Symphony 4/Intercord

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 今日の一枚は、ギーレンと南西ドイツ交響楽団によるマーラーの交響曲第四番。久しぶりに見つけた超名演。これほどの名盤に出会ってしまっては、いつもは謙虚なぼくも少し過剰に褒めざるをえない。

 ギーレンは、現在ヘンスラーレーベルと契約し録音している。しかし、それまでは今はEMIの傘下に入ってなくなってしまったインターコードというマイナーレーベルを中心に録音していた。最近のギーレンは昔のような冷徹さが和らぎ優しくなったことを、以前からこのブログで述べてきた。その変化の境界をあえて示すとするならば、インターコードレーベルからヘンスラーレーベルに移籍した前と後とすることができるかもしれない。印象の薄い地味なインターコードレーベルのジャケットとドライなギーレンの演奏スタイルがぴったりだ。

 インターコード時代のギーレンの録音は、今となっては中古でしか手に入ることはないだろう。Waltyの中古ワゴンセールでたまたま見つけて手に入れることができたのだ。少し前までの音楽関連の書籍を読めば、一癖ある評論家たちからギーレンが強い支持を受けていたことがわかる。しかし、ギーレンはそのスタイルを今では変えてしまい、それらの書籍に掲載されている推薦盤もほとんどが廃盤となってきくことさえできなかった。ゆえに、初めて過去のラディカルなギーレンの演奏をきくことができると、かなり期待してこのアルバムをききはじめた。

 たいていのアルバムは、期待しすぎると裏切られることが多い。「あ、こんなものか」と失望してしまう。一方、だからこそ、期待通りの、ある意味期待を裏切れられ期待以上の名盤に出会ったときの感動も大きいのだ。

 ギーレンのアルバムは期待をはるかに越えた大きな喜びをぼくにもたらしてくれた。既にヘンスラーレーベルのアルバムを何枚か接して、彼に愛想を尽かしかけていたこともあった。ぼくの彼への期待は、既に消えかけていたのだ。しかし、このアルバムをきいて、昔に多くの評論家たちがギーレンに心酔していた気持ちがやっとわかった。そこにはまぎれもない冷徹な眼差しで音楽をクリアかつドライに慣らし切るギーレンの姿があった。

 ぼくの愛するクレンペラーの若い時代とギーレンには通ずるところがある。音の整理魔と呼ぶにふさわしい精緻な音作りから生まれるクリアな音色と音楽の細部を浮き彫りにする神経の張り巡らされた知性を兼ね備えた音楽だ。彼の手にかかればマーラーのグロテスクさも丸裸にされ、音楽の構造美としてそのまま立ち上がって来る。バーンスタインやテンシュテットのように感情が奔流するマーラーに慣れ親しんでいる自分にとっては、実に新鮮にきこえる。クレンペラーよりも、その即物的な姿勢は徹底しているかもしれない。

 クレンペラーやブーレーズのような虚飾を排した演奏を好むぼくには、こういうマーラーがききたかったんだよ!と思わず手を叩きたくなるような喜びに浸ることができた。ちなみに、即物的でドライといっても、最近よく見られる技術的な冷たさを意味するのではない。ひとつひとつの音によって紡ぎだされる構造美を際立たせ、音色によって雄弁に語る。まさに、音楽だけで我々の心を打つのだ。第一楽章の美しさに、体全体がとろけてしまいそうな陶酔感に浸ることができる。第三楽章の優しさなどどうだ!ぼくはききながら久しぶりに涙が出そうになった。美しい音楽を奏でるのに、感傷的になる必要などない。目の前の楽譜をただ誠実に音にすればいいのだ。

 さらに、録音が素晴らしい。マーラーの4番では今まできいた中でベスト録音かもしれない。南西ドイツ交響楽団のきめ細かく肌触りの良い響きが体に心地よい。微細な霧のシャワーを浴びているような気分になる。ぼくのスピーカーからこんないい音が出たんだと気分が良くなる。こんな良いレーベルがあったんだね。