プラトン『パルメニデス』第2部を読む㉒

 

 

 

Ⅴ 前提 一について〈ある〉が否定されるならば、

  結論 一は~でもあるし、~でもある。

※Ⅴから前提部分が否定になりました

 

 「一」がもし「あらぬなら」という前提と、「一ならぬもの(不一・一以外)」がもし「あらぬなら」という前提は、正反対のもののように見えるが、はたして?

 たとえば、「大」が「あらぬなら」という前提と、「小」が「あらぬなら」という前提において、「あらぬもの」は、「大」や「小」とは別のものであるとわかる。つまり、「あらぬ」は、主語のどちらとも同一視されない「有意味性」をもつことになる。

 このように、「あらぬもの」は、有意味性をもつ「知られる(理解できる)もの」であり、「それ以外」とは「異なる」ものである。つまり、「ある」ところの「一」と、「あらぬ」ところの「一」は、どちらも「一」のことを言っていると理解できると同時に、どちらも単独の「一」とは別のものである。

 「一」がもし「あらぬ」なら、何が「あら」ねばならないのだろうかという問いに対しては、まず「理解(知識)」がなければならないと言うことができる。知識がなければ何が言われているのかを知りえない。そして、「一以外のもの」と「あらぬ一」が「異なること」が必要である。これは、「一」と「一以外のもの」が「異なること」とは別である。

 

 本来のパルメニデスは、「あらぬもの」を極力否定する立場だが、ここではデモクリトスらの原子論者と同じく、「無」の存在を認める立場を取っている。