憧れの女子大生
今日は仕事帰りに地元の教育大学での一般講義に参加した
特に興味があったわけでなく、なんちゅうか、隠れキリシタンの踏み絵みたいに職場で参加を促されたから(苦笑)
講義は結構楽しかったけど、内容は今の職場ではトリビア的だった
帰り道思ったけど、夜学に通う人は毎日こんなことをしているんだなぁ、と。
とってもじゃないけど、自分には体力的に無理だと観念した(笑)
その点、通信教育というのはまったくもって都合がいい
ゴロゴロしながらテキストを読んで課題を片付ければいいんだもの。出不精向きの学習方法だよね。
できればスクーリングもネット配信してくれるといいのになぁ
通信制のある大学で一部メールでの課題提出を取り入れているところもあるけれど、もっともっと身近になればいいのにな
サイコティック・ホメオスタシス
今を楽しまなくちゃっ!って予定調和的なメールに
なんだかすごく違和感を感じて
たぶんそのへんのところにこの夏からずっと引っかかりを感じていたのかな、って思い当たった
それは多分私たちの年代共通のスローガンだけど
最近の私には「改革を止めるな」ぐらい、不安を呼び起こし怪しげに響くのだ
さて、違和感を分析しようと試みる・・・・・
今という時制が曖昧に感じるのは、昨日の続きが今日で今日の続きが明日で今という感覚を喪失しているのかそれとも楽しむという言葉の裏側に張り付いたいい加減なニアンスを嫌悪するのか
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×私はそんな生真面目なニンゲンじゃない×
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あぁ、感じてみればわかるのだ!
楽しくないことは、なにもない
今から目をさらさず、瞬間を愛し、
もっと遠くを、ずっと遠くを見ているのだから
旅立ち
お別れってヤツは いつも突然やって来る
ほんとうに短い時間だったけど
出来るだけのことはしたし、精いっぱいかわいがったから悔いはないのだけど
あまりにあっけなくいってしまって 途方にくれる
ミーコ、すぐに生まれ変わっておいで
そしてまた私のところに来るんだよ
いとおしいものはいつもみんな離れていってしまうけど
そのことに慣れることはなく、いつだって悲しい
祭
今日は年に一度の施設のお祭り。
縁日広場でテキヤのおばちゃんをやり、演芸タイムでマツケンサンバをやりました
夏休みがあけてから毎日毎日昼休みをつぎこんで汗だくになって練習して、それでもどうもとんちんかんでイマイチ盛り上がりに欠けていて、うわ、本番どうすんの~~~みたいな不安100%な仕上がりだったんだけどだけど・・・結果ね、最高!めちゃくちゃ熱い立派なサンバになっちゃった!
もうみんな家族や大勢のお客さんの前でハイテンションの異常な盛り上がりで練習以上にしっかり歌えて踊れ大喝采。「オーレ」とキメのポーズも奇跡的にほぼ全員そろって、なんだか感動してしまった。
終わったあと「たのしかった~~」っていってもらえて、自発的な言葉がないこたちがニコニコしているのを見て、このこたちと一緒にやれてよかったなぁ~~って思った。
振り付けにはアレンジが必要だし、練習はとても忍耐と工夫が要るし、準備もあれこれ大変だけど、去年同様終わったあとにはたずさわっただけの充実感と開放感がある。本番までの過程で苦労があっても終わってしまえばやってよかったなぁ~~~って思いしか残らない。あ、それが祭り、なのかな。
夕方、家に戻ると今日ボランティアとして手伝ってくれたムスメとそのトモダチが2LDKの狭いアパートでどたばたとかくれんぼをして遊んでいた。私よりずっとでっかい図体をした小学6年生4人がソファーの後ろやクローゼットに隠れてる・・・・まだまだコドモのお嬢さんたちを呆れ顔で見ながらなんだか久しぶりに「くっきりとしあわせな気分」の日曜日だな、なんて感じてた