して、なにも、しなければ、退化していく?

というよりは、地上で生きる、最低限度の、筋肉でも十分という事になるのであるからさ・・・・・。

 

細胞が、増えるという事は、これは、そこでは、細胞分裂が、発生しているという事なのであり、問題は、その、筋肉細胞というものは、とにかく、人間の、行動次第で、細胞分裂を、始めるという事なのである。

 

このような、細胞というものは、人間の、t体の細胞の中でも、いちばん、目につきやすい、細胞なのであろうに。

 

これと、今話題の、山中先生の、IPS細胞というものとの、関連性というもの。

 

山中先生の、IPS細胞というものは、何が、言いたいのか?

私たちが、普段、生活している中での、そのような、筋トレをすれば、筋肉は、発達するという事実は、もう、ずーっと、むかしから、人は見てきているのであるが、ただ、山中先生が、IPS細胞が、万能細胞であるという事を、発見したのであろうが・・・・・。

 

だけど、研究のテーマとしてはさ、もう、これは、新しいようで、実は、古い、研究テーマでしかないのであろうか?

 

この辺りは、山中先生の、本でも読まなければ、私には、万能細胞や、IPS細胞の、どこが奇抜なアイディアなのかが、わからないのであるから。

 

子どもは、最初は、精子と卵というものから、始まるのであるが、たった一つだけの、受精卵というものから、が、本当の、人間などの、始まりなのであろうに。

 

筋肉の問題は、これは、プラトンが、饗宴の中での、言葉では、青年の持つ、エロースという言葉で、説明されているのであるが、では聞くが、今の、高校生や、あるいは、中学生に、プラトンの、哲学書を、読ませたとすればさ、彼らは、どうなるというのであろうか?

 

フランシス・ベーコンは言った。

「知は力なり」と。

 

今の、萩の、高校生たちは、せっかくの、書店があるというのに、こんなにも本を読まないのは、それでいて、スポーツだけに、熱心になるのは、なにか、忘れてないか?

 

別に、国語力というものが、あれば、今は、簡単な、哲学書というものも、ちゃんと、売り出されているのであり、読んでから、スポーツを、するのか?

それとも、従来通りに、勉強なんかやらないで、ただ、監督の言うとおりに、目標は、甲子園だ!!

 

それで、まるで、1つのボールを、それを、好きな人、愛しい人でも、ひたすらに、追いかけるような、スポーツというものを、やっている、自分って、なんだという事も、考えないで、高校生活を、終えるのか?

 

萩市内には、職業高校もあり、特に、そこの学生さんは、進路と言えば、大半は、就職組らしいのであるが、聴けば、スポーツをやっていれば、就職するのにも有利だからって、打算的な、考え方だよね!!

 

会社の「か」の字も、わかってないのにさ・・・・・。

 

いったい、あるべき学生さんの姿とは?

 

むしろ、アルバイトをして、ためたお金で、本を買ったり、旅に出たりの生活のほうが、私は、高校生という学生生活を、豊かにさせるのではないか?と思うが・・・・・。

 

長々と、書いたけども、本や、旅というものは、ある意味、学校で、どれだけ高校生が、自分の社会についての、観察眼というものを、持っているのか?が、試されるところではないだろうか?

 

萩を、出ていくという学生ばかりなのであるが、萩の良さというものは、あるんだよね!!

 

故郷というものが、大切だという事も、知ってほしいと思うんだ!!

 

それでも、就職で、仕方なしに?出ていく、萩市!!

 

あれっ?

 

彼らは、好きで、萩市を出ていくのであろうが、本を読んだり、旅をするのであれば、なんと、仕方なしに、萩を出ていくという事に、変化してしまうんじゃないのか?

 

高校生活というもの。

大事だよ、これは・・・・・。

 

同時に、萩市内の、中小零細店の、今というものを、知ることができるし、しかし、それでいて、人口の減少傾向が、やっとこさ、ストップか?

 

萩を出ていく学生の、問題は、やはり、部活づけにされてしまうことに、原因がありそうである。

 

彼らを、解放すればさ、先ずは、小さな町、萩市内で、働き、そして、本を買ったり、旅に出たりで、それで、萩市内の景気というものも、どれだけ、その効果というものがあるのであろうか?

 

これは、萩市だけの問題ではなくってさ、今の、地方都市のすべてに言われることなのであろうに……。

 

もちろん、隣町の、長門市についてもであるが……。

 

先ずは、学生さんは、学校から、解放してみれば?彼らは、時間を、何に使うだろうか?

 

こんな、事を、考えた人、いないし、それを、試験的に試した人もいないし、いや、私の理屈では、そうなるのであるが・・・・。

 

それでなくとも、若い者が、これから、まだ、減少するのに、教育界が、変わらなくてもいいのか?

 

それが言いたいのであるからさ・・・・・。

 

学校の、先生たちってさ、それも、わからずに、先生と呼ばれて、恥ずかしくないか?

我々世代の、先生も、ずいぶんといるはずだけども・・・・・。

 

また、僕の話は、脱線してしまいましたが・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

僕の母さんの思い出ノートその1

 

 

 

 

 

 

 

私は、雄一、英子の間の、3男として、生まれてきたのが、1966年4月の28日であった。

 

小さいころには、Kという町の26番地に、1階が、福田屋食堂であり、2階は、住み家になっていた家で、私は、5歳ぐらいまで、つまりは、福田屋の2階に住んでいたのであったから・・・・・。

 

我が家の父は、本当に、引っ越しをするのが好きであり、小学3年に、今の実家に、住むことになるまでに、2回ほど、引っ越しをしていたことを、思うのであったから。

 

母、英子は、1936年の、12月6日に、大津郡日置村に、生まれたのであった。

 

父、雄一は、1930年の12月27日に、朝鮮で産まれたらしいのである。

そして、戦後と共に、今の長門市仙崎に、引き揚げてきたのであったのである。

父は、母と知り合うまでに、何回も、お見合いをしたのであるが、みんな、断られて、そして、最後の最後のチャンスでの、お見合いで、一緒になったのが、母であったのであるからさ・・・・・。

 

母は、よく口にしていたのであるが、それは、どうも、自分の、肉親の中で、ふくだという、同じ苗字の人が、父だったから、だから、父を、婿さんに、選んだというのであったから……。

 

その中で、3人の子供が生まれてきたのであった。

それが、みんな、男の子だったのであるからさ・・・・・。

 

上から、M、T、そして、私である、泰志という事になるのである。

 

私は、本当ならば、泰三という名前になるらしかったのであるが、しかし、祖父の命名によって、どうも泰志になったらしいのである。

私も、自分の名前は、気に入っているのであるからさ・・・・・。

 

何しろ、天下安泰を、志すという意味の名前なのであるからさ……。

 

この点は、母や、祖父に感謝しなければ・・・・・。

 

まずは、母親の言葉というよりは、父親の言葉から・・・・・・。

 

父の言葉で、いちばんに、思い出されることは?

