退屈とは猛毒ということについて。
これはあくまで持論だけど、なんでもない、理不尽な待ち時間ほど『猛毒』になり得ることもない。
しんどい作業より下手したら遥かにシンプルにしんどいかもしれない。
ただ待つだけの時間は思考が緩やかに放棄され、身体は動けず、まるでディストピアである。
何故か激痛に耐えている時の方が遥かに生きている実感を感じ、むしろ心地良くすらある。(そんな状況なるべく無くしたいが)
つまり人生はいかに退屈を避けるかのゲームのような気すらする。

だが、勘違いしてはいけないのは、生物は毒を飲まずにその耐性を付けることは多くの場合無かったのだろうと。たくさんの僕たちの先祖がたくさんの毒を飲み、そしてその中で生き残っているかは、僕らは優れた解毒能力を有しているのだ(無論限界はあるが)。

つまり退屈を避け続けるのも退屈な耐性が無くなり、すぐひっくり返ってしまうかもしれない。

でも退屈に耐え続けることも出来ない。

退屈と挑戦のシーソーゲームが人生なのかもしれん。