テロのあったワールドトレードセンター跡地に建てられていたビル。
NYで行われた作品展で出逢った
クリエーターとして活躍してる
素晴らしいアーティストと
今後表現したいことについて
話せた。
3人ともフィールドも表現方法も違うけど、
感性が似てる。
3人とも
敬い
在り方
責任感
をすっ飛ばした
雰囲気だけの偏った考えに
『何か違う』を持っていて。
『ただの何か』を『問題』として提議していることや
広い教室の床に落ちてる消しゴムのカスを見て、
『誰が落としたの?』って犯人探しするようなことに
ウンザリしてる感覚。
自分で狩をしながら
その皮を剥ぎ、
その肉をいただきながら生活していく事にまで話は及んだ。
殺生はイヤだから野菜を食べようとか
牛は食べるけどウサギはイヤだなぁとか。
命の線引きをしているだけだよと提言し、
狩をしながら生きてる女の子の話しにもなった。
http://chiharuh.jp/
野菜を作るのに、
多くの動物が駆除されてること
私達のご先祖さまはみんなナウマン象とか食べてたこと
人が生きる上で
色んなエネルギーを受けている
そんな事も感じずに
被害者的に
批判するのは簡単だし、
自分が○に見える。
ホントの○はそんなもんじゃない。
地球の力もそんなもんじゃないだろ。
あらゆる命に生かされてることを忘れてる。
選んでいるようで、
選ばされてることに気がついてない。
イイも悪いもない。
誰かがやった!
誰かが創ったんだ!って批判して言うのは
誰かがやってくれるだろう。と言ってるのと同じ。
責任感がない。
それを恩恵として受け止めていた事もあっただろう?
その時はそんな事に関心がなかっただろう?
幸せな時は、世の中の事にも自分自身の事にも無関心な事が多すぎる。
地球の一員として。
その瞬間から世界は良くなってる。
この歩みで地球を良くしていく、
という真理を知りながらそれを信じ、
責任を持って生きることだと思う。
ひとしきりこんな話しをして、
あぁ、こんな話に飢えていたんだなぁと心から感じた。
自分の中にある語られる事のないエピソードが
たくさんあるんだなぁ
自然は美しくて利用価値が高い。
動物は可愛くて美味しい。
人間は素晴らしくてズルい。
すべての端と端を見ないと
真ん中なんてわかんないよね。
いつかそんなグループ展示会みんなでやろう