志を立てて
高校生最後の冬、突如勃発したソ連によるアフガニスタン侵攻によって、国際政治や安全保障に強烈な関心を持つようになりました。その一方、日本国内では、総選挙後に一か月以上も国会で首班指名できずに派閥抗争を繰り返す(世にいう「40日抗争」)内向きの政治を目の当たりにし、「国政政治をリードできる政治家」を志しました。それが、政治への原点です。
そのとき以来、平凡なサラリーマンの家庭に生まれ、地盤もカバンも看板もない私が国政に挑戦するまでの20年間は、まさに試練と苦悩の連続でした。それでも、“良き出会い”に恵まれ、何度となく襲いかかる絶望的な状況を乗り越えて、初志を貫徹することができました。
いざ、米国武者修行へ
最初は、生涯の師となる指導教授と出会ったことがきっかけで、国政政治家としての基礎を築くために大学では憲法学を究めようと大学院まで進みました。そして、その在学中に縁あって石原伸晃代議士の初陣の選挙を手伝い、そのまま公設秘書に就任。その後、本格的に安全保障を学びたいと一念発起して米国留学を決意。そこでも、米海軍出身の良き指導教授に大いに助けていただきました。
貧乏武者修行の末、念願の大学院に合格し首都ワシントンDCへ。2年間死にもの狂いで勉強し、国際関係と国際経済の修士号を取得。米国で最も権威あるシンクタンクの外交問題評議会に就職することができ、ようやく困窮生活から解放されました。
ワシントンでは、世界中から集まる外交官、研究者、ジャーナリストらに加え米国の政府高官や軍人、有識者らとの交流を通じて得難い人脈を築くことができ、それがその後の政治活動における大きな資産となっています。
国政初挑戦するも、一敗地にまみれる
そして、平成12年(2000年)。ここでも幸運と機縁に恵まれ、東京で衆議院選挙に挑戦するチャンスが巡ってきました。当時野党第一党で政権を窺っていた民主党から熱心にお誘いを受けたこともあり、私自身も日本に「二大政党の切磋琢磨による競争の政治」を確立すべきとの理想に燃えて、家族を米国に残し緊急帰国して補欠選挙に出馬しました。
しかし、結果は惨敗。そこから丸3年、試練の浪人生活に突入したのです。それでも、支援者の皆さんや家族の温かい励ましに支えられ、平成15年11月9日の衆院総選挙で初当選を果たすことができました。
この時の感動は決して忘れることはできません。振り返れば、志を立ててから四半世紀が過ぎ去っていました。それでも、「国際政治をリードする政治家になる」という無謀とも思える目標を片時も忘れることなく、憲法を学び、国際関係論を修め、国際的な人脈を築き、安全保障に関する出版や執筆を重ねながら、“とことんコツコツ”を合言葉に徹底的に選挙区を歩いた結果が報われた瞬間でした。
いざ、国政へ!
そこから勇躍、外交・安全保障を中心に国政に邁進しました。初当選から6年後に悲願の政権交代を実現し、民主党政権では防衛大臣政務官、外交・安全保障担当の内閣総理大臣補佐官、防衛副大臣を歴任させていただき、国際政治の最前線で国益を背負って戦う得難い経験をさせていただきました。
しかし、その後、再び下野した民主党は、党名を民進党に替えたり、共産党と連携して安全保障法制の成立を妨害したり、自らの政治信条とどんどんかけ離れて行きました。とはいえ、お世話になった先輩や同僚の元を去るのは耐え難い。さりとて、このまま自らの政治理念や政策に反して議席にしがみつくことも忍び難い。それとも、もはや政治家を辞めるべきか・・・。
自民党で再出発を決意
悩みに悩み抜いた末に、もう一度政治家として一から出直す覚悟で、20年育てていただいた選挙区を返上して自民党に入党し、国民のための政策実現に専心しようと決断するに至りました。幸い、安倍総理や麻生副総理、菅官房長官、二階幹事長はじめ、初当選同期の萩生田光一さんや加藤勝信さんらが温かく迎えてくれて、何とか新たな選挙区で再スタートを切ることができました。
しかし、そこは、かつて上司だった菅直人元総理が40年以上も地盤を築いてきた選挙区で、途方に暮れるような日々を耐え抜くこととなりました。それでも、地元の方々に励ましていただき、コロナ禍に阻まれながらも“とことんコツコツ”活動を重ね、令和3年(2021年)の衆院総選挙で何とか7期目の当選を果たすことができました。
すべては、「未来に誇れる日本」のために
まだまだ自民党議員一年生ですから、慣れないことや勉強すべきことが山積していますが、政府与党の一員として、政策実現の醍醐味を日々噛み締めながら、お蔭さまで充実した政治活動を積み重ねてくることができました。
現在は、とくに「外交・安全保障」と「こどもの未来保障」を中心に取り組んでおります。戦後最悪の国際環境の中で日本の生存と繁栄を確保するためには、研ぎ澄まされた安全保障戦略が必要です。
これまでの経験と人脈を生かして最善を尽くします。また、出生数80万人を切った上に、せっかく生まれてきたこども達が、虐待や貧困、自殺などで尊い命を落とす事件が後を絶ちません。
こども子育て家庭を国と地域が一体となって支える仕組みを全国につくり上げます。さらに、最近盛んに取り沙汰される安易な増税論に対しても、デフレからの完全脱却をめざして徹底的に戦ってまいります。
新しい選挙区で心機一転、頑張ります!
昨年の10増10減の選挙法改正を受けて、私にとっては3度目の選挙区割り変更に直面しましたが、新設された東京30区(府中市、多摩市、稲城市)において、地域の皆さんから温かいご支援を賜りながら、“とことんコツコツ”を基本に、この夏も“外遊”を封印して新しい選挙区を巡り歩きました。来るべき衆院選では、堂々と小選挙区で勝ち抜けるよう、そして、再び国際政治の最前線に立てるよう、更なる精進を重ねてまいります。どうぞ引き続きのご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。
長島昭久拝