 

やはり、この言葉であろうに・・・・・。

兄弟、3人がいるときに、言っていたのであった。

お前たちは、みんな、3人ともに、大学までは、進学させることを、約束しよう。

それが、わしのやる、お前たちの財産だからな!!

父は、とにかく、よく言っていた言葉で、学問という言葉が、大好きだったらしいのであるからさ・・・・・。

我々の前でも、よく言っていたのであった。

学問、学問、学問、と。

 

この言葉であろうに・・・・・。

 

Mの方は、商科大学まで、出て、そして、それから、専門学校、そして、神戸市内での、ホテルでの、修行だったとか?

 

Mの言葉で、だから、印象に残っているのはさ、これである。

「俺は、大衆食堂は嫌いだ!!レストランに、どうしても、したいんだ!!」

こんなこと、言ったことがあったっけかな?

それを、聞いた、私はさ、心の中で、思ったのである。

それは、どうして、大衆食堂が嫌なのか?という事であったから・・・・・。

 

そうそう、大衆食堂と言えばさ、父は、言っていた。

 

わしには、料理の腕がない!!だから、そこで、できることはなんだ??と、考えてみればさ、出前というものがある!!

わしは、車での、出前を、萩市内で、いちばん早く始めたんだぞ!!と。

 

父は、市役所を、初めとして、官庁から、病院、そして、学校から、家庭に至るまで、出前を始めたのであったから・・・・・。

 

私が、父が、観るべきところがあるとすればさ、自分に厳しい人であったという事か?

 

それは、なんでわかるのか?と言えばさ、店の経営から(従業員およそ10名はいただろうか)、毎朝の、散歩というもの。

よく、口にしていたのは、わしは、30年間、朝の散歩は、欠かしてはいないぞ!!という事であろうか?

 

結局は、である。

 

父は、出前を始めたのは、これは、料理の腕がなかったのであるが、しかし、3人の子供を、それも、男の子を、天から、授けられ、そして、自分で言うには、3人の誰もが、みんな、大学まで、卒業させてやるという言葉との、関連性というもの。

 

父の、運命的な、事は、3人の、男の子を、ちゃんと、大学まで行かせてやる!!

 

こう言わせた、父の、人生は、しかし、これは、運命的なことだったのかもしれないのであるからさ……。

そこには、父の愛情というものがなければさ、しかし、いくら、運命的だったにしてもである、それを、運命だと、受け入れることができないのではないだろうか?

私は、父からも、母からも、とにかく、愛されていたという事は、確かな事実なのであるが・・・・・。

 

ただし、私が、父を、嫌う?訳は、やはり、エディプスコンプレックスからだろうか?

いつもいつも、そう考えていたのであろうからさ・・・・・。

 

という事はさ、こういう、言い方も、できないだろうか?

それはさ、私が、ここまでしてでも、エディプスコンプレックスを、起こすまでに、母というものは、父を、愛しており、そして、父もまた、母を愛していたという事。

だから、父は言った、2人合わせれば、英雄だ!!という言葉も・・・・・。

その、英雄の第3男が、今、とんでもない世界に中に、位置付けられているという事は、これは、告白しても、いいのではないだろうか?

私の文学だけの世界の中だけではさ・・・・・。

 

ここの、精神科の人々というものはさ、融通というものが、利かない?というよりも、そもそもが、フィクションというものが何なのかが、わかっていない?!のではないだろうか?

フィクションを、解さない人々が、だから、看護師なんかを、やってはいけない!!

だってさ、我々、精神科関連の、患者というものはさ、フィクショナルな、精神世界というものを、どうも、感じているものが、多いという事であろうに・・・・・。

 

私は、家族はいないから、気楽なものである。

 

考えてみればさ、では、父の人生ってさ、これは、はっきり言えばさ、出前と、皿洗いの、これは、レストランではさ、はっきり言えばさ、下働きなのであろうからさ・・・・・。

 

しかし、それを、父は、おそらくは、人生の間、ずっと、ずっと、やりとおしたのであったから・・・・・。

父は、萩市役所などに、出前の配達人として、で入りしていたのであるが、さて、心のうちは、どうだったのであろうか?

萩市役所と言えばさ、大学卒が、幅を利かせているところである。

そこへ、毎日のように、出前という、パン箱を抱えてでの、出前というもの。

「人生とは、自分との闘いである」と。

お世辞にも、それは、カッコいいとは言えない、仕事ではあるのは、私も、一応は、父の仕事や、母の仕事というものを、一通りやってきたからなのであったが、しかし、私は、父になってはいない!!女房もいない!!

子どももいないのであるからさ・・・・・。

 

つまりはさ、守るべき人がいない!!という事なのであるからさ・・・・。

私はさ、心の病になったからというわけで、結局は、守るべき人はいないし、子どもすらいないのであるからさ・・・・・。

 

だけど、独身だから、これで、良いといえるのであろうに・・・・・。

 

 

 

聴けば、父は、本当は、今でいう、東京電機大学へ進学したかったそうなのであるからさ・・・・・。

 

しかし、浪人中に、母が、亡くなったのであるからさ・・・・。

だからさ、あれは、今でも、覚えている。

それは、私が、浪人中のことであった。

父は、口にした言葉があったのは?

母さんは、大丈夫だろうか?と。

やはり、父は、母を、愛していたんだなぁ?

多分、今思えばさ、相当な、ショックなんじゃなかったのかな?

自分の母が、亡くなったことは・・・・・。

 

それと、今は、とにかく、父の思い出である。

 

そーだ!!

私は、父からの、体罰や、殴るという事は、1回もなかったことを記憶しているのである。

あれは、小学2年の時だっけかな?

私は、夏休みに、1日だけ、登校拒否を、起こしたのであるが、あの時の父は、殴りはしなかったけれども、しかし、引っ張ってでも、学校へ、行けと、引っ張って、途中まで、行かけてたところであったが……。

 

結局は、居場所のない、私は、そこで、風呂焚きの、木材置き場に、隠れていたのであったのだからさ……。

 

当時はまだ、吉賀アパートでは、五右衛門風呂だったのであるからさ・・・・・。

 

萩市に帰ってきた、ある日のこと。

私は、やはり、朝の散歩をやっているときに、私は、谷村新司が歌う、サライ、という歌を、口ずさんでいることを、思い出したのであるから・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日のことであるが、私は、自分のブログと言うもの、エッセイというものを、これって、新しい文化の創造的な作業なのでありまして、いわゆる、クリエイトですよね!!

