共通テスト2022国語(古文の解説)

 

【共通テスト古文の読解法】

・文章難度が高めなので、遅読&品詞分解&逐語訳ではなく、主語をきちんと押さえた意訳をする。意訳と言っても、英語の長文読解と同じスピードで流し読みすると、主語がつかめずに失敗する。ボルダリングのイメージで進む。わからないところはごまかさずに置いといて、わかるところから確実に文意をつかむ。

・古文単語帳を一冊仕上げる。今回のようなメジャーな出典であればあるほど、古文単語帳は効果を発揮する(古文単語帳は、過去の入試での出題をもとに作られているから)。駿台ベネッセの11月模試でも、「問わず語り」が出題されていた。

・主語は文脈と敬語からつかむ。

 

【設問形式と難度】

本文が二つあることは、特に難度を上げも下げもしない。公立高校入試でも、こういう形式は見られるが、「意識高いよ」というポーズをとっているだけで、特にどうというわけでもない。文章が二つあったことに苦しんだのではなく、文章のボリュームに疲労感を覚えた受験生の方が多いはず。それはただ、古文を読みなれていないというだけのこと。

問四でみられるbot生徒と教師のやり取りは、公立高校入試に似た空虚なもの。得点ができなかったとすれば、この新しい形式のせいではなく、ただただ本文が読めなかったから

 

【設問分析】

問1:単語の問題。結局のところ、(ア)~(ウ)のどれもただの知識問題だった。

問2:主語の問題。この一文はだれのことを書いているのだろうと、少し考えないとわからない箇所が、本文中に至る所にある。ただ、難解な箇所はない。この大問で失点が多かった人は、少なくとも数か所読み間違っているはず。この線部を間違うレベルだと、かなり主語への意識が低い。

問3:文脈の問題。雰囲気的に一番それっぽいものを選べば正解できるレベル。「それっぽさ」さえわからなかったという場合は、本文をまったく違ったストーリーに組み立ててしまっている可能性がある。意訳に慣れよう。

問4:本文の全体正誤。センター試験時代の最後の問題と同じタイプ。選択肢をひとつ見ては本文と照合して消去。それをくり返す。

 

問1 (ア)② (イ)② (ウ)③

(ア)線部敬語や助動詞も含まれているが、そこは決め手にならない。したがって、文法問題は実質的には出題されていない。勝負の分かれ目は、古文の「まどろむ」の意味が、現代語の「まどろむ(=うとうとする)」と同意だと、「確信」を持てるかどうか。自信がないと、「ひょっとして、こういう意味もあるんじゃないのかな?」というふうに魔が差して、④に流される可能性が出てくる。この問題で、少しでも④の可能性が頭をよぎったなら、古文単語を覚え直す必要がある

 

(イ)「ねぶ(=成長する・大人びる)」・「ととのひたる(=ととのっている)」…基本単語である「ねぶ」の意味をふまえつつ、消去法。すでに「ととのっている」ので、①の「将来が楽しみ」は×。「斎宮」が「ねぶ」話なので、③の服装の話、④の場の話は×。また、前斎宮をほめちぎりたい文脈なので、誉め言葉になっていない⑤も×。

 

(ウ)直訳しにくいので選択肢を見ると、「おほかた(=大体・普通)」の意味に近いものが一つだけあるので、それが答え。「おほかた」の意味さえわかれば、すぐに「①特別×」「②落ち着きはらう×」「ありふれた〇」「親切心を装う×」「大人らしい×」だとわかる。また、直後の「御対面うれしく」が「型通りのあいさつ」であることからも、③を選べる。

 

問2

線部は、院の斎宮に対する恋慕の情。①・②・④は「斎宮の気持ち」となっているので×。③・⑤は「院の気持ち」である点は正しいが、まだ斎宮へ思いを伝えていないので、⑤の「斎宮の態度を物足りなく思っている」は×。③を直訳することは難しいが、院の気持ちであることさえわかっていれば、しっくり来るので、選ぶのは難しくない。

 

問3 ④

①「二条と斎宮」はもとから親しいので、「二条と斎宮を親しくさせてでも」が誤り。

 →「大納言の女」は、斎宮にも、さるべきゆかりありて「睦ましく」している。

②院は「せちに」「思ふ心」を「聞こえむ」と言っているので、「恋心を伝えることをはばかる」は誤り。

③文脈を無視して、「まめだちて」の意味だけを根拠にすると、これを選んでしまう。実際には、手紙を渡すだけで終わらなかったことをふまえれば、×だとわかる。

④「一途に真剣におっしゃったので」という線部の訳をするだけでは選べない。文脈の問題。

⑤「折よき事もいと難かるべし」の部分は、「斎宮の利益になる」というような話はなく、自分にとっての千載一遇のチャンスという意味なので×。ただ、ここは訳しにくいので、いったん保留にして、ほかの選択肢を見た方が無難。「院の傲慢さ」というパワーワードがあるので、常識的には選ばないはず。

 

