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特集 「まだ間に合う、<同性愛>」 有毒女子通信 vol.14

を読んだ。

読んだ、という表現は適切でしょうか。わかりませぬ。


有毒女子通信。

なんとまあサブカル臭い素敵なネーミングの雑誌。
京都の画廊ヴォイスギャラリーのオーナーが不定期に発行しているもので、
定価は¥250-(2014年現在)! 

とてもお手頃価格で手に入るものの、入手経路がちと困難で、
ふつうの書店には置いていないものだから、
発行人の松尾惠様とのやり取りで、配送して頂いた。

さて、どうやってこの雑誌に辿りついたかというと、
有毒女子通信の編集長である吉岡洋先生の講義を大学時代ちょろりと受けていたもので、
吉岡先生のブログ「たぬきのひるね」(http://chez-nous.typepad.jp/tanukinohirune/ )やtwitterのほうでも、
言及されていて、ずっと気にはなっていた。

でも、わざわざお取り寄せというのも中々ハードルが高いし、
今ではもう京都にも住んでいないし、気軽にヴォイスギャラリーを訪れることもできないし、とあれやこれや言い訳をして購入を見送っていた。

それが!
vol.14の特集「まだ間に合う、<同性愛>」とな!
こんな魅惑的なコピーを見てしまうと、堪え性なんてものは木端微塵よ。


有毒女子通信を手に入れて浮かれたわたしがInstagramに表紙をアップしたところ、
一度、周年時にお邪魔したことのある名古屋のミックスバーのママから、こんなコメントがやってきた。

なにが間に合ってなにが間に合わないんだww

そうでしょうとも。
このコピーを見て、ふつふつと沸き立つ疑問でしょうとも。

そうとも、何が間に合って、何が間に合わないのでしょうか。

同性愛はまだ間に合うと見出しで明言されているので、そこはホッと安心しながら、頁をめくりやす。

目次をみると、5人の寄稿文と、松尾惠×吉岡洋の対談の6つのコンテンツで構成されている。ふむふむ。
美しい装丁もさることながら、¥250で贅沢ですな。

巻頭文の向かいの頁から
吉岡洋、特集 「同性愛」は存在しない のはじまりはじまり。

なんて挑発的なタイトル!素敵。オホホホホ。
文字通りの短絡的な帰結、ホモフォビア(同性愛嫌悪)に根付いた同性愛否定でないことは火を見るよりも明らかってなもんよ。

吉岡先生の文章の魅力は、爆弾みたいなセンテンスからはじまることでしょう。
わかりやすく、簡潔でキャッチーで、鋭い。
つかみはオッケー。ばっちぐー。

今回の特集では、

「差別はいけない」と人はいとも当たり前のように言う。

という一文からはじまる。
そこから、わかりやすくちゃあんとその欺瞞をあばいてゆく。

特集を掻い摘んで言うと、

差別はいけないと人は言うけれど、わたしたちは差別から逃れることはできない。
なぜなら、名づけること、呼称とはそもそも徴付けであり、差別だからである。
こうした自己欺瞞に陥らないためには、わたしたちは言葉を使う限り、差別から逃れられないという認識を共有し、そこから出発することである。
「同性愛」という言葉は差別用語ではないが、「異性愛」は「同性愛」と対応した二次的な言語であり、「同性愛」がなければ「異性愛」は存在しない。
「同性愛」という言葉が、「異性愛」との「異常/正常」という二項対立を引き起こす。
性愛の形は多様であり、この世には性愛の多様性だけがある。
よって、「異性愛」など存在しないように、「同性愛」なるものも存在しない。


うむうむ。
哲学科でバトラー読んでたときに、よく出会った感じ。
というか、自分も似たようなことを書こうとしたなぁ。もちろんここまでのレベルに達していなかったけれど。
わかりやすく読みやすいけれど、目新しさはないナァ。

それよりも、興味深かったのは、
松尾惠×吉岡洋の
対談「みんながおばさんになれば、かさばらない」ですことよ。

この対談では、
吉岡洋の原体験とか、BL文化論みたいなのとかが語られ、
松尾惠さんの感覚として、生活のパートナーとしては年をとってくると余計女の人のほうが楽かも、って発言から、
男の身体はかさばる、そこに転がってるだけでドタバタしてる、って流れで、
じゃあ、みんなおばさんになればかさばらない社会になる、って結びはかなり面白い。

従来とは違う、新しい切り口でさっくり肩の力が抜けていく。

対談の最後に、松尾惠のプロフィールにチラリと目をやり、
松尾惠って、美しい名前だなぁ、なんてぼんやり見ていると、
1986年に河原町今出川にヴォイスギャラリー開設。とある。
仰天!

わたしが生まれる前から、ギャラリーを開いているだなんて!!

てっきり、美しい名前の持ち主、松尾惠さんは、わたしと同世代、あるいは少し上くらいに思っていたから、びびるびびる。
それというのも、「有毒女子通信」ってネーミングよ。
有毒女子ってフレーズに、神聖かまってちゃんとか聞いてそうな女の子、
オシャレおかっぱでベレー帽とかかぶっちゃう女の子、を勝手に想像していたから、わたしの哀れな脳みそはケイレンしちゃう。