 

じつは、私には、大きな夢と言うべきか?

そこには、東京都内では、絶対に無理があるであろう、未来にかける、幸せの街である、萩市の建設というものを、やってみたく思うのであるが・・・・・!!

 

まずは、私の、この、エッセイ集である、ブログというものが読まれればであるが、さて、萩市内で、現在のところで、文化的な創造性のあるであろう、この街、萩市からの、愛のメッセージというものなのであるが・・・・!!

 

やはり、このブログは、ルーツと言えば?

これは、萩発、愛のメッセージであったわけであるが・・・・・!!

 

昨日の選挙で、なんと、自民党系の野村氏が、敗退した知らせを聞けば?

 

えっ?!

 

じつは、今のところでは、まだ、藤村新萩市長という人物は、明日からの、登庁であり、そして、この街には、福田泰志の、存在というものは、これは、いくら否定しても、やはり、無理があるわけであり・・・・!!

 

と言うのも、私には、萩市から、全国に向けてでの、情報発信というものを、やり続けており、もうすぐ、11年目になるが・・・!!

 

それも、私には、今、夢というものがあるのであり・・・・!!

 

その、私の夢と言えば?それは、今年は、是非共に、ラッキー年であり、2017年であるが・・・・・!!

 

本日も、またまた、ラッキーな年へと、なりそうな予感というものが、見えてくるようではあり・・・・!!

 

西暦では、わかりやすいのであり、今年は、西暦2017年というのであり・・・・・!!

 

私にとって、今年はどんな年であろうか?それであるが・・・!!

 

これは、まさかのことが、起こりそうな気配がしており、それは、なんだろうか?

 

もしや、グーグル検索では、キーワードで、検索で第1位???

 

これを、キープし続けられるであろう、大作というものが、それは、このノートに関することであるが・・・・!!

 

このノートに関する、超大作が出来ればさ、なんとまー、これは、楽天は、おかしいのであり・・・・!!

 

これには、確かに、楽天ブログ規約には、著作権はなし、人格著作権もなし、現在は、それらは、すべて、楽天社のものであると言うが・・・・!!

 

ここが、楽天社の、悪いところであり、どうして、著作者は、おれであり、しかし、制作者は、これもまた、おれであり、ならば?

 

では、そんなことでは、僕は、ブログの公開というものを、辞めなければならなくなり・・・?

 

それはね!!

 

なんだろうか?

 

私は、ついついと、私の、ブログの、将来展望に触れればであるが、これは、他人様の、ブログというものを観れば?

 

非常に、良くわかるのであり・・・・・!!

 

おれのブログには、確かに、個性があり、そして、自分では、最大限度の、努力をしており、だから、このブログは、きっと、日本一だぞ!!

 

日本一を目指すべきであろう、ブログの書き手であり、だからこそ言えることがあるが・・・・!!

 

それは、文化庁に、この街、萩市から、私は、今年には、その、テーマ性に関して、バクチでもしてみようか?とも、思うわけであるが・・・・!!

 

いやね、それは、父は、他界したが、母は、まだ、生きており、その母が、今、病床に伏しており、それで、あと、およそ半年間でろうか?

 

それは、文化の日がやってくるのには・・・・!!

 

確か?あの日って、文化勲章の日ではないだろうか?

 

そうなのであるが・・・・!!

 

私には、それが、狙えるであろう、その射程圏内に、私のブログは、今、入っているんじゃないだろうか?

 

これは、私が、調べる限りでの、他人様の、ブログとの、比較なのであるが・・・!!

 

どうやら、僕のブログには、それだけの、価値というものを、私は、発見したのでありまして・・・・!!

 

だから、もう、少しだけ、ブログを書いておれば?もしや、これは、良い母への、最後のプレゼントと言うことになるのではないだろうか?

 

だから、今年の文化の日が、私は、楽しみであるが、だけれども、そこは、ちゃんとした、プロ感覚というか?だから、もしも、文化勲章でも、与えられてもであるが、それでも、おおかた、私は、書ける限りは、とにかく、書きたいのであり・・・・!!

ただ、今の、楽天社のやり方には、私は、食い違いがあるのであるが・・・・!!そして、大反対なのであるが・・・・!!

 

それは、自分のブログというものは、それ自体でも、人様よりは、多いに違うのは、わかっており、だから、私が、編集者であれば?

 

なんでも、いから、ネタを探せ!!探せ!!であるから・・・・・!!

 

これで、恥ずかしくとも、笑えても、或いは、時には、エンターテイナーであり、時には、知的な読み物であり、時には、哲学者であり、時には、性の新しい発見であり、時には、物理学の新しい発見であり、時には、地理学での新しい発見であり・・・・!!

 

要は、毎日が、発見であれば?いや、じつは、本日もまた、新しい世界というものができるであろう、発見があるのであるが・・・!!

 

詳しくは、つぎつぎと、速報的に、のせられますが、何しろ、私には、めいっぱいであれども、これは、すべては、文学者である、福田泰志でしか、出来ない仕事になるわけであるが・・・・・!!

 

私は、文化庁への、電話時には、こう言ったが・・・・・!!

 

今の時代には、これは、いちばんに、面白くできることがあれば?

 

その形式は、やはり、これは、エッセイというか?随筆ではないのか?

 

もちろん、人々を、面白くさせ、そして、笑いあり、笑顔あり、そこには、ユーモアと、そして、人間、福田泰志の、常にではあるが、人肌の、暖かさと言うべきものが、絶える事なく、皆様に、提供して行きたくもありますが・・・・・・・!!

 

ただし、これは、私は、楽天社の、いまの考え方には、多いに、批判ありであり・・・!!

 

しかし、皆様に、これだけ、支持されている、ブログであれば?

 

ならば、社会の変革と言うことも、十分に、考えられるのであろうに!!

 

いや、もしかすれば?私は、存命中には、社会は、変われるのであれば?変わらせて、そしして、自分もそんな社会というものを、眼にしてでの、他界というものは、これは、やはり、筆者である、私の、作品の、出来不出来であり・・・・・!!

 

例えば?文化勲章を、今年は、狙っておるが、では、次の賞は?例えばさ、京都賞とかがあるわけであり・・・・・!!

 

私にとってでの、栄誉ある、賞というものには、他には、考えてみれば?

 

ないのではなかろうか?

 

なにかの賞でもなければナー・・・・!!

 

頑張りようがないのでり・・・・!!

 

ノーベル賞というものが、最終的には、考えられるのであろうか?

 

今のところは、まずは、文化勲章であり、それからが、名誉市民であり、次には、京都賞であり、そして、ノーベル賞か?

