二・二六事件前日に生まれた母方の祖母、
2025年4月20日(日)に89年の生涯を終えた。
通夜・告別式に参列してきたので、久々にキーボードを叩く。
父方の祖母は存命で現在施設暮らしをしている。
私自身、生まれ育ちは川崎だが、幼稚園時代のみ3年間、
母の故郷、埼玉県三郷市民として過ごした。
三郷インター近くに住んでいたが、当時の三郷市と言ったら、茶色い印象だった。
まだ再開発前、テレビでたまに出る関東最大級のホームセンターや
イトーヨーカドーも物流センターも、農地や盛り土ばかりだった。
祖母は苦労人だった。
百姓の家に嫁ぎ、3人の子どもを育てたが、旦那(私の母方の祖父)は
私の両親が出会う前には他界し、大往生した義父(私の曽祖父)の介護をしながら
農業をして、体力を衰えてからは借地やアパート経営をしていた。
我が家が3年間だけ埼玉に移り住んだのは、母親の第二子出産のタイミング。
その地域ではよくあるタイプのメゾネットのアパートを間借りした。
アパートは4棟あり、子どものいる世帯も多く、
アパート隣に住んでいる祖母は私や弟だけでなく、アパートに住む子の祖母の様な感じだった。
農家だけあり祖母の家は広く、私の遊んだトミカや弟のプラレールを敷くには
和室が広く、毎日の様に遊びに行った。
私の卒園と川崎の家の建て替えを機に引っ越した後は、たまに泊りにも行った。
足が本格的に悪くなり、同居の息子(私の叔父)だけでは介護しきれなくなってからは、
約10年間は施設で過ごしていた。
祖母の家に泊まりに行くと、必ずと言っていいほど毎晩、
AMラジオが祖母の部屋でかかっていた。
かかっているのは、大体が演歌。
小学生から中学生の時期の私は全く演歌は聞き入ってなかったが、
広く薄暗い田舎の日本家屋において、曲がかかっているだけでも安心感があった。
祖母が『歌が好き』と知ったのは、祖母の通夜で初めて知った。
1年半前に両親と妻と一緒に施設に会いに行った時もラジオがかかっていたが、
実は祖母が無くなる10日ほど前、食事も水分もいらないと言い
医者に「会えるうちに会ってください」と言われたタイミングで行った時も
部屋のラジオはついていた。なんならperfumeの曲かかってた。
おかげさまで、私は演歌も好きだし、仕事中でもプライベートでもラジオを聴く。
私の音楽好きのルーツかもしれません。
戒名の中に、歌が好きだった祖母らしく「歌」という言葉を入れてもらっていた。
正直、羨ましい限りである。
更には食事も水分も取らなかったおかげで、ふくよかだった顔もほっそりして、
死化粧のおかげでまるでベテラン演歌歌手や女優のように美しかった。
その影響もあってか、棺に入った姿を見たときに『悲しみ』よりも真っ先に
「あぁ、この人こんなに美しいんだ…むしろ本当に本人なのか?」と思ってしまい、
悲しみが和らいだイメージだ。
葬儀はトラブルも多かった。
告別式で2回目の焼香が終わり、参列者の誰もが「次のお経で終わりかな?」と思ったら、
今のお経が終わり住職が「それでは、お焼香をお願いします」と言うものだから、
参列者がざわつき、司会者が動揺した。
耳打ちで
私「アンコール?」
弟「もう1回拝めるドン」
結局3回目も行った。
棺は体格よりもかなり大きいものを選んでいたが、火葬場の制限もありほとんど私物を入れる事はなかった。
しかし葬儀社が葬儀で使用した花を片っ端から切り取って用意してくれたおかげで、
顔以外は完全に花で埋まっておりシュールな姿になっていた。
なにより、火葬直前の問題。
用意した棺が大きいが、火葬場が古く、高さがギリギリになった。
おかげで棺上花がそのままでは突っかかるという事で棺の中に急遽入れる事なった。
今回用意した棺は蓋が2分割式で、葬儀中は半分アクリルタイプの蓋で顔が見えるようになっていた。
もちろん火葬の際には中の見えないデザイン蓋で閉じられるのだが、
そのセパレート構造のせいもあってか、それとも火葬場の仕様の問題か、棺に釘を打たなかった。
火葬場に移動するのにスタッフが押そうとして蓋がずれて冷や冷や。
そして、火葬炉へ棺を納めるとき、棺いっぱいに詰められた花、
更に高さの関係で急遽入った棺上花、使い込まれた火葬炉の滑車の振動で、
おさまったタイミングで奥の蓋が落ちた。
参列者の誰もが「あぁ~…」って感じになりながらも、
スタッフはすぐさま炉の扉を閉じ「お別れです」
もう、そのあと控室でみんなして「花すげぇな」で盛り上がりました。
私にとって祖母は笑顔の印象が強いので、最後に笑かしてきたのかと思っておきます。
余談であるが、住職の息子が私の幼稚園時代の友達で、今は海外で生活してるとか。
最後に祖母の顔を見に行った時、三郷はあちこちで桜が見頃だった。
母親と「そういえば三郷の桜なんて何年も見てなかったね」と話していた。
吉川で生まれ、三郷に嫁ぎ、百姓として生きた祖母が最後に見せてくれたものだと思う。
感謝しかありません。今度は嫁さんつれて桜の季節にお墓参りに行きたいな。
そんな、温かく優しい春の別れでした。