こころの旅をされているあなたに、私自身が経験した、その「終着点」についてお伝えしたいと思います。

これは、さまざまなスピリチュアルの学びの末に失望した私が、最後の最後に、究極の「教え」に出会った物語です。

 

このブログの最後にも掲載していますが、その「教え」が書かれたHARUさんの「いのちのダンス」が、いまなら無料プレゼントされています♪

もしご興味を持っていただければ、この機会にぜひお受け取りください。

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最初に私のことを少し書かせていただきます。

私は高校生の頃からスピリチュアルなことに興味を持ち、それが自分にとって一番大切なことでした。

幼い頃から人に見えないものが見えたり、感じたりすることが多いこともその要因のひとつだったのかもしれません。

大学では西洋哲学を専攻しましたが、卒業後はスピリチュアルセミナーの運営会社に勤めました。

そこでは主に海外の講師を招いて、さまざまなスピリチュアル・セミナーを開催していました。

 

そんな中で、私が最初に興味を持ったのはヒーリングの分野でした。

レイキや気功なども一通り勉強し、当時まださほどやっている人が多くなかったヒプノセラピーなども学びました。

並行して瞑想にも興味を持ち、TM瞑想やヴィパッサナー瞑想などにも取り組んでいました。

そんなふうにいろいろな能力をつけていくのはとても楽しくて、オーラリーディング、タロット、霊視、波動鑑定、クレアボヤンス、クレアオーディエンス、チャネリング・・・はたまたバシャールやラムサ系のメソッドなど、時間とお金が続く限りありとあらゆるメソッドを学びました。

いろいろなメソッドと出会うことが楽しく、次から次へと学び、そしてたくさんの書籍を読みました。

そしてそういう業界に長くいると横の繋がりができるので、著名なスピリチュアリストの方々ともたくさん知り合いになりました。

そのようにして、やがては自分が学んだことを教えるセミナーなども開催し、たくさんの生徒さんにも恵まれました。

 

そんなあるとき、ひとつのことに気がつきました。

こんなにたくさんの学びをし、たくさんの能力を身につけたのに、家族との問題や、周囲の人間関係の問題、経済的な問題がいつまでもなくなっていないのです。

すべてのスピリチュアルな学びの目的は、つまるところ「幸福になること」にあります。

いろいろな能力を身につけるのは、それ自体が目的ではなく、それを身につけることでより幸福になりたいからです。

にも関わらず、こんなにありとあらゆるスピリチュアルなことを学び、たしかにそれなりの知識や能力は身につけたけれど・・・さほど幸せではない・・・、ということに愕然としたのです。

 

それから苦悶の日々が始まりました。

悪いことには、一般の人以上にいろいろなことが見えたり感じたりするので、心が安らぐときがないのです。

私が学んだ先生方たちはスピリチュアルティーチャーから僧侶、神父の方まで、それなりに凄い能力を持ち、人格的にも素晴らしい方たちがたくさんおられました。

しかし結論を言うと、最後の着地点を私を明確に示してくださる人や、そこに私を連れて行ってくださる人には誰ひとりとして出会うことができなかったのです。

聖者と言われている人たちの本を読むと、その方たちが到達した次元のことは書かれています。

言葉では書かれています。

しかし、どうすればそこに行けるのかということは、どの本を読んでも結局のところわからないのです。

情報の洪水があるだけで、その中心にある何かの周囲を、グルグルと回っている感じです。

いったい、いつまでこんなことをしているのか・・・。

 

そんな絶望のときに出会ったのが、HARUさんでした。

ある人から、面白いエッセイがあるよ、ということを聞いて読んだのがHARUのブログでした。

この業界に長くいる私でもHARUさんという名前は聞いたことがありませんし、まったく期待もせずに読んだのですが、そのブログを読みながらすごく深いところで感動している自分に気がついたのです。

「この人は、もしかしたらその中心を指し示してくださるかもしれない」

と直感した私は、HARUさんをサポートされている亜紀さんに連絡をしました。

そのあとのことはまた別の機会に書いてみたいと思いますが、結論を言いますと、HARUさんはわずか3ヶ月でいとも簡単に、それまで誰もそこに連れていってくれなかったすべての中心に私を導いてくださったのです。

そして、私の探究は完全に終わりました。

そして、すべての問題がなくなりました。

 

以下、HARUさんのエッセイの一部です。

許可を頂いて掲載させていただいています。

これらはHARUさんの教えの「氷山の一角」ですが、それでもあなたが何かを感じられたとしたら、HARUさんの教えを学ばれることを心からお勧めします。

なぜなら、それは必ず、真の幸福にあなたを連れて行ってくれるからです。

 

