永井準のよろず指南 -何でも教えて進ぜよう。

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脳幹出血で倒れましたが、なぜか生還。この機に心身のありようを見直しました。 ユング派です。

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gyaoにアップされている浅田次郎の「日輪の遺産」、これは読んだことがあって、この映画も見たような気がする。

しかし、俺にはあまりに重く、少し見始めてやめてしまった。

男は本人が納得するなら特攻でも何でもやりゃあいいと思うが、若い(というかむしろ幼い)女の子は無理。

夢の話ばかりになってしまうのもどうかと思うが、抹香臭いのも説教臭いのも嫌いなので、当り障りのない話題を探すと夢の話になりがちだ。


先日は、かつて一度も見たことのない、父親が出てくる夢を見た。



同居してる父が、ひとり暮らしを始めるとかいって、身の回りのものがごっそりなくなっている。

その影響が出て、私の大量の本などが収拾がつかなくなっている。



そんな夢だが、うーん、いろいろ考えられることはあるが、ひとつだけいえるのは、人の心配より自分のことをしっかりやろうということ(笑)。

悟りを得たのはいいが、見る夢はほとんど変わらない。(当たり前か)

トイレ(大のほう)の夢。たいていは探しまわって目が覚める。あるいは紙がないとか。

今朝は、ずーっと長いこと見てた、高校の同窓の集りかなんかのシーンで、これまでテーマとして出てきたあの娘はもう出てこなくて(悲)、その高校で男便所が見つからないという夢だった。
おまけに自分の荷物も行方不明になって、ガラクタの山から必死で探すという・・・・

まあ便意を催してたという説もあるが、この夢はちゃんと考えてみる必要があるかもね。


PS
 これでユング派の夢分析を7、8年受けてたんだから笑っちゃうといえば笑っちゃいますが、そのアプローチを今後紹介していこうかと思います。

そうそう、今日は歯医者に行ってきましたが、さすがにまた悟りは得られませんでした(笑)。


TEDかなんかのチベット?の高僧の話にありましたが、悟りというよりは、「慈悲の心、慈愛の心に満ち溢れてる状態」だそうで、確かにその通りかな、と。


もともと、何日か忘れてたんですよ。

ふと、ああいうことがあったなあと思って、ブログに投稿してみたわけです。


その後、別に行動も考えも何も変わりませんが、もともと神経質でチキンだったのが(自称)、あんまり物事を細かく考えなくなったというか。

気が楽でいいです。そんなもんです。

復帰後、最初の記事がまあまあ好評だったので、少し書き続けてみることにする。


まず、幸福の4段階という話だが、これは結構重要で、俺はわりと頻繁に考えてる。
そう、俺は幸せになりたいのだ(笑)↓

1)ポジティブな動的感情

2)フロー状態

3)意味や意義の実感

4)ポジティブな静的感情


詳しくは改めて述べたいが、「自分ルール」が結構あるので、1)に関連して、日常的に不快なことがないわけではなくて(当たり前だが)、正直いって、その対処はまだまだだ。


しかし、知ってる人は知ってると思うが、俺には、夢中になって打ち込めることがいくつもある。
そして、打ち込んでやったことが何かの役に立ったり、また文章を書いたりするだけでなく、他にもいろいろと(見返りを求めることなしに)意味や意義のあることをしていると思っている。

なので、2)や3)は少しは満足しているといえるのではないか。

だからこそ、限られた条件下で、4)に近い体験ができたのではないか、などと考えている。



ところで、3)はハードルが高い、あるいは高度な話だと考える人もいるかもしれない。

しかしそんなことはない。しかも、人の生きる力の大本になるものだ。
1)から4)は、段階を追う(追わなければいけない)というよりも、むしろ3)や4)のほうが元になる、と俺は考えている。