 

今、私は、思いつくままに書いておりますが、じつは、まずは、昔から、考えていたものには、やはり、文化勲章なのであり・・・・!!

 

取れるものであれば?取ってみたくもあるが・・・・・!!

 

だけれども、それを、語るには、やはり、それだけの、実績がなければ?まずは、無理であるが、しかし、私は、今、書いておるが、時間は瞬く間に過ぎており、すると、それは、襟裳岬の歌の歌詞ではないが、黙りこくった年月を、拾い集めて、語り合おう?!

 

それは、何者であろうか?

 

もしや、自分は、果たして、これは、未来であるから、誰にもわからないのであろうに!!

 

私は、困ったときには、いつも、これは、少しだけ、時が経つのを、待ってみれば?

意外な、変化というものが、見えてくるのであるが・・・・!!

 

あれ?

 

今、見えてきたぞ!!

 

じつは、私には、政治というものが、いちばんの、難しいことなのであるが・・・・!!

 

だから、この街の、市長が、まずは、いちばんに、それが、一般人であれば?超簡単なことではあるが、だけども、その簡単なことが、わからない?!

 

それにつけても、今書いた、賞と言えば?

 

まずは、文化勲章に、それと、京都賞であり、私には、じつは、ノーベル賞は、それほどには、重さと言うものがなさそうにも思えるが・・・・!!

 

僕は、右翼かな?

そんなわけ、ないない!!

 

さて、では、本来は、いちばんに、簡単なことであろう、萩市長の夢というものとは?

 

いや、じつは、なぜに、政治が難しいのかであるが・・・・・??!

 

つまりは、この街の、市長ですよね!!

 

なんで、これが、いちばんに、簡単なことなのに、いちばんに、難しいことかは?

 

何しろ、これは、任期は、4年間あり、しかし、そこには、やはり、未来はわからない!!誰にも!!

 

この思想なのであるが・・・・・!!

 

私の、文章の、出来が良ければ?次々と、選挙が終わった後ではあるが、リコールと言うことも、考えられなくはない?!

 

いやー、何しろ、こちらは、新人候補であり、だから、とにかく、期間を空けなければ?

 

判断材料がない!!

 

それなのであり・・・・!!

 

それと、私には、1日の時間というものは、すぐに経つのであるが・・・・!!

 

そして、また、明日かよ!!

 

これでは、時間はないですよね!!

 

その時間がないのが、じつは、目線で考えれば?それぞ、ドライバーの目線でもあり・・・・・!!

 

どうして、自転車しか乗らないであろう、私が、一日のうちには、時間がすぐに経過するのかな?

 

私には、まだ、細君がいないのであり!!

これか・・・・?

 

これが、無理であれば?

このまま、独身のままかもまた、不明点ではあり・・・・!!

 

この街、萩市は、やはり、長門市の風にあたれば?なんだか、息苦しいのが、この街の風でもあり・・・・!!

 

ここで、優先順位を付ければさ、こうなるのではないか?

 

まずは、この街である、萩市は、もう時間的には、一刻も許されないのであり、そして、となりの、長門市は、萩市よりも、もっともっと、深刻な問題を抱えており・・・・・!!

 

それで行こうではないか?

 

と言うことは、であるが、じつは、今の、新萩市長の、藤道氏には、申し訳ないが、彼には、もう、時間の問題かも知れないのであり・・・・!!

 

それは、私は、市長選挙の後で、申し訳ないが、彼は、経歴を観れば?

 

なんとまー、確かに、萩市で生まれて、萩市内の学校で教育を受けてでの、後は、今の、萩市のことであるが、藤道氏には、まだ、萩へ帰ってきたのは、去年の、5月であり、と言うことは、まだ、萩市での暮らしは、1年間にも満たないのが、これが、私が着目するであろう、彼の、経歴であり!!

 

だから、彼は、いったい、なにを頼りにであるが、萩市政というものを、考えているのかな?

 

その点では、この私は、1991年に、萩市に帰ってきて、今年で、26年目でもあり、だから、26年間の、萩市の変化というものを、ちゃんと観ており、しかも、私には、あると言えば?それは、だから、今年で、51才であるが、その間、萩市を離れたのは、大学生活の、およそ、5年間だけであり・・・・!!

 

つまりは、萩市での暮らしの長さでは、時間的には、私の方が、超有利でもあり、風は、どうやら、吹かせられれば?これは、藤道市長か?それとも、自分であろうか?

 

何しろ、私には、いちばんには、このブログの書き込みには、およそ、11年間であろうか?

私は、その間には、色々な仕事についており、中には、郵便配達というように、これぞ!!超ハードであった、人生における、これぞ!!超難関である、その門というものを、くぐり抜けてきたんだ!!

 

この話は、だから、前の読者には、よくわかるであろうが、じつは、私という人間は、まるで、ヘラクレスという、それは、かつてのギリシャの神話による、英雄とされていた、その人物への、期待というものを、予感させることが、出来るかな?!

 

心配事があれば?それは、私には、支持者がいない!!ただし、マイブログの方は、変動があるが、日に、多ければ?400人ほどの、読者があり、しかも、これは、公開は可能でもあり・・・・・!!

 

 

こういう、秘策というものがあるのであり!!

 

新市長が、全く知らない、萩市と、私は、特に、旧萩市では、恐らくは、合併前の萩市では、恐らくは、いくら、萩高校卒で、萩市役所に、入所したとしても、やはり、今頃は、トップクラスの、出来る職員、で在ったのではないだろうか?

 

何しろ、私は、萩高校卒で、萩市役所でも、別に、いいじゃないか?と言うような、思想の持ち主であったが・・・・!!

 

だから、それだけ、萩市の、オーバーではあるが、萩市では、大学卒よりも、萩高卒の、私の方が、良く出来る職員だっただろうに!!

 

自信があったから、だからでの、萩高校卒での、萩市役所ではなかったか?

 

今時の、萩市の職員は、萩のためにと言うわけでもなく、萩市が大好きだから・・・でもなく!!

 

あのさ、だから、それでは、私にとってでの、大学生活は?なんだったのかであったが・・・・!!

 

それは、やはり、親には、感謝しなければなー・・・・!!

 

それは、東京方面までの、関東学院大学には、留年してでも、通わせてくれたのであり・・・・!!

 

しかも、その、私は、横浜市から、新山口までは、いつも、いつも、新幹線で、日本の国土というものを、ちゃんと、観察してきたのであり・・・・!!

 

だから、萩市にいながらも、思い出しては、首都圏のことや、関西圏のことでも書けるのであり!!

 

どうやら、これぞ!!