問4 X:① Y:① Z:④

X:従来通りの全体正誤。ちなみに、生徒たちの会話の「文脈」と、「空所X」の内容は飛躍している(文脈をふまえるなら、「様子」を直接推測させる問題となるはず)。結果的には、読まなくてもいいものだとわかるとしても、さすがに読んでしまわざるを得ない。

①本文の読解ができていなくても選べる。「ただ、寝たまふらむ所へ導け、導け」という「同じ言葉の繰り返し」から、「いてもたってもいられない」気持ちが読み取れる。

②恋心はもとからMAXなので、「次第に深くなっていく」が誤り。

③「斎宮の気持ちを思いやる」ところはどこにもないので、誤り。

④「期待通りの返事をもらった」が、誤り。

 

Y:従来通りの全体正誤。選択肢の表現がルーズ(本文に書かれていないが、それを根拠に×にしてしまうと、選ぶ選択肢がなくなる)なので、消去法するしかない。二条が院の味方であることがわかっていれば、②・③はすぐに消せる。

①「院の性格を知り尽くしている」とまで言えるのかわからないので、いったん保留する。消去法でこれになる。

②自室へ戻った院から、すぐさま二条に「いかがすべき」という切羽詰まった仰せがあったので、「思ひつることよ(思っていたとおりだ=院は斎宮への恋慕を募らせて眠れずにいるのだな)」と、二条は思ったのである。

③二条は、斎宮が寝てしまったことが、「心やまし(気に食わなかった)」。

④「むつかし(めんどうだ)」が訳しにくいとしても、「手だてが見つからず」が、誤りなのはすぐにわかる。直後に「やすくこそ」とあるし、実際にすぐさま忍んで行っている。「手引きをすることに慣れている」の部分は、本文に書かれていないが、ここだけを根拠に×にするのは、心もとない。

 

Z:botのような生徒と教師の会話は無視。消去法

①「権威主義的で高圧的」については、令和という時代の価値観に染まっていれば、そう取れないこともない。このような主観的な部分は根拠とせず、かといって性急に否定もせず、まずは客観的な根拠を見つける。ただ、「けしからぬ御本性」と書かれていることから、「理想的な人物」として描く意図はないとわかる。

②「三人の恋心」が誤り。

③「知られじな~」の歌の内容が誤り。「さっき見たばかりのあなたのお顔が、心に浮かんで離れなません」というような、恋慕の情を詠んだもの。

④「斎宮の心情に触れている」のは、最後の「いと心憂しと思せど~」だけ。読み落とすと、①を選んでしまう。

 

【意訳のイメージ】「 」内を訳せる単語力と、「 」外の人物(主に主語)を補う力が必要。

【文章Ⅰ】

  は、斎宮の「ありつる御面影」が「心にかかり」、「まどろまれ給はず」。は、「御はらから」に対して恋慕することを、「人聞きよろしかるまじ」とは思うものの、斎宮とは「年月よそにて生ひたち給へれば」、「つつましき御思ひ」も薄く、「いぶせくてやみなむ」ことを、「口惜し」とお思いになっている。「けしからぬ御本性」である。

  は、斎宮に「ゆかりある」大納言のむすめを「召し寄せて」、「思ふ心の片端を(斎宮に)聞こえむ」と「のたま」ったので、むすめは、斎宮に「聞こえ給」った。斎宮は「いと心憂しと思せど」、「消えまどひ」などはしなかった。 

 

【文章Ⅱ】

  斎宮の「ねびととのひたる御さま」は非常にすばらしく、の好色な心の「御物思ひの種」となっていたことを、「よそ」も「御心苦しく」思い申し上げていた。

  は、斎宮が伊勢神宮に奉仕していたころの「御物語」を、私(二条)に「聞こえ給ふ」。は、「今宵はいたう更け侍りぬ」と「申させ給ひて」、を「我が御方」へと「入らせ給ふ」。しかし、「いつしか」、「あなた(二条)が、幼いころから(私の)お側にいた『しるし」に、このことを斎宮に『申しかなへたらむ』」などと「仰せ」があり、「やがて」、「(わたし斎宮のところへ)御使いに参る」。

  斎宮のところでは、「おほかたなるように」、「御対面うれしく」などと言っていたが、からは、「忍びつつ」、「文(知られじな今しも見つる面影のやがて心にかかりけるとは)」があった。

  夜更けに「御前なる人」が寝静まったあと、斎宮も「御殿籠りたるなり」。私(二条)が、斎宮の近くに参りて、「事のやう」を「奏す」ると、斎宮は「御顔うち赤めて」、からの「文」を「見るとしもなくて、うち置き」なさった。

  が「何とか申すべき」と「申せば」、斎宮は「思ひも寄らぬ御言の葉」に「何とも申すべき方もない」と、「また寝給ひぬ」。

  のもとに「帰り参りて、このよしを申す」と、は「ただ、寝たまふらむ所へ導け」と「責めさせ給ふ」ので、は「御供に参る」り、を「忍びつつ入らせ給ふ」。斎宮は「ありつるまま」で「御殿籠りたる」。が体を縮めて、斎宮のところへお入りになったあと、「いかなる御事どもかありけむ」。