ハリー・ポッターとアズカバンの囚人 (字幕版)

 
『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』(アメリカ、イギリス、2004年)
 
を観た。
ホグワーツ魔法学校の三年生となったハリー・ポッター。
ヴォルデーモートの部下であるシリウス・ブラックがアズカバンを脱獄し
自分の命を狙っているという予知夢を見たハリーは、
リーマス・ルーピンやシビル・トレローニーという教師に新学期から出会い、
学園生活を送る中で、ホグワーツ魔法学校へシリウス・ブラックの影が忍び寄り・・・。
『ハリー・ポッター』シリーズの三作目。
 
実に20年ぶりに観る『ハリー・ポッター』作品。
 
88年生まれ(現在34歳)のわたしの世代にとっては、
『ハリー・ポッター』は生まれて初めて手にした鈍器本(鈍器のように分厚い本)だと思う。
小学生で読書家ぶるには、ずっしりと重い『ハリー・ポッター』をランドセルの中にしまいこみ、
机の上にドカンと置いて周囲の注目を集める必要があったもんだ。
 
そんなことを言いつつ、
『ハリー・ポッター』の日本語版発売・映画公開とともに学生時代を過ごしたドンピシャ世代でありながら、
原作・映画ともに二作目の「秘密の部屋」にて離脱してしまっていて、
大人になってから公開されたスピンオフ『ファンタスティック・ビースト』シリーズのほうが
熱心に試写会・公開日にて全作品を観ていたりする。
エディ・レッドメインのファンというのが一番大きな理由だけど。
 
閑話休題
 
いや~、ストーリーの面白さでいえば、
今作までの三作で一番面白い!
 
物語の起伏や伏線の回収、登場人物たちの正体の種明かしなど、
そうくるか!と思わず唸ってしまうストーリーの構成力に脱帽。
幾重にも伏線が重なり、エンタメ的にくすっと笑えるオチとして帰結するTipsもあれば、
真相の重要なピースに嵌るTipsがいたるところに散りばめられ、
魔法学校での学生生活というあまりに惹きつけられる舞台だけに魅力が留まらず、
ストーリーの起承転結や伏線回収性は、他のファンタジー作品で類を見ないような気がする。
 
そういった仕立ての面白さと同時に、
児童文学としてのハリー・ポッターが担う役割をあらためて認識した。
 
ハリー・ポッターは両親もおらず叔母の家で虐待されている冴えない子どもだけど、
魔法界では誰もが知る有名人。
パラレルワールドではなく、路地裏のBARなどに魔法界へと繋がる入口がある。
ここに居場所はなくても、どこかに秘密の入り口があって、そこでは自分を待っていてくれる人がいる。
こういう妄想は子どもの世界を救うんだ。
 
ハリーが人間界(現実社会)で受けている仕打ちは、
今の世ではコンプライアンスの問題で、ここまで明確に描くことはできない気がするなぁ。
 
ハリー・ポッターは、
ハリーの両親が優秀であったことは間違いないし伝説的事件の有名人ではあるけど、
ハリー自身に能力があるのかないのか分からないというのが面白いポイントだなぁと思う。
クィディッチの選手としてそれなりに優秀、ヘビ語を解する、という以外は
特殊能力や圧倒的才能があるのかないのか分からない、引っ込み思案の性格がベースにある少年という感じ。
ハーマイオニーやロン、ハグリットなどの協力なくしてピンチを乗り切れたと思えないし、
ハリーの一番の才能は、人に恵まれる才能なのかもしれないけど。
ハリーをスーパーマンにしないところが、このシリーズの一番好きなところ。
仲間と助け合って乗り越えるのが大事なんだって教えてくれる。
 
シリーズについて語るのはここまでにして、
「アズカバンの囚人」は、
ハリーがロンの家にやっかいになるくだりや、
ヴォルデモートの手下の正体も、怪しげなトーマス・ルーピン先生の正体も、
ハーマイオニーの秘密道具の使い道も、ハリーの後援者となるシリウス・ブラックとの出会いも
何もかもが完璧。
 
あ~、またこうやって
『ハリー・ポッター』シリーズを好きになるなんて、やっぱり生きているって素晴らしい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
20年ぶりに観ても、ほとんどのことは覚えているのに、
ハグリットの名前だけは思い出せなくて、
ホグワーツじゃなくて、ハリウッドでもなくて、なんだったかなぁってしばし考えたりした。