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 前回はフィリップスのボックスについて苦言を呈したが、今日は吉報を。先日このブログでも紹介したプーランクとクレンペラーの交響曲集のボックスがどっと届いた。全部で50枚!少々値段ははったが、ぼくの大好きな作家と作曲家の演奏が大量に手に入り、ここしばらく幸せな音楽生活が続いている。修論の精神的な疲れから最近はクラシック音楽とすっかり疎遠な生活が続いていたが、本当に良い音楽を前にすれば、そんな倦怠感は吹っ飛んでしまう。ぼくの音楽愛が枯渇していたのは、ただ単に駄演をききすぎて、感性が鈍っていたのかもしれない。

 今日はクレンペラーのロマン派の作曲家を集めたボックスの一部を紹介しよう。音楽を冷徹な眼差しによって客観的に解釈する新即物主義は、ロマン派の反動として生まれた。ならば、新即物主義的にロマン派の音楽を解釈することは、方向性がく異なるゆえにマッチしないのか。新即物主義を最も体現した指揮者であるクレンペラーは、ロマン派の音楽を得意としなかったのであろか。もちろん、そうではない。彼はバロック音楽から現代音楽まで、幅広いレパートリーを誇っていた。どれもが素晴らしい名演であり、ロマン的な指揮者よりもはるかに見事に演奏してのけたのだ。
 
 ならば、なぜクレンペラーは新即物主義を標榜する指揮者でありながら、ロマン的な一面もあるのか。彼がドイツ音楽の伝統を吸収した上で、新たな潮流に乗ったという説明もあるだろう。クレンペラーのスタイルが近代になって突然現れた新即物主義的スタイルにも関わらず「ドイツ音楽伝統の最後の継承者」という評価が一般的なのも、ここから来るのだろう。しかし、それだけでは説明が足りないように思う。新即物主義にまだロマン派の残滓があったのか、それとも新即物主義は過去の演奏を全て含みうるような普遍性があるのか。これは、新即物主義自体のより深い究明が必要であると思う。

 ぼくがこのように新即物主義とロマン派の矛盾に頭を抱えるのも、クレンペラーの指揮がどれも本当に見事だからだ。シューマン、メンデルスゾーン、ベルリオーズ、フランク、どれも超一級の名演だ。目先の効果を狙って派手な演出をする二流指揮者よりも、ずっと良い音楽だ。これは、演奏における感情と理性のバランスという演奏論の問題にも関わってくるだろう。

 以上、今日は導入的な話に終わってしまったが、次回からは一つずつ感想を述べていきたい。クレンペラーという指揮者の深奥はまだまだ底が見えないのだ。

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