プラトン『パルメニデス』第2部を読む⑥

 

 

 

 

Ⅰ 前提 一について〈ある〉が肯定されるならば、

  結論 一は~でもなければ、~でもない。

 

⑦´ 「一」は、自分自身に対しても、ほかのものに対しても、「等しい」こともなければ、「等しくない」こともない

 「等しい」ということは、共通の尺度で測ったときに、同じだけの単位量を持つということである。つまり、「一」とは別の規定を受け入れる(分有・内在・部分としてもつ)ことになるため、「多」となってしまう。同様に、「等しくない」ということもない。「一」は、尺度となる単位を分有することはできないのである。

⑧ 「一」は何かに対して、年長・年下・同年輩とは言えない。年長・年少とは、「時間の等しくなさ」を「分有」することであり、同年輩とは、「時間の等しさ」を「分有」することである。「一」は、自身とは別のものを分有できない。

 「年長」「年下」というのは、相対的な尺度である。「年長」とは、「年下」との相違において、「いつも年長」であるということになる。一方、10歳の人と50歳の人は、現段階での年齢の比は1:5だが、10年後には、20歳と60歳になるため、年齢の比は1:3となり、年長の人が5から3への「年若になっている」と言える。さらに、「現に年長である」ことと、「今の自分より年長になってゆく(年老いてゆく)」ことは、別のことである。「年長になってゆく」ことは、「すでに相違している」ということでも、「まさに相違している」ことでもなく、「相違するようになっていく」ことである。つまり、自分と「同い年」である。

 つまり、「一」は自分自身と「同年」であり「年長」になりつつあり、「年若」になりつつあるということになるが、「同年」「年若」「年長」は、いずれも「一」に含まれない規定である。したがって、「一」は「時間」を分有しない

 

※ボールを窓から投げるとき、ボールはまだ窓のこちら側にある。相違も空間的なものとしてとらえられている。

※物理でも、動き始めは、動いているとも静止しているとも言える特殊な状態として認識される。