名前はかめ子(雌雄不明)
来週、人にあげる予定ですが、、、
元からいたかめきち(雌雄不明)と気が合うのか、、、

暖かく見守っていましたが、次第にエスカレートしてます。
嫁入り前に、間違いが起きなければいいが、、、

覗きこむと、気まずそうにはなれます。
なが.
20代半ばごろ、結婚式続きのころがありました。
今週末も来週末も、友人や親戚や、職場の先輩後輩、よく知らない人などなど、いろんな結婚式、披露宴、パーティーがひっきりなしという時期。
あれから早、20有余年。
最近、仏事続きです。
さすがにまだ同年代ではありませんが、親戚関係が、、、、
私は父親を6年前に亡くしました。その後しばらく身の回りで不幸ごとはなかったのですが、最近になってなぜかすごく続きます。
今まで、お盆というのはちょっと墓参り行って、昔の友達と飲んだり、どっか遊びに行ったりする時期、という認識でしたが、今年は初盆周りが大変そうです。
父がさっさと片付いてしまったあと、まわりの人が亡父に向けてくれたご厚誼を考えると、逆の立場になったら、やはり最低でも同じ行動をしないといけない、
と、最初は思ってたのですが。
だんだん、そんな義務感は薄らいできてて、いまはこう思います。
こうやって、年をとってきて、
少しづつ親類縁者の仏事が増えて、
亡くなって、いなくなってしまった人の事や、残された家族のこと、自分が死ぬときの事を考える機会が多い時期というのは、
近いうちに必ずわが身に訪れる、「死」というものを、少しづつ受容していくための大切なモラトリアムのようなものなのではないか、と。
小さな子供のころから、川端にある父方の寺と天神3丁目にある母方の寺に、法事やお盆のたびに連れて行かれてました。
どちらのお寺さんでもよくご住職が「白骨の章」という、お経の本に載っている法話をされていました。
白骨という言葉が、こども心に恐ろしく、話も、朝には元気にしてても夕方には死んで火葬されて骨だけになってしまう、という怖いくだりがあって、強烈に焼き付いています。
「朝(あした)には紅顔あって、夕べには白骨となれる身なり」
仏教的無常観に満ち溢れる一言。
確か、「だから早めにちゃんと阿弥陀仏に帰依して念仏し、心を整えておきなさい」みたいな言葉で締めくくられてます。
身の回りで、亡くなって逝かれた人のことを考えていると、まさに人生なんて朝から夕方くらいの長さしかないんだろうと痛感させられます。
少しの順番の間違いはあれ、年長の親戚から一人ずつ永の別れに旅立っていくのを見ていると、一人分づつ行列が進んで、自分の番が近づいてきているのだなーって感じます。