前回掲載したように、アイデンティティというものがあります。

それぞれの人が、そのアイデンティティを確立するというのは、どういうことなのでしょう。

河合隼雄先生は、エリクソンのいう「自我同一性(エゴ・アイデンティティ)の確立」とは以下のようなことだと言っています。

『社会システムの中にちゃんとはまること、はまることができるということ』

この「はまる」とはどういうことなのでしょうか。
実はこれがとっても難しいのです。

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どういうふうに難しいことかというと、たとえば、あなた大工さんをやりますかといわれても、手先が不器用でしたら、やっても物の役に立ちませんね。つまり、大工さんという職業を介して社会にはまることができない。逆に、大工さんをやれる能力があっても、それをやりたくない、それでは自分は生かされないということもあるわけです。つまり個人としての私を生かすということと、社会の中にはまり込むということの二つがうまく折り合いがつかないとアイデンティティは確立しない。

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じゃあ、若い人が「はまるもの」をみつけるために

あっちがいいだろうか~、こっちがいいだろうか~とふらふらした状態が長く続いたら

両親や社会からみたら困ったもので、「身を固めてほしいな~」と思われることになる。

 

 

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自分の方をおろそかにしすぎて社会の形に早くはまった人は、あとで困ってしまいますし、それから自分の方を大事にしすぎた人は、なかなか社会にはまっていかない。

エリクソンにいわせると、こういう二つの面をうまくやってちゃんとできたひと、これがアイデンティティの確立した人です。

 

そしてそういう意味のエゴ・アイデンティティというのは、つまり「おとな」になるときに確立する。エリクソンの言い方を逆にいいますと、エゴ・アイデンティティをちゃんと確立するということが「おとなになる」ということではないだろうか。

 

(中略)

 

そしてここで非常に大事なことは、自分はこれで自分のアイデンティティを確立しましょうということで、たとえば大学へいって研究者としての道をすすんだという場合、これはそのことでほかの仕事をやめたということだということです。あるいはある人が俺は絵かきでいくと決意されるということは、政治家になるということを断念されるということである。

 

この、おとなになるときには断念する力が要るということが非常に大事なんです。(中略)あきらめる力をもっていない人はエゴ・アイデンティティというものは確立しない。

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『私が語り伝えたかったこと/著:河合隼雄 河出書房新社 』より

アイデンティティについての大事な部分を抜粋しました。

興味のある方は、上記の本を読んでみてください。