小川洋子 「完璧な病室」
を読んだ。
大学病院の秘書室に勤務する・わたし。
弟と、完璧な病室、で過ごした安らかな生活。
10代の頃に一度、読んだことがある作品ね。
小川洋子の、初期の作品だわ。
身体への凝視と、
不在、で色濃くなるその人の存在が、初期の作品の特徴よね。
身体への凝視、というのは、単にフェティッシュなだけじゃなくて、
研ぎ澄まされた感受性を、現実に引きとめておくための錘みたいなものね。
常に清潔に保たれている病室で、
死に近づく弟と、ただ一緒に過ごすのよね。
完璧な病室で、わたしは初めて、弟がこんなにも好ましい人間、であることに気付くの。
小川洋子の作品では、
登場人物が、抽象的に描かれることが多いわよね。
この作品の登場人物は、わたしと、弟と、夫と、S医師。
小川洋子の描く、好ましい人間、との安らかで柔らかい関係が、心地よいわ。
それで、ちょっとのところで好ましくない人間への感傷が、切ない。
弟への愛情は、恋愛の始まりに似ていて、
でも、弟とわたしの関係は、男と女ではないのだから、
恋愛が発展していく先へ落ちていく必要がなかったのよね。
無垢でいとおしい弟。
清潔で、知的で、きっと見た目もきれいでしょう。
身体の魅力、に惹きつけられる目は持っていて、日常のなかで当たり前にセックスがあるのだけれど、それでもなお観念的な清潔さがあるのよね。
今よりもっと、好きになりたい作品だわ。
中沢けい 「海を感じる時」
を読んだ。
16歳から18歳のわたし。
大好きでつれない高野との関係。母との関係。女、って何なの。
私小説なのかしらん。
この作品を上梓したとき、中沢は19歳なのよね。
感性が若くって、ぶっきらぼうで、あらわし方が露骨なんだけれど、確かな表現力があるのよねえ。
母と娘。
ともに女で、誰かとセックスしたりもする性じゃない。
別に全然、気に病む必要のないことだわ。生活の中に、当たり前にあることよ。
いやらしい、だの何だのって、誰かとセックスしたからって、即座に人格もろもろ性的人間にしてしまう、あなたのほうが即物的でいやらしいわよ。
それに、ちょっとくらいいやらしいほうが、人生愉しいってものよ。
と、まあ、今のわたしなら開き直って云えるのだけれど、
実家にいた頃は、母の前で、自分の女の部分をひた隠しにしてきたわたしよね。
ともに、深くて、生ぬるい海があるってことは、
理智的な人には受け容れがたい現実だけれど、
女であることは、罪なんかじゃないのよ。
みんなね、清潔ぶってるけれど、自分の足の間にあるもののこと、ちゃんと分かって生きてるのよ。
恥ずかしいことじゃあないわ。
『ソラニン』 (日本、2010年)
を観た。
高良健吾は、作品によって、見た目が変わるわよねえ。
ここでは、鋭い美貌を黒ぶち眼鏡で隠して、ただの音楽系サブカル男子にしか見えないわ。
好きな声、と思ったら、ARATAよね。
劇中歌の「ソラニン」くらいの、メロディセンスなら、サイノーあるよね。食っていけるわよ。
アジカン素晴らしいよね。
わたしが苦しくないのは、あの人と目が合う、一瞬だけの恍惚なの。