皆さん、こんばんは。
今回は女性起業家を志した理由についてお話いたいと思います。
私は4年制最後の薬学部卒業生で今年の第97回薬剤師国家試験を受験しました。つまり、4年生のカリキュラムを受けた学生が6年制の国試を受験したことになります。
「じゃぁ、その2年間は一体なにをしていたんだ!!」
・・・という話になりますよね。
大学卒業後、社会人になるまでの2年間・・・THEモラトリアム人間してました。
自分の中で恥ずべき事と思っているのであまり人には話したくないのですが。
その期間、家庭環境から医者になりたくて仕方がありませんでした。
『薬剤師よりも医師になって父のように地域医療に貢献したい』
そんなことばかり考えていました。
父は私の一番の理解者でした。
私が医者になりたいと、とんでもない我儘を言いだした時も
「直子が医者になってくれるなら、そんなの安いもんだよ。パパ嬉しいから。」
そんな風に言ってくれました。
そんな大好きだった父に昨年の3月にがんが発覚しました。
検査結果はステージ4の膵臓癌、おまけにステージ3の胃癌も併発したダブルキャンサーと呼ばれるものでした。その時は、薬剤師にもなっていない素人でしたが、素人ながらに「父はもう、そんなに長くないな。」と思ったのを今でも覚えています。
それから父の闘病生活を全力でサポートしよう。そう決意しました。病院までの送迎、胃全摘手術後の人でも食べられる食事を作ったり、自分に出来ることなら何でもやりました。
父は人一倍寛大な反面、少し神経質なところがありました。
そんな父の性格に、「少し疲れてきたかな。」と思っていた矢先のことでした。
いつものように通院し、診察を受けていた時に父は喉の閊えを主治医に訴え、そのままCTを撮ることになりました。
検査結果は父には直接伝えられず、父が抗がん剤の化学療法を受けているときに私と母が主治医に呼び出されました。
「ちょっとね、想像以上に病気の進行が早いですね。今のうちに旅行とか行ってください。間に合うかなぁ。今までの私の経験上だと、もって後1ヶ月。抗がん剤が効けばまだ分かりません。」
そう、宣告されました。
父に余命1カ月だと悟られないように、「ケースバイケースで悪くなったら入院すればいいし、家にいたいなら居てもいいって。」 などど言って気を使いながら家に帰りました。その日は涙が止まりませんでした。
父はその次に日に緊急入院し、
主治医の宣告通りその丁度一ヶ月後、私が傍にいる時に病態が急変。
母や兄弟が揃った30分後に意識不明となり、そのおよそ6時間後に永眠しました。
がん発覚から約3カ月のことでした。
父の夢は家業の医院をメディカルビルにすることでした。
そのために昼食も取らず、一生懸命地域医療に貢献してました。
立派なお医者さんでした。
そんな志半ばで病によって断たれてしまった父の意志を、私は無碍に出来ません。
学生時代に得た自己実現の方法、人脈、組織の動かし方、阿部社長との出会い。
私にはそういったモノを持っているという自負が恥ずかしながらあります。
持っている強みがあるのなら、私は父の意志を継いで皆様に還元できる何かを生み出したい。とりあえず、今は全力で行動したいんです。
薬剤師として、経営者として右も左も分からない新米ですが応援して頂けると有難いです。どうぞ、宜しくお願いいたします。
次回は自己実現の方法論について綴りたいと思います。
お暇があれば読んでください。
応援、宜しくお願いします。