 

私も、後々、気が付いたのであるが、その経路は、なんと、吉田松陰が、たどったであろう経路と、ほとんどと言ってもいいのであるが、ペリー提督が、横須賀の浦賀に来たときには、1853年であるが、その時には、吉田松陰は、歩いて、浦賀に来ており・・・・・!!

 

それと、ほぼ同じであろう経路というものを、吉田松陰が、没後およそ、130年後の、じつは、横須賀市は、浦賀という街のあるであろう、三浦半島の先端部にある横須賀市に、私は、1986年次に、関東学院大学文学部に、入学しており、だから、本当にこれは、奇遇なことであるが・・・・!!

 

130年前に、松陰が観た、日本と、それから、130年後に来た、私は、だけども、そこには、今や、日本が誇れるであろう、新幹線ででの、長旅であり・・・・!!

 

しかし、私は、いつも考えることは?

いまの、新幹線の、のぞみ号に、この国ののぞみはあるのか?であるし、もしもあれば?ならば、そこからであるが、では、今の、萩市民には、新幹線のぞみ号に乗って、この国の、観察者になれるのか?であるが・・・・!!

 

私には、要は、自分の性格の、シャイな部分というものを、持ち、これが、私の青春の影なのであり・・・・・!!

 

最後の方であるが、だから、私には、このブログで、語りたいのである!!

 

国民には、笑顔を!! 国民には、夢を!!

国民には、明日を!!国民には、のぞみを!! 国民には、笑いを!! 国民には、勇気を!! 国民には、生きる喜びを!!

そして、国民には、ゆとりを!!

 

国民には、先生を?!?!うん?!最後には、?記号が付くのであるが・・・・!!

 

それは、私は、先生ではないし、しかし、それでも、夢だけを、想いを、語らせらせられれば?超一品ではないだろうか?

 

その才覚はあれど、イマイチ、良くわからんのが、それは、お役所言葉だ!!

 

これであるが・・・・!!

 

私には、普段は、ひらかな使いの名手であるが故に、よりいっそうではあるが、私は、お願いしたいのは、お役所言葉は?これは、市民には、翻訳でもして、わかりやすい言葉で、

あなた方は、作成する義務があるのではありませんか?

 

と言うことを、述べたいのであり!!

 

政治用語と言うべきか?

やたらと、漢字が多いのであるが、私は、漢字は、嫌いであり・・・・・!!

 

出来れば、いや、そうしてくれなければ?

 

私には、理解に苦しむのが、それが、今の政治用語なのであり・・・!!

 

それと、青春の影の、問題であるが・・・・・!!

 

そして、夢の方は?これは、まずは、我が名前であるが、泰志であるが、この、泰という文字には、泰山北斗の泰の字であり、または、天下泰平の泰であり、それらを、志す人であれば?

 

後は、日々の努力をやっておれば?

文化勲賞であれ!!京都賞であれ!!或いは、ノーベル文学賞であれ!!

 

これらの賞は、付いてくるのではないのか?であり、私には、どうやら、後の、20年間は?この街、萩や、長門市内ででの、人生の終盤戦は?だから、今まで溜めてきたであろう、本の山があるが、それらの本は、やはり、読むべき必要があるのであり・・・・・!!

 

で、出来うることを、考えてみれば?

なんとまー、それは、いかにも、萩市らしいアイディアではあるが、21世紀の、松下村塾でも、立ち上げられればなあ?

 

或いは、古代ギリシャにあったであろう、アカデメイアという、やはり、どちらにしろ、どうやら、人生の終盤戦は?自分には、子供がいないが、だけれども、学べば?それを、萩や、長門の子らに、伝えるべき仕事が在るんじゃないだろうか?

 

教育者と、萩市長では、どちらが、重要か?であるが、これは、まだ、今日書いたばかりだから、時間変化でも見たくもあり!!

 

これで、おしまいであるが・・・・!!

 

 

 

 

 

 

 

 

ところが、これは、別に、萩市民だけの問題では無いのであるが、日本国内の、教育界には、私は、激震が走ることであろうに!!

 

と言うような、記事というものを、昨日は?掲載したのであるが、其れは、例えて言えば?コンピュータ症候群とかというような、新しい呼び名での、これは、ある意味ではあるが、新種の精神疾患であろうに!!

 

昨日は、萩市内の、職業高校生たちに、聴いたことから、私は、ブログ(エッセイ)を書いたのであるが、そして、本日のことではあるが・・・・・!!

 

じつは、私は、日本キリスト教団における萩教会の、日曜礼拝に参加して、そこには、なんと、京都大学法学部を、卒業するであろう、学生さんと、私は、昨日に書いたように、まさか?

 

京都大学の、学生さんまでもが、彼の、コメントを聞けば?新種のコンピュータ症候群と呼ばれるであろう、新種の病にかかっていようとは、驚いたのであり・・・・・!!

 

僕は、京都大学の、彼に、尋ねてみれば?

彼は、このように答えたのであるが・・・・!!

 

まずは、私は言った!!

其れは、「コンピュータに関するであろう、英語って言うものの、意味と言うことを、考えたことがあるのかね!!」と、京都大学生の、A君に、私が、尋ねれば?

 

彼は、こう返事をしたのであり・・・・!!

 

「僕たちは、生まれたときから、もう、既に、コンピュータがあったから、だから、特には、コンピュータ英語に意味だなんて、考えたりはしなかった!!」と言うのであるが・・・・!!

 

しかし、私の世代では?これは、わからない言葉があれば?是非共に、これは、わからない言葉に意味というものは、これは、辞書を、ちゃんと開いてであるが、調べる必要がある!!

 

このように、我々は、萩高校時代には、英語の教師の、佐々木先生には、学ばされたのでありまして・・・・!!

 

そして、彼は、こう言うのであり・・・・!!

 

僕には、コンピュータ英語というものは、これは、もう、日本語である!!という感覚ででの、言葉であり、だから、例えば?カーソルと言ってみても、その意味はどんな意味かがわかりませんよ!!」

 

これが、京都大学生の法学部生の言葉でもあり、だから、私は、あっけにとられたのでありまして・・・・・!!

 

 

そして、僕は、東田町商店街ででの、閃きがあったわけであるが、そこで、思うことは?

 

其れは、こうなのではなかろうか?

 

今の、コンピュータ社会というものは、とうとう、このような、人間を、生産し始めたのか?

 

これを、考えればさ、昨日の、萩市内の、職業高校生には、彼らは、例え、高校卒であってもであるが、それでもさ、一般教養というものは、必要はないのか?

 

或いは、そこには、より、教養というものを、深めるというような、そのような、意思というものはないのか?

 

そして、私は、だから、君らは、私塾があれば?そこで、学ぶのかい?!と、聴いてみれば?