あの水谷先生の例を示そう。

まず、「死にたい」と訴える生徒に対しては、

「君が死ぬのは哀しいです」と言うそうだ。

それだけで、他人とのつながりを意識することになって、とりあえずは助かるという。


そして、次のように言う。

「周りのみんなに優しさを配ってごらん。何でもいいんだよ。お父さんの靴磨きでもいいし、洗濯物を畳むのでもいい」


「優しさを配ってごらん」というフレーズは、よく知られているかと思うが、これをするようになると、心ある親なら数日で子どもの変化に気づくという。


その後で、水谷先生は両親に対してあるリクエストをするのだが、以下は省略する。



ここで強調したいのは、他人のために何かをするという行為が、自分の生きる意味や力になるということだ。しかもそれは、自分のために何かをすることよりもはるかに深く強い。
子供をお持ちの方ならおわかりいただけるかと思う。

ある意味、人間はそうプログラムされているのかもしれない。


教育者(あるいは弟子を持つ研究者)などは、満足の行く人生を送りやすいことが示されているが、やはりそういうことだ。


だからといって、別に多くの人のためになることが最重要でもない。誰もがマザーテレサのようになることはできない。
対象となる数は少なくても、どれだけ無償の行為をなせるか、無償の愛を注ぎ込めるか、が人としての何かを決めるのではないだろうか。

突然いったいどうしたのかと訝しがられるのを構わず書くと、幸せには段階がある。

近年の研究によれば、

1)ポジティブな動的感情

2)フロー状態

3)意味や意義の実感

4)ポジティブな静的感情

である。

1)は言うまでもないだろう。美味しいものを食ったり、ぐっすり眠れたり、体の調子がよかったりなどから始まり、人間関係や仕事なども順調、ストレスがなくいろんなことにポジティブに当たれる、といったようなものだ。

しかし、これが幸せかどうかは、「人による」としか言えない。

2)のフロー状態は、「時間がたつのを忘れるほど何かに打ち込んでいる」という状態だ。その極限が「ゾーン」。最高にパフォーマンスを発揮できる状態である。

3)は、自分のやっていることが、誰かあるいは社会に役に立っているという強い実感である。もちろん邪心があってはいけない(笑)。

そして、4)が「理由なき幸せ」とか言われるものである。10代で到達する人もいるのかもしれないが、1)2)3)の体験(実感)があって達するケースが多いだろう。

なんというか、世界のすべてのものに意味があり、調和が取れている、という実感である。自分が生かされているというか。すべてがつながっているというか。
「解脱」といっていいかもしれないが、別に高僧でなければ悟りを開けないというものでもない。結構多くの人が体験している。たとえば、こんな感じだ(別にクリスチャンとか宗教とか関係ありません)。→「神への気付き」


さて、俺も酔っ払った時に4)に近い感覚になることがあるが、今日、歯医者で長時間ガリガリやられた帰り、ついに悟ってしまった(笑)。

車を運転していたのだが、素晴らしい天気の日で、すべてのものが美しく見え、すべてがこれでいいんだという感覚。ちょうどその時、女子中学生とその母親が歩道を歩いていたのだが、その子が実に嬉しそうに話をしてたのが印象的だった。

今回は結構持続している。まあそうでなければ悟りとはいえないか(笑)。

悟ったからといって、別に考え方や行動が変わったわけでもない。相変わらず、コンビニのレジで待たされると実際むっとしているが(笑)、「別にそれでも(むっとしても)いいんじゃね? 直したければ次から少しずつ直していけば」と自分とおだやかに話すような感じである。このようなソフトでナチュラルな感じは、確かに前にはなかったものだ。


そして俺のことだから、話はこれだけで終わらない。

どのような状況でこれが起きたのか、もちろん考えてみた。

まず、相当な何かから開放され、ただの普通のリラックスではなく、反動で相当に深いところまでいった感じだった。

そして音楽が重要だ。たしか村田和人の「マリンブルーの恋人たち」(ただし児島未散バージョン)か、モダンチョキチョキズの「自転車に乗って」のどっちかがかかっていた。

あとは天気や季節、時間とかかなあ。

 
 
もうめんどくさくなったのでまたおいおい書こうと思うが、まあひとつだけはっきりしているのは、俺の場合、また悟りを開きたければ、歯医者に行けってことだ(違)。