1.臨終正念を生活化する人間観の選択が、主師親三徳の何を根底と
するべきかを自問自答してみた。
2.そこで悟ったのは、(1)の主徳は利害関係であり、(3)の親徳が人間関係の
選択であるとすれば、(2)の師徳こそ人間のみに託されたことばの伝承で
あり、人性の源泉は、すべて師徳に懸かることが明確になってくる。
3.ところが、大半の人類には、この区別がつかず、利害が愛着に支配されて
いる。我々NCGが、モノなし、ワレなし、コトバのみと明言しても、ここの
区別すらできないため、金に迷い、人への執着に人性の選択すらできない
始末にいる。
4.現代人は無条件に財欲に走り、我絶対の我欲で人生が見えない。
ましておや、言葉が生命そのものであり、その源泉である脳の成長進化に
全く無関心で日々を過ごしている。涅槃寂静など宇宙メッセージとしか
読めない。人生が哲学で成り立っているなど夢にも思わない。
5.その上、ひと昔前なら常識として日常化していた「いろは唄」の中に、人間
いかに生くべきかが、あれほど明確に示されていた等、ユメの又夢である。
6.哲学とはムズかしいモノ、神秘なコトと心の目を閉じて、脳を計算機レベル
で知識学習に走らせている学生生活を疑ってもみない世界現象が、
救いようのない戦乱社会へエスカレートさせている悲劇を国連頼みの
他人ごとに置くようでは人類に未来派存在しないとすら言える。
7.心ある限られた人々は、この現況を悲痛と傍観しているだけでいいのか?
我々NCGをあまりにも小さいボランティア集団と考えたり個人の遊び村
程度にしか思っていない人々は、一刻も早く、その使命にめざめて頂きたい。