 

其れでは、お小遣いがなくなるから・・・・!!

 

そう言う返事が返ってきたのでありまして・・・・!!

 

だから、私は、悩むのであるが、其れは、彼らは、わからない言葉が、多すぎてでの、ムカつくという言葉を、吐きだしており、其れでかよ!!

 

私には、全くわからないような、パソコン英語と言うものが出てきてもであるが、其れでは、なんとかして、私ならば、やはり、知らない言葉は、意味がわかれば、そこには、何かしらの、幸福感というものがあり・・・・・・!!

 

幸せ感というものが、沸き上がってくることが、其れが、私には、わからない言葉を、辞書で調べることなのであり・・・・・!!

 

だから、私は、いつもいつもであるが、電子辞書を、持ち歩いており、そして、調べると言うことでもやっておりまして・・・・!!

 

だけども、今の、学生さんたちには、其れがないのであるが・・・・!!

 

その意思というものがないし、また、調べるという習慣がないのでありまして・・・・!!

 

私には、当たり前のことであるが、これが、いつの間にやら、当たり前ではなくなったのであるが・・・・・!!

 

だから、私は、萩市内では、主に、萩商工高校生や、長門高校の、学生さんたちには、だから、わかる喜びというものが、あってもいいのでありまして・・・・!!

 

と言うことは、これは、非常に、危機的ですよ!!

 

と言うのも、これは、今の、日本中の学生たちを、集めることにより、私は、英語という科目を、通じてであるが、学ばせると同時に、私も、また、彼らには、学びたいものがあるのであり・・・・!!

 

だから、これは、夏目漱石の人生のようにであるが、ある意味、これは、他人事ではないのであり!!

 

自分の事なのであり・・・・!!

 

私は、だから、是非共に、萩高校から、商工高生や、長門高校生たちにも、学びの場?と言うものでも、提供できればいいのであるが・・・・!!

 

しかし、其れが、なかなか、できないのであり・・・!!

 

でも、学びたい人は、どうか、私のブログを、支持してくださいね!!

 

今現在の所では、萩高校生と、長門高校生とは、同じような、レベルにあるのでありまして・・・・!!

 

だから、今の、高校生たちは、スポーツばかりやっており、ある意味では、不幸なのであるが・・・・・!!

 

とにかく、今では、萩校生と、長門高校生とでは、私には、どちらに関心があるのかは?これは、出来の悪い、テストの点が低い方の高校生の方が、やはり、魅力ありであるが・・・・。

 

其れも、スポーツをやっているような、高校生というものが・・・私には、是非共に、私は、教えてみたいであろう学生像でもあり・・・・・!!

 

私には、だから、これは、21世紀の、アカデメイアか?とも、思えるような、現在の学校のルーツでもある、ギリシャ哲学というものに、沿った形ででの、表現活動になるわけでありまして・・・・・!!

 

 

本日は、だから、京都大学生達が、私には、理解不能であり・・・・。

 

では、本日も、また、昨日のだから、教育の、コンピュータ化によるであろう、まさに、その原点というものが問われており、

 

 

この問題は、だから、大問題でありまして・・・・!!

 

 

 

 

 

題して、コンピュータ症候群とも、その心の、ある意味、病と言うことには、これは、そもそも論ではあるが、これは、萩市内の、小学、中学、そして、高校生になるまでに、いったい、今の、学校の先生たちは、果たして、何を教えているのであろうか?

 

特に、英語の時間であるが、いや、もしくは、これは、すべての教科に言えることと言えば?

 

だから、今の、学校の現場にいるであろう、生徒たちが、学んでいるであろう、学校教育というものとは?

 

私は、本日のこと、長門市駅から帰りの、列車の中で、萩市内の、高校2年生と、ちょうど、あれは、私が、電子辞書というものを、開いて調べ事を、やっていたときのことであるが・・・・・!!

 

えっ??

 

なのであるが・・・・!!

 

それがであるが、本日は、英語のテストを、受けたのであったが、これは、非常に、難しい問題であり、これぞ!!

 

もしや、京都大学レベルかなー!!

 

と言うような、問題に当たったのであるが・・・・!!

 

私は、そのテストを、受けてであるが、半ば?あきらめ顔ででの、ことであったが・・・・・!!

 

そして、帰りには、長門市駅からの、萩市内の、ある高校生からの、4人組と、其れは、まるで、ギリシャ哲学の祖である、ソクラテスが、行ったであろう、産馬術というように、まー、いわゆる、問答法でもやってみたのであり・・・・!!

 

つまりは、スマホという機械を、彼らは、皆さんが、同じように、其れは、活用方法は?

 

まるで、其れは、私から観れば?

 

彼らは?まるで、コンピュータのプロではないだろうか?

 

そんな、私には、じつは、コンピュータに対しては、ほとんどは、無知な状態でもあり・・・・!!

 

で、これは、どう言う意味であろうか?

私は、とにかく、大学では関東学院大学の文学部英米文学科卒なのであるが・・・!!

 

そして、私は、じつは、萩高校までの、3年間までは、英語の授業というものを、必死でやったのであり、だから、大学では、私は、何を、行っていたのか?

 

其れは、東京都内や、横浜市内と言うところに、京浜急行線に乗ってでの、東京都内の視察とか?横浜市内の、視察とかであったが・・・・!!

 

其れは、私には、メイン・テーマというものがあったわけであり・・・・!!

 

其れは、この首都圏の中でであるが、そこには、いつもが、テーマは?萩市とは・・・?

 

これが、大学時代の私の、メイン・テーマなであり・・・・・!!

 

しかし、その後のことであったが、私は、ふるさと萩市には、帰らずに、関西へ行ったのであり・・・・!!

 

僕は、あの時のことであったが、本音は?

これは、関経連会長になるぞ!!

 

これは、関西地方の、経済界の、トップに当たる、ポジションになるわけであり・・・・!!

 

ところがさ、私は、敢えなく、すぐに、帰萩したわけであるが・・・・・!!

 

それから、今年で、26年目に当たるのであり・・・・!!

 

西暦では、2017年といような、これぞ、私には、ラッキー年でもあり・・・・!!

 

そして、帰りに、萩市内へ向けて、帰るであろう、高校生の4人組にでもであったのであったが・・・・!!

 

彼らは、萩市内の職業高校であり、2年生でもあり・・・・!!

 

そして、私は、彼らの中の、主に、1人だけには、まるで、問答法でもするかのように、列車内で、語り合ったのであり・・・・!!

 

すると、彼らは、例えばさ、私には、全くわからない、コンピュータ英語の意味というものが、わからないが故にでの、だから、コンピュータには、付いてはいけない人なのであり・・・・!!

