Symphony No.4/A. Bruckner

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 このブログのフォントがちょっとだけシャープになって、見やすくなった。フォントが少し変わるだけで文章の印象もだいぶかわる。改めて読んで、自分はなんて恥ずかしくてレベルの低い文章を書いているんだとパソコンの前で悶絶することになる。なら書くなということになるが、音楽を語りたいという欲求は止めることができない。前置きが長くなってしまった、今日の一枚いってみよー!

 今日の一枚は、ハイティンクとロンドン響によるブルックナーの四番。

 このアルバムは2011年6月に演奏され、早くも11月には発売された。ロンドン響の自主レーベルであるLSOはこのような迅速な企画力が売りなのかもしれない。

 さて、久しぶりにハイティンクを聞くことになった。彼はなんと現在82歳なのだそうだ!僕は最近の彼を全く知らないが、彼の名演として知られるショスタコーヴィチの5番が大変印象に残っている。ムラヴィンスキーのような迫力はないが、テンポの良いスマートな仕上がりが良かった。

 しかしこの演奏からは、かつての颯爽としたハイティンクを聞くことはできない。どうやら彼も「巨匠」の領域に入ってしまったようだ。テンポは遅くスケールは大きい。しばしば浅薄に聞こえるロンドン響の音をしっかりと締め上げている。だが第一楽章は立派なものの、鈍重でメリハリがなくてつまらない。こんなはりぼてのような迫力は聴いたことがない、と苦言を呈したくなる。おほん。第二楽章も音の美しさに寄りかかって、だらしがない。巨匠らしい枯れた響きが郷愁をそそる。その場だけで、全体が見えない演奏だ。次第に演奏が良くなるのは第三楽章以降だ。推進力と生まれ、凄みが出てくる。第四楽章は洗練された、本当に良い音楽だろう。

 ただ、聞き終わった後良い演奏だったということ以外何も残らない。優秀な演奏だけれども、悪くいうと無個性だ。ライブで聞けば良い思いで帰宅することができるだろうが、他の指揮者でもこういう演奏は聞けるだろう。年をとったうちに、角が取れ演奏は洗練されていったのかもしれないが、彼らしさも同時に無くしたのかもしれない。とても良い演奏だが、何か物足りない。それを言葉で表せばこうなるように思う。これがヴァントやチェリビダッケなら別だ。彼らは自らの個性を極限までのばし続け、誰にも真似できない境地に至った。彼らのような指揮者が今の巨匠に一人もいないのは、クラシックの将来にとって良くないことだろう。

 ちなみにLSOレーベルの録音は、以前ゲルギエフで聞いたときも思ったけど、SACDの特性を楽しむには音量を大きくしなければならない。音が小さいと、小粒の演奏に聞こえてしまう。これについては人によって評価がわかれるかもしれないが、僕はあまり好きではないかもしれない。

 しかしLSOレーベルは以前Cデイヴィスのベルリオーズを聞いたとき驚くほど素晴らしかった。これはぜひとも聞いていただきたい。