松浦理英子 『ポケット・フェティッシュ』
を読んだ。
エッセイ集、というくくりでいいのかしらん。
各項目でひとつのトピックを選び、それについて考察しているのよね。
抑制の効いた文章で、変態性あふれるフェティシズムを語ってくれるわ。
松浦理英子の小説では、特に初期作品、
隠されているのは、セクシュアリティではなく怒りなのではないか、と思うほど、
セクシュアリティと同時にある種の怒りが浮かび上がってくるのよね。
登場人物の台詞を借りて、性器的な関係至上主義への問題提起がなされるのよね。
そうそう、
松浦理英子は、「性的」であることと、「性器的」であることを執拗なまでに吟味するのよね。
とても過激なやり方でね。
だから、小説には、ラディカルな部分もあるんだけれど、
松浦理英子自身は、とても冷静な人なんだよね。
こういう論理的に構成された文章や、対談を読むと分かるけれど、
安易な物の考え方はしないし、結論に至るまでに慎重な論の進め方をする。
『ポケット・フェティッシュ』では、
倒錯的なフェティシズム炸裂なんだけれども、文章が明快で、知的なのよ。
このエッセイ集を読んで感じたのは、
やっぱり松浦理英子のエロティシズムの原点はフランスなんだわ、ってことよ。
フランスの文学ひいてはフランスのアートの流れには、耽美な源泉があるよね。
もちろんそういうの避けて、エロティシズム語れないわけだが。
まあ、仏文学科御出身だしねえ。
エロティシズムといえばフランスで、セクシュアリティといえばアメリカな印象よね。
知的に洗練された人のフェティシズムが、倒錯的であればあるほど魅惑されるわ。
理英子様だけが知性で御座います。一生ついていきますとも。