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アガサ・クリスティー、田村隆一訳 『ねじれた家』 Crooked House


を読んだ。


ねじれた家に住む、ねじれた心の、ねじれた家族。



クリスティーの作品の中でも、ちょっと位置づけが特殊な作品よねえ。

マザーグースの見立て殺人ではないんだよねえ。 ちなみに、ポアロもマープルも登場しない。


全体を漂う、不気味なムード。

なんとなくだけれど、訳がポップだからか、そこまで陰険な感じがしないのよねえ。

耽美的な訳だとしたら、違う響き方だったかもしれないわ。


トリックというトリックはないし、登場人物たち、ねじれた家のねじれた家族に焦点を当てていく話なんだけれど、

彼らは有閑階級で、みんな残忍に心がねじれていて、もつれあって暮らしている。


主人公チャールズの父で、ロンドン警視庁の副総監が与えたヒントが、まさに犯人を示しているのよねえ。


そうかもしれない、でもそれは・・・という一種のタブーよねえ。

だから、薄々は感づきながらも、違うところに目を向けようとしていたのよねえ。



ねじれた家の、ねじれた子ども!ああどうしてこんなにも、いたましい!






















あなたが、誰をみているか、わからない。でも、これだけはわかるの。 わたしじゃ、ない人ね。