十一号なる風神がげに激しき雨を伴ひて来たる後、明けて今日はいとすゞやかな風こそ心地よきかな。

つつがなきや。

雲を払ひたる大極殿のさま、幾度も見上げつつなほ美し。
よきかなよきかな。

窓の内にて育ちたる吾も、昨今の流れゆえに輿を吾が念ひにて操る自動車に換へて乗りける。

今日もこうこがくしゃなる者が、吾の沓のかかとの高きを、手動変速機付輿の運転適ふやと言ひつれば、ただ見よと答へて去にけり。
生駒山隧道を経るうちに半刻あたり三十五里ほど、この現し世においては毎時百四十きろめーとるほどにて過ぎたれば、大和も瞬く間にてぞ難波宮に着きなん。

かくも二十一世紀に慣れにしものを。
よきかな。

あな、どうろこうつうほうとな。

さようか、、、ならばさほど急がずともよいか。
なれど遅刻を如何に申し開きするべきや。

やうやう寒さを分かちし春分の日に寒の戻りとは。


もはやと仕舞ひし羽織重ね着の類ひをまたも引きい出し参りたるは、伊丹あいほーるなる演舞場。

げに難しき演目なれば時の過ぐるも遅くいと辛き刻なれど、洋琴または鋼琴てふ音色のみが値打ちであった。


このぴあのなる楽器を思ふまま操りし匠の指さばき、まことに見事なもの。
旋律も耳に心地よく麗しい。

この匠は元より知りたる者なるが、かように奏でたるは似つかわしと思へずしてあやしげな人ではある。
車などに相乗りせし時などの舌打ち、かの音色をうかがふところなし。

いかにもあやしき者なり。


されど吾もあのように何かしら弾いてみたいものよ。



今朝の雨雲を払ひて星をいだく空の清らかなさま、うかつに過ごさば時は矢のごとく過ぎ行くことを示すようではある。

吾は日々何かしらに感じ入り、人の心を動かす者であり続けたや。

葛城山の頂きにはいまだ白き化粧を残せし弥生の半ばなれど、吾が庭の桜がみつよっつ咲いております。

この桜木、眺めを愛でる種ではなく実りを食し楽しむ種であるゆえ、宴を催す頃合いの花とは趣を異とする。


なれど春の神々がやうやう漂ひ、心躍るを抑えようもあらず。


吾が宿においては梅の精さえまだ訪れておらず、さこそ待ち遠しき想いではある。



誰ぞ、猫が春を告げるいななきを宥める術を吾に授けよ。

夜もすがら屋敷中を駆け巡りて、え眠れぬ。


西暦で申すところの628年。
本日は額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)すなはち豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)、後世においては推古天皇と知られしやんごとなきおん方が崩御された日であるそうな。


ややこしいとな?


現世とはあれもこれも様相が変わっております。

吾らいにしえ人は、通り名と諡を持っておる。
帝には統べられし時の年号を冠してお呼びするのが当世の習わしとのこと。

通り名は日頃呼ばれし名、諡(おくりな)は帰天し後にお贈りする名と覚えおかれませ。



吾が名は大和巣古菟都永池大姫。諡はもちろんまだ持っておらぬものの、異国で名乗りしは Lady Nagaike Veronica Maria Mihoとなる。


外つ国との交わりもそなたたちが考えておるよりはるかに盛んであったゆえ、吾のような混血も多くおりました。


異国へ出向くことが容易くなりし現世なればこそ、いつかまた蘇格蘭(Scotland)の花々を愛でたきものよ。