 

私は、常づね、考えるのであるが・・・・!!

 

其れは、私は、萩高校英語までは、ちゃんと、学んできており、だから、英語には、基礎学力はありであるが・・・・!!

 

ところでさ、私は、では、彼らに、尋ねてみれば?

 

君らは?「コンピュータの英語というものを、どう考えているのか?」

 

私には、これが、今までの、大きな大きな、疑問なのであったが・・・・!!

 

ところがさ、では、彼らに聴いてみれば?

「君らは、インストールという言葉を、活用しておるが、その言葉の意味を、わかっているの?」

 

或いは、「君らは、例えば?コンピュータ用語では?カーソルや、ポインタ、ハードディスク、その他、諸々であるが・・・・!!」

 

「これらの、意味というものは、君らは?わかっておるのかね・・・・!!」

 

そして、私は、聴けば?「わからない!!」と言うし・・・!!

 

そして、「では聴くが、君らは、日本語のひらがなや、漢字や、カタカナの意味はわかるのか?」と聴いたところで、その違いというものは、「わからない!!」になるのであり・・・・!!

 

では、「君らは、英語を、学ぼうという気には、ならないのかね?!」と聴けば?

 

其れもまた、ノー、であり・・・・!!

 

だから、私は、その事実には、卒倒しかけたのであり・・・・・!!

 

で、では、「僕の書いておる、この、エッセイの意味というものは?わかっておるのかね!!」

「これを、ちょっと読んで観てくれんかね!!」と、私は、自分の書いておる、ブログ(エッセイ)というものを、彼には、読ませてみれば?

 

1人だけに、読んでもらえば?どうやら、文章の、読解力というものが、問われるのであるが・・・・・!!

 

じつは、わからない言葉があるとのことであるが・・・・!!

 

ならば、私は、電子辞書であり、彼らは、インターネットであり・・・・!!

 

これは、いかがなものであろうか?

 

この違いとは?

 

私には、其れは、萩高時代には、英語の先生からは、かたくなに、辞書を開いて、調べなさい!!言葉の意味というものを!!

 

其れという、これは、英語をやるものとしては、とにかく、欠かせない条件であり・・・・!!

 

私は、佐々木先生に教えられたように、其れを、今では、辞書の代わりには、電子辞書なのであり・・・・・!!

 

だから、当時を知るものとしては、これは、電子辞書というものは、画期的な発明品なのであるが・・・・!!

 

しかし、今時、電子辞書を買うものは、それほどいないのであるが・・・・!!

 

つまりは、彼らは、勉強よりは、もっぱら、スポーツばかりであり・・・・!!

 

だけども、私には、気が付くことがあれば?

 

それは、やはり、学生さんは、勉強をどうにかして?重視してほしいものなのであり・・・・!!

 

しかし、私には、彼らの、心が、意外にも、わかったりなんかして・・・・!!

 

そして、私は、彼らには、ちゃんとした、英語の時間というものでも、与えられないものか?

 

なのであるが・・・・!!

 

しかし、これが、いまの、学校の教育現場であれば?本当に、彼らは、可愛そうにも思えてくるのでありまして・・・・・!!

 

これが、今の、萩市内の本当に、教育現場なのであれば?

 

私には、今の、学校の先生たちは、何を、教えているのか?

 

そのような、腹立たしい気分になるのでありまして・・・・・!!

 

と言うわけで、今の、萩市内では、学校の先生たちの、出来、不出来が、本当に、問われているんじゃないだろうか?

 

そのように、教育にかける情熱のある、学校の先生とは?誰か?いない者か?

 

僕は、だから、公務員の暮らしというものには、やはり、疑問ありであるから・・・・!!

 

これは、萩市としては、緊急課題でもあり、学校の教育現場というものは、今、どうなっているのやら・・・・!!

 

さっぱり、わからないのである!!

 

今の、学校の先生という人たちの姿というものが・・・・・!!

 

同時に、今の、学校の現場には、果たして、あるんだろうか?其れは、教員免許なんて、あんなものは、必要はないのであり・・・・!!

 

むしろ、学校の先生には、求められるのは、教養になるのではなかろうか?

 

本日、其れを、実感したのでありまして・・・・・!!

 

以上、萩市からのレポートでありまして、これにて終了します!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕が、関東学院大学を卒業するときのことであったが、当然のように、就職活動を行ったのであったが・・・・!!

 

その前に、私は、大学の図書館前にあった、日本経済新聞には、なぜだろうか?

 

暇なときには、いつでも、私は、大学図書館前にある、各新聞社の新聞が並んでいたが、私は、家では、朝日新聞であり、そうしてであったが、学校図書館前では、家では、読めない新聞であった、日本経済新聞を、毎日のように、読んでいたのであり!!

 

ところがさ、果たして、あの時には、いったい、何を、読んでいたのかは?

 

それがさ、あまり、覚えていないのであるが・・・・!!

 

なぜに、また、文学部の英米文学科の学生さんが、日本経済新聞なのかは?未だもって、不明なのであるが・・・・!!

 

ただし、就職活動では、私は、どう言う訳であろうか?

 

私は、関東の横浜市に居たのにであったが、関西系の会社ばかりの、就活であっただろうに!!

 

いちばんには、阪急電鉄で、それから、JR西日本であり、東宝映画や、流通大手で庶民に人気のあったであろう、ニチイであり、他には、他には、関西系と言えば?

 

関西の特色である、各製薬会社であり、しかし、ここは、パンフレットを、もらっただけであり!!

 

後は、トイレの会社である、TOTOであり、確か、あの会社には、こんなコメントを、書いた覚えがあり!!

 

それは、汚いと思われがちな、トイレというものの、変革を!!と言うような、コメントを、確か、イナックスではなかったはずであり!!

 

そこにも、また、訳ありであり!!

 

多分、それは、いくら、関西系と言ってもであったが、それは、本社所在地が、大阪市であり!!

 

だから、大阪市への、こだわりありであったし・・・・。

 

そうそう、当時は、関西新空港の話題で、日本中が、沸き上がっていたんだろうに!!

 

東京に居ても、関西からの、ニュースでは、関西新空港の、ニュースが、取り上げられており!!

 

これが、私が、関西系の企業を、選んだ理由ではなかっただろうか?

 

他には、ダイエーもあり、後は?積水ハウスや、いわゆる、プレハブ住宅会社であったり、その他には?

 

大阪で、有名なのは?食品メーカーであるが、それでもなし!!

 

衣料品では、だから、萩市の田町にあった、ニチイ萩店のことを、思いだしたわけであり!!