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監獄の中

 

 

ある日、暇つぶしにネットサーフィンをしているとき偶然に、あるインドの聖者の映像が現れました。

その人はとても美しい顔立ちで、思わず見惚れていると、その人はこう話し始めたのでした。

「あなたたちは監獄の中にいます」

この一言を聞いた瞬間、僕は心がドクンと震えるような衝撃を受けました。

そして、その聖者はこう話を続けたのです。

 

「あなたたちは監獄の中にいます。

あなたは、本当はそのことを知っています。

でもあなたはそこが監獄には見えないよう、きれいなカーペットを敷き、美しい壁紙を貼り、居心地のいいソファを置いています。

さらに、退屈しないようにテレビを置きます。

気持ちよく過ごせるよう、エアコンをつけます。

観葉植物や絵画で部屋を飾ります。

あなたは一生懸命、この部屋を快適にしようとします。

そして人生の大半をお金を得るために費やし、そのお金を使ってあれやこれやと気を紛らわせます。

あなたの人生とはそのようなものです。

それはそれで問題はありません。

続けたければ、どうぞ続けなさい。

 

でも、あなたは監獄の中にいます」

 

僕はこの人が何を言っているのか、ハッキリとわかりました。

そしてその時から、その「監獄」の外に出ることだけが僕の望みとなったのです。

僕はすぐに、この師の元で学ぶためにインドに向かいました。

 

 

インドへ

 

 

インドに着くと、そこは混沌とした別世界でした。

車道は一応二車線のラインが引かれていますが、誰もそんなものは気にしていません。三台も四台もぐちゃぐちゃになって走っています。

舗装道路が途切れると、泥道になり、人と一緒に牛が歩いています。

裸の子供が遊んでいます。

香辛料の匂いが漂ってきます。

そんな混沌とした世界なのに、妙に落ち着くような、懐かしいような、なんともいえない心地よさがありました。

そんな風景を眺めながら、その聖者の元に着きました。

 

そこでは多くのことを学びました。

そしていくつかの奇跡体験はあったのですが、僕が望んでいたのはそのようなことではありませんでした。

ただ「監獄から出る」ことだけを望んでいたのです。

しかし、そのことは起こりませんでした。

心の状態はここにきたときのままです。

やがてもう数日で帰国するという日になっても、それは起こりません。

焦りと失望でなんとも言えない惨めな気分になりました。

もうヤケクソになった僕は、

「おい、神さまとやら!

オレはこんなところまで来て、何ヶ月もここにいるのに、あんたは何一つ起こせないないじゃないか!

あんたはほんとにいるのか?

あんたが本当にいるんなら、いるという証拠を見せてみろ!

どうせできないんだろう、バカヤロー!」

と心の中で毒づきました。

そして、もうどうでもいいや、結局何も起きないんだ、と完全に諦めたのでした。

 

これは後になって師から言われたことです。

「神さまというのは、あなたたちが思っているような仰ぎ見るものではないのです。

神さまは、あなたが隠している虚栄心、嫉妬、嘘、執着、貪欲さ、自己重要性、ズルさ、そういうことはすべて分かっています。

神さまが求めているのは、そんなことへの贖罪や反省ではありません。

神さまが待っているのは、ただ、あなたが友達のように語りかけることだけなのです。

そして、あなたが自分では何もできないのだと完全に諦め、ほんとうに自分を明け渡したときにはじめて、神さまの恩寵が流れ込むのです」

 

その翌日の講義を終えて、庭に出たときでした。

突然、これまで体験したことのない不思議な感覚に包まれて、それに呑み込まれたのです。

それはいきなり違った次元に連れていかれたようで、しばらく何が起きたのかわかりませんでした。

やがて少し落ち着いてくると、とても穏やかな歓びがあって、世界を遠くから眺めているような感覚です。

そして目の前にある樹々も、建物も、人も、自転車も、花も、犬も、空も、道も、ゴミ箱も、すべてが、たったひとつの意識の現れだと、はっきりと感じたのでした。

その意識というのはまさに神さまそのもので、すべてが神さまで、神さま以外のものは何ひとつないのです。

ただ「神さま」だけが形を変えて存在しています。

世界がそのようなものだということは大きな衝撃でした。

 

しかしまだ何か奇妙な、説明できない不思議な感じが残っていました。

しばらくその「神さまが形を変えて現れている世界」をぼんやりと見ていると、やがてその理由に気がついたのです。

それは、それらを見ているものもまた「神さま」だということでした。

神さまはそのようにあらゆるものに形を変えて世界として現れていながら、その現れを、僕という身体を通して自分自身で見ているのです。

つまり、この世界には「神さま」だけしかないという、おかしなことなのでした。

 

