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灘生がちっちゃかったころの話

超進学校に通う灘生って、小さな時にはどんな子どもだったのか?

今日から、広島でG7が開かれています。

各国首脳が、原爆資料館を見学したとニュースで報道されていました。

現地からの中継で、記者が伝えていました。

「見学通路にあるベンチで休む海外メディアの記者を見かけた。

確かに、見学していると、辛いし、しんどい。

これは、外国人に限ったことではなく、日本人も同じ。

だからこそ、各国首脳には見てもらって、感じてもらいたい。

インターネットを介して見る資料ではなく、この地で、本当にあった事実を見てもらいたい」

 

この報道を観ていて思い出したことがありました。

子ザルちゃん、小学校2年生の時に、広島を訪れました。

子サル母と、その妹と母(子ザルちゃんにとっては祖母)と一緒に。

どこかに旅行に行こうという話しになり、関西から新幹線で1時間半ほどの広島に行って、美味しい海の幸を食べようと訪れたのです。

 

原爆資料館に子ザルちゃんを連れていくかを迷いました。

衝撃が大きいだろうと思ったからです。

正直、私も原爆資料館が好きではありません。

辛いし、悲しいし、

「もし、私だったら」

と想像すると、胸が張り裂けそうになるからです。

大人でもそんな思いになるところに、まだ幼い子ザルちゃんを連れて行っていいのかどうか。

迷いましたが、行きました。

そして、必要以上に説明したり、解説をしませんでした。

4人で言葉少なく、静かに観て回りました。

子ザルちゃん、どこまで理解したかわかりません。

子ザルちゃんが、一緒にいた子ザル母たち大人に、何かを聞くこともありませんでした。

 

その後、子ザルちゃんは、6年生になって、広島に修学旅行に行きました。

学校では、事前学習でいろいろと学んだのだと思います。

小学校2年生と、6年生で2回原爆資料館を訪れた子ザルちゃん。

何をどう感じたのでしょうか。

大人になってからも、聞いてはいません。

 

辛くて、悲しくて、直視できないような展示が続く原爆資料館ですが、それでも目を背けずに見学することは、平和な時代に生きる私たちの使命のように感じます。