27才中卒、元パチンコ店主任の防備録                『無くして初めて気付く大切さ』

27才中卒、元パチンコ店主任の防備録                『無くして初めて気付く大切さ』

社会ド底辺とされる「中卒」
自身の中学も同世代約100名中私一人。
ほとんどの方にはあまり馴染みが無いかと思いますが
「こんなやつも居てるんだ!」的な感じで見て頂けたら嬉しいです!

Amebaでブログを始めよう!
え~っと二回目の書き込みになります!笑
ブログを真剣に書くの初めてなんで色々発見がありなかなか楽しくなってきましたキラキラ

今日は僕の幼少期について少し書かせて頂きます。。

私は母子家庭の家庭で育ちました
両親が6歳の時に離婚し2つ下の妹は父親に引き取られ
私は母親について行きました。
住む場所も父と妹は大阪に残り
私と母親は和歌山県白浜町に引っ越しました。

父と妹とはこのあと一度会ったきり会う事はありませんでした、、
父と私は血が繋がっておらず妹とも種違いという事を知り
会いたい気持ちを親に伝えられなくなった、言いづらくなったのが一番の原因かなと思っています。
母に

『妹に会いたい』
『お父さんはどうしていないの??』


しつこく聞く私に一度だけ母は

「お父さんと妹に会ってきなさい」


『お母さんはいかないの?』


「一人でいっておいで」


私は少しさみしい気持ちと久しぶりに会えるワクワク感を持ち大阪へ行きました

大阪では父と妹、知らない女の人と僕と同い年ぐらいの女の子が居ました
家もマンションだったのが一軒家になっており
僕の知っている場所ではなかった

この日をずっとずっと楽しみにしていたはずなのに
待ち続け何度もなんども泣きながら母にお願いしてやっと
会いにこれたはずなのに私はほとんど父と会話をすることはありませんでした

妹と皆の目を盗むようにしてトイレに入りその個室の中で紙に
私は『ドラゴンボール』の悟空
妹は『セーラームーン』のキャラを何人か紙に書いたりして遊んだのを覚えています

妹は新しくできた母と姉にとけ込めていないようで
二人で少し泣きました
僕はお兄ちゃんだから泣いちゃいけないと思いながらも涙を抑えることができずにいました

それから新しく来たお母さんと接するのが居心地悪いまま
白浜に帰ってきた僕は2度と妹と父に会う事はありませんでした

私はもちろん父の再婚は知りませんでしたが
母はおそらく離婚するまえから気づいていて一緒に来なかったんだろうと思います

私と母が住んでいたのが
和歌山県白浜町の『母子寮』というところ
今は違う名前に変わっていますが
母子家庭の母子のみ入居できるアパートのようなところです

とにかく家賃が安い

部屋は狭い基本1K

トイレは共同!和式、小便器
裏に洗濯機が置いてある

風呂も共同!
女風呂は広い!!小さな銭湯なみ♪

男子風呂は普通の家サイズ
一人30分交代で入れる時間が決まっているよっいたい

13歳までこちらにお世話になりました

といいますのも
を育てるため母は
旅館の中居やゴルフのキャディーなど

体力的にきつい仕事をし
私が13歳の時に入院してしまったのです
そのため私は施設に入ることとなりました。。