このことがひとつの契機となって、さまざまな理解が始まりました。

そしてその後数年間、日本とインドを行き来しながら師の元で学び、さらに何人かのインドの聖者から多くのことを学びました。

彼らは身体としてはすでに存在していませんが、その教えは時を超えて僕を変えていったのです。

 

 

投網

 

 

わたしたちが赤ちゃんのときには、

「お母さんがもうお乳をくれなかったらどうしよう」

とか

「コロナにかかったらどうしよう?」

というような不安や心配はありませんでした。

ところがわたしたちの成長とともに脳も発達し、それにつれて「マインド」と呼ばれるものが徐々に大きくなってきました。

 

マインドとは、わたしたちの内側に湧き起こるさまざまな考えや思考のことです。

このマインドは人間が生きていくために必要なものです。

マインドがなければ、自立して生きていくこともできませんし、いまのような文明や文化をつくることもできません。

ですからマインドそのものには何も問題はありません。

それは単なる道具です。

たとえば、漁師にとっての投網のようなもので、投網を使うことによって楽にたくさんの魚を獲ることができます。

 

ところがいつの間にかその投網のほうが大きくなって、逆に人間がそれにからめ捕られた状態になってしまいました。

やがてわたしたちはこのマインドの中に包み込まれ、常にマインドというベールを通して世界を見るようになります。

そしてありのままの世界はベールに覆い隠され、その代わりにマインドという本来は道具に過ぎなかったものの創り出す世界が、わたしたちの世界そのものになっていきます。

 

そして、そのマインドを通して見る世界の中で、怖れがはじまり、不安がはじまり、心配がはじまり、ありとあらゆる苦しみが始まるのです。

 

 

わたしの空気

 

 

では、このマインドの正体は何なのでしょうか?

実は、このマインドというのは、あなた固有のものではありません。

たとえば「嫉妬」というマインドがあります。

ところがあなたの「嫉妬」も、あなたの両親の「嫉妬」も、その祖先の「嫉妬」も、ドイツ人の「嫉妬」も、四千年前のエジプト人の「嫉妬」も、「嫉妬」は「嫉妬」です。

嫉妬だけではなく、怖れ、怒り、悲しみ、心配、渇望、執着、不満、失望、葛藤、貪欲さ、自己重要性・・・ありとあらゆるマインドの働きはすべての人間に共通しています。

古代人は明日の獲物の数を心配していたのが、現代人は明日の口座の額になっているだけです。

何ひとつ新しいものはありません。

マインドは、こうして何万年もかかって膨張し生き続けてきた、人類全体に共通の「想念帯」なのです。

 

さらにこのマインドはあなたの脳が生み出すものでさえありません。

脳は単なる受信器です。

そこにマインドが絶えず流れ込んでいるために、まるであなた自身に固有のマインドがあるように錯覚します。

たとえば、人はずっと呼吸をし続けていますが、あなたは自分が吸ったその空気を「わたしの空気」と言うでしょうか。

自分がかかったインフルエンザを「わたしのインフルエンザ」と言うでしょうか。

「わたしの空気」とか「わたしのインフルエンザ」というものがないように、「わたしのマインド」というものもありません。

あなたが自分の考えや想念だと思ってきたものは、何ひとつあなた固有のものではないのです。

 

 

ラベル貼り

 

 

あなたは電車に乗り遅れそうになって、大急ぎで駅へ走っています。

必死で階段を駆け上がったけれど、目の前で電車のドアが閉まってしまいました。

「あーも〜、どうしよう!」

次の電車は三十分後なので、あれほど楽しみにしていたコンサートの開幕にはもう間に合いません。

あなたはすっかり落胆してしまいます。

しかたなくプラットフォームでぼんやりしていると、しばらくして、先ほど出て行った電車が脱線事故を起こしたという案内が入ります。

あなたは思わず安堵に浸ります。

「ああ〜、乗らなくてよかった〜」

 

しかしここで起きているのは何でしょうか。

それは電車が出て、プラットフォームにあなたがいる、ただそれだけのことです。

 

このようにマインドはあらゆることに意味を持たせ、ラベルを貼ります。

実のところ、あなたがお金持ちになろうが、職を失おうが、コップの水がこぼれようが、結婚しようが、道で転ぼうが、病気になろうが、ピザを食べようが、雨が降ろうが、死のうが、財布を落とそうが、それはそれ以上の意味はありません。

それらに意味を付け加えているのはマインドです。

マインドはものごとにラベルを貼り、意味を与え、物語を作ります。

やがてわたしたちはその物語の中で生きるようになります。

 