 

これには、じつは、関東地方では、イトーヨーカ堂という、大手の流通会社が、幅をきかせていたのであり!!

 

当時の私は、じつは、そーだ!!

 

当時は、まだ、まだ、関西系は、関東系と、それほどは、格差というものは、付いてはいなかったわけであり!!

 

皆さんは、今は知らないだろうが、例えば、コンビニでは、セブンイレブンは、関東系であり、親会社は、イトーヨーカ堂であった!!

 

そーだ!!

 

その他には、デパート会社があったのもまた、関西系の強みでもあったし!!

 

今でこそ、どう言う訳であろうか?

 

大阪市や、関西系の会社は、あれから、4半世紀が経ったのであるが、今の、大阪市や、関西系の会社の話題と言えば?

 

どう言う訳であろうか?

 

関西国際空港があるというのにであるが、しかし、なぜだろうか?

 

あれから、萩で、聴けば?

 

大阪・関西は、経済的に、東京都に、大差を付けられた!!

 

つまりは、大阪・関西の停滞というか?衰退化というものが、始まって、久しいのであり!!

 

どうしてだろうか?

 

私が、内定をもらった、ニチイですら、消え去ってしまったのであるが・・・・!!

 

住宅メーカーに、大手の建設会社から、百貨店であり、それから、製薬会社であり、そうしてであったが、ニチイへの内定であり!!

 

後は、プログラマーの会社であった、トランスコスモスであったが、あの会社は、2次試験を、拒否したのであり・・・・!!

 

と言うようにであったが、で、ある日のことであったが、私は、朝日新聞の、ある、欄に、目が向けば?

 

あれは、確か?武蔵野芸術大学の大学職員の、募集欄から、ふっと、思い出したのが、それが、ならば、関西では?

 

確か?僕は、奈良大学の地理学科に合格していたのであり!!

 

それでである、僕が、奈良大学の学校職員を、受験したわけであり!!

 

で、内定は、ニチイ株式会社と、奈良大学の学校職員だったわけであり!!

 

僕は、あの時には、おおいに、迷いがあり!!

 

確か?奈良大学受験時には、もしも、僕は、試験に合格しても、奈良大学には、行かないかも知れない!!

 

そんな言葉を、確かに、試験を受けたもう一人の女性と、近鉄京都線の電車の中で、話をしたことがあったのであり!!

 

あの時には、彼女は、こう言っていたが・・・・。

 

大阪・関西を、捨ててまで、なぜに、東京へ行くのかが、わからない!!と言うような、事もまた、話をしたことを、今になって思い出すのは?

 

だから、どうして、大阪・関西というところが、関西人は、東京へと、でていったのであろうか?

 

今の、関西圏の特徴は?未だに、人口減少であり!!東京への、一極集中型が、止まらない勢いであり!!

 

名古屋圏も、最近のニュースでは、やはり、関西と、同じような、現象が発生しており!!

 

僕は、いったい?

 

大阪市というか?関西では?

 

あれっ?

 

おかしいんだけれどもさ・・・・・!!

 

例えばさ、なんでさ、関西へ行ったときに、今、思えばさ、あれは、関西では、大歓迎されたかのような、そんな、気分なのは?

 

いやね!!確か、あれは、読売テレビだっただろうか?

 

どうしてさ、当時の関西では、関西エリア一帯で、「百道三太夫」というような、いわゆる、エロテックな、映画というものが、放送されたんだろうか?

 

ま、偶然と言うこともまた、考えられるのでもあるが・・・・!!

 

まー、それから、私は、みなさんが、知っての通りであるが、奈良大学の学校職員では、図書館で、勤めていながら、辞めてしまい!!

 

それからの、今日までは、どう言うような、毎日というものを、過ごしてきたことか?

 

確かに、関西を、離れようとしたときのことであったが、近鉄の京都線内では、なんだろうか?

 

あれって、偶然か?

 

イケメン風の、ガタイの良い、青年が、私の前に、乗ってきたのはさ・・・・!!

 

そんな、こんなであったわけであるが、私は、当時の夢であると、友人たちに、話していたことであっただろうか?

 

関経連の会長を目指すぞ!!

 

と言うことを、豪語していたのは!!

 

そんな、私がさ、今、50才であり、田舎の萩市に、引っ込んでであるが、ここで、では、今度の、萩市長選の、候補者になるのであるが・・・・。

 

今は、2人の、候補者がいて!!

 

野村氏は、京都大学の経済学部卒であり、藤道氏は、一橋大学の経済学部卒であり、どちらもが、じつは、市長のイスである、たった、5万人弱の、人口の街の、1つの、萩市長のイスを、狙ってであるが、立候補しているのであるが・・・・・!!

 

しかも、両候補に、共通している点は?

 

なんとまー、野村氏は、だから、有名なのは?大蔵省の、元は、官僚であり!!藤道氏は、彼は、官僚ではないが、しかし、私は、眼にもくれなかった、銀行業からの、退職者であり!!

 

でさ、ここで、私が、もしも、有力な候補は、野村氏であるが、では、僕は、もしも、官僚になれるよ!!と言われれば、僕は、まずは、国土交通省を、選んだであろうに!!

 

次には、文部科学省であり!!

 

で、最後には、経済産業省とか?

 

後は、文化庁と言ってもであるが、あれは、文科省の中にあったのであり!!

 

と言うように、僕ならば、絶対に、拒否をするであろう、大蔵官僚であったり、或いは、銀行業からの、候補者というものが、もう、選挙運動を、始めてるんだろうか?

 

ふーん!!であるが・・・・・!!

 

ちなみに、僕は、かつては、関経連会長のイスを狙ったというのにであるが、今では、なんとまー、小心者に、なっちゃったんだろうか?

 

大学を、卒業した当時は、あれだけの、元気な、元気な、福田であったのにであるが・・・・。

 

まー、僕は、だから、ある意味ではあるが、今の自分は、相当に、萎縮しているのであり!!

 

元気のない、大学卒業当時の、福田ではなくなったのであり!!

 

そこに、私の、今の、自信のなさというものが、うかがわれるのであるが・・・・!!

 

あれは、じつは、偶然の一致では?

しかし、それでは、上手くできすぎてるよね!!

 

そうとも、思ったのであるが・・・・!!

 

そうだ!!奈良大学は、僕の時だけであろうに!!

 

あれだけの、規模の大学で、なぜに、同期生の新入職員が、確か、7~8人も?

 

それってさ、やはり、今思えばさ、なにかを、感じないわけには、行かないのであり!!

 

どうしてさ、あの時だけ、そうだったんだろうか?

 

謎であるが・・・・!!

 

今思えばさ、どうして、関西は、ダメになったんだろうか?

 

そんなこと、わからないよ!!