さらにマインドはより確実に生き残るために、人生そのものに意味や目的を与えようとします。

家族のため、子供のため、人のため、会社のため、社会のため、というようなことからはじまって、国家のため、地球のため、神のため、というような壮大な目的まで考え出します。

しかしそれがいかに意味ありげに見えても、すべての意味付けは単なる「マインドのおしゃべり」なのです。

 

脳外科医

 

 

ある高名な脳外科医がいました。

彼は神さまと強い絆で結ばれていました。

そして困難な手術があると神さまに心の中で助けを求め、神さまはいつもそれに応えて手術の方法を示してくれるのでした。

このようにして、彼は非常に優秀な医師として尊敬されていました。

 

あるとき、彼の執刀を見学するために世界中から医師が集まりました。

ちょうどひとりの男性が事故にあって病院に運び込まれました。

執刀に当たった彼が頭蓋骨を開いてみると、脳は酷い損傷を受けていました。

手術は困難を極め、彼は神さまに、これまでそうしてきたように助けを求めました。

「どうかこの人の奥さんを悲しませないように、彼を助けてあげてください!」

 

ところが答えがありません。

彼はもう一度頼みます。

「この人には子供が四人もいるのです。もしこの人が亡くなったら、奥さんも子供も路頭に迷ってしまいます。子供たちにはこの人が必要なのです!」

 

でも神さまの声はありません。

時間だけが過ぎていき、このままだと患者は間もなく死んでしまいます。

 

そのとき彼は、自分の心の中の真実に気がつきます。

そして彼は正直に神さまに話しました。

「わたしは、奥さんや子供のことなどよりも、手術が成功して自分の名声を守ることが大切なのです。だから助けてくたさい!」

そのとき突然、神さまの声が聞こえ、教えがやってきました。

そして手術は成功しました。

 

わたしたちは自分の醜さを知っていますが、決してそれを見たくありません。

だからわたしたちがつく嘘のほとんどは、実は自分自身に対してなのです。

でも神さまは、わたしたちの正直さを愛しているのです。

 

 

足あと

 

 

わたしたちの人生を返ると、偶然の出来事がたくさん見つかります。

ちょっとした偶然の一致もあれば、中には「奇跡」と呼べるものもいくつかあるかもしれません。 

そのようなとき、わたしたちは自分の理解を遥かに超えたものの存在を感じます。

その存在に気づきはじめると、わたしたちは自分の力で生きているのではないことを知るようになります。

 

ある人が、神さまと砂浜を歩いていました。

その人は神さまに尋ねます。 

「あなたは、わたしが生まれてからずっと一緒にいてくれたのですよね」

神さまはにっこりと微笑んで、その人にこう言います。

「そうだよ。振り返ってごらん」

砂浜を振り返ると、ふたりの足あとがずっと続いています。 

「ほんとうだ。あなたはいつも一緒にいてくれたんだ」 

 

ところが、ところどころひとりの足あとしかないところがあります。

それはちょうどその人の人生の中で、とても苦しくて辛い時間でした。

その人は尋ねます。

「でも、わたしがとても苦しいときや辛いとき、どうしてあなたは一緒にいてくれなかったのですか?」

 

神さまは答えます。

「あれはあなたの足あとではなく、私の足あとだよ。

あなたが苦しさや悲しさで自分ひとりでは歩けないとき、私があなたをおぶって歩いていたんだよ」

 

 

いのちのダンス

 

 

わたしたちは何ひとつ持たずにこの世に生まれてきて、何ひとつ持たずにこの世を去っていきます。

それでも世界はわたしたちにたくさんの美しい姿を見せ、そのひとときを祝福してくれるようです。

 

鳥たちは今日もまた空を舞い、歌います。

樹々は今日もまた風にそよぎ、花を咲かせます。

彼らは何かになろうともせず、何かのイメージを装うこともなく、神さまに身をゆだねてダンスをしながら、

そのあふれる恩寵の中で

見事に生き、

見事に死んでいきます。

 

あなたは、あなたの歌を歌うために生まれてきたのです。

あなたは、あなたのダンスを踊るために生まれてきたのです。

あなたが踊れば、神さまが踊ります。

世界が踊ります。

すべてのいのちがあなたと手をとってダンスをはじめます。

そのときあなたは、

花になり、

香りになり、

風になります。

 

そしていのちはひとつになり、

永遠のダンスの中で、

あなたは、

あなたを思い出すでしょう。

 

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この私の拙い文章が、HARUさんがおっしゃる

「誰もが生まれながらにしてすでに持っている幸福」

にあなたが再び出会うためのきかっけになれば幸いです。

 

 

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私も読んで、心が震えるほど感動しました!

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最後までお読みいただき、ありがとうございました♪