先日書いたレクサプロの記事。レクサプロが今日中止になった。というのが、処方が8月22日。今日まで10日弱、飲んだわけだが、最初の4日はとっても調子がよく、幸福感、爽快感もあったし、動けないといううつの症状が全くなくなった、と言えるくらいに効果があった。


ところが、、5日目、なんだかイライラ。昨日までの気分とは全く違い、前の状態よりも悪いくらいになってしまった。それでも一時的なものと思い(事実、いままでも病状には波もあるし)、レクサプロは飲み続けた。けれど、ここから今朝まで、この状態が改善されなかった。なんせ、今まで以上に動けなくなった。


処方してくれた医師が言うには2日から2週間で効果がでるとのことだったので、もう少し期待して飲みたいところだったが、なんせ具合の悪いこと、悪いこと。仕方なくもとの主治医の指示を仰いだ。で、中止。残念。


個人的な感想を書くと、レクサプロ服用時はまったく病識がないといえるほどに状態がよかったが、いままで自力で(?)頑張ってきた事柄に対して、やる気が失せた。と言うのは特に飴細工のことに関して、イベントを自分で探してアプローチしたり、その他の考えていた活動(HP作りやゲストハウスへのアプローチなど)をやる気が全くなくなってしまった。飴は実際に作れたし、楽しいという気持ちはあったのだが、努力している感覚がない。本来なら(健常者なら)いままでやってきた事柄ならば、なんの苦労もなくさっとできる作業なのかもしれないが(得意、不得意はあるだろうが)、意識して心がけて動くようにしないと仕事として成り立たなかったと思うし、ここまで続くとは思えなかった。ここがポイント。ここまで続いた飴細工に対する情熱が、レクサプロの服用から急に冷めてしまったのだ。薬の作用だけではないのでは?と思うかもしれないが、感覚的に実際のことなのであったから、困った。


生活のラクチンさ、スムーズさを採るか、好きな仕事を採るかという究極の選択。大げさじゃなくて、私の場合はどう考えても、今回の服薬のことで生じた事柄だと思う。だから「もう少し飲んでみたい」気持ちを抑えて、もとの主治医の指示に応じた。飴細工のことがなければ、きっと数日の不調を我慢して、もう少し続けていただろうと思う。(続けて飲んだら違っていたかも)


これがレクサプロの感想。。あ、あとずっと書いといてなんだけど、効果はプラシーボだったかもね。

お久しぶりです。うつ持ちながら、一日3回の服薬でなんとか家事、育児、飴細工と頑張ってきて、飴細工に至っては2年弱。なんとかやってきました。このままの服薬でずっといくつもりでしたが、先日の外来で代診で会った医師にだしてもらった薬、レクサプロをのんで2日目。なんと!違うのです!!


今まではなにかに取り掛かるには「えいっ!」て自分の意志を奮い立たせて(?)取り組まなくては動けなかった。料理やお皿洗いはもちろん、洗濯ものを干しに2階にあがって干す、その作業の辛いこと。掃除機をかけるのがとくに大変でした。休んでねっ転がっているときに、ふと見た先に大きなホコリがあっても、見て見ぬふりはあたりまえでした。←うつ病のひとにはよくわかると思います。


レクサプロは一番新しいタイプの抗うつ薬で、医師が言うには「早くて2日、遅くとも2週間後にはやる気が出るから。。」ということでした。朝と夕の2回に10ミリをわけて(要は5ミリ)一日2回。処方されたその晩には、なんか違うという感覚がありました。まずは「えいっ!」と気合を入れなくても、さっと物事ができる、作業が進む。今日が2日目ですが、今朝の家事の楽なこと!普通にこなせる。たぶん健常な人にはわからないと思うこの感覚ですが、うつ病患者においては、一つの物事を片すのに使う労力は、計り知れないものなのです。だいいち、このブログを書こう!と気力があることがなによりの証明。


このブログは不特定多数の人がみているのでしょうが、うつ病のひとが検索してひっかかることで読者になってもらってる例が多いと思うのですが、今回の記事はどちらかといえば、その人たち向けというか。テレビが苦手。この症状はけっこうの人が訴えることですが、このレクサプロを飲んでみたら、普通に見て楽しめるのです。病気になる前は、特に気にすることもなかった活字や音や映像のうるささ、煩わしさ、それらが頭に入ってこないなどの症状がない!「ない」と書いたのは、楽になったというレベルでなく、本当に症状がないから。


そんなこんなで、まるで治ってしまったかのように過ごしている本日です。本日はこの辺で終わりにしますが、もっと改善されたことが出てくると思うので、またアップしようと思ってます。(特に飴細工に関してなんかも)ではでは。。

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ここ最近の飴細工紹介!ユニコーン&竜です。

わたくしごとですが、先週末に大阪に行ってまいりました。通常大阪に出向くときは、海遊館の飴の師匠のところに伺うのですが、今回の目的は、憧れの飴細工師さん「KAYAさん」の実演を見てまいりました。


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KAYAさんの飴細工がこちら。かわいらしい飴が並んでおります。KAYAさんは私が目指している飴細工師さん中でも、ダントツ1位の方。


大阪に朝に着いて、グランキューブで開催されていた平田タイルさんのイベントへ。その一画で催されていた飴細工のブースにお邪魔したのですが、KAYAさんにとりあえず会釈程度のご挨拶をして、数時間張り付かんばかりに見学させていただきました。その姿はかなり怪しい(笑)。直接、指導をしていただくことはできなかったのですが、数々の技を盗み見。いろいろと学んでまいりましたよ。お昼になって実演が一旦、休憩になったのですが、なんせ緊張してろくに話すこともできず、あいさつ程度で退場してしまいましたが、有意義な時間でした。後日、お礼のメールを入れたのですが、丁寧な返信をくださいました。頑張ってください的な(本当は言葉は違ったのですが、ここではナイショ)お言葉をいただいて、ますます頑張らなくては!と思ったのでした。


ということで、その後に作った飴を載せてみました~。いかがでしょうか?


今週末、5月31日、6月1日に新小岩商店街ルミエールの催事場で開催のプリュデコルさんのヘアアクセサリーなどの販売の一角にて「飴細工実演販売」いたします!


ブログ見ましたと言っていただければ、なにかサービスがあるかも?


うさぎ屋 飴細工をどうぞよろしくお願いいたします!





こんな感じで、



飴細工、やっております。



屋号は「うさぎ屋」




超ひさびさの更新いたします。見てみれば、前回の記事から約一年半。立派にデビューし、ちらほらと、イベントに出店しています。実名にて飴細工師としてやっていますので、最近はFacebookにいろいろ載せていますが、都合上、まだまだこちらとはリンクさせてはおりません。Facebookのほうでは「うつ病」もちをまだカミングアウト(?)していないので、リンクは先になるかな。これからはこちらのブログにもすこしずつ掲載しようと思いますので、「あー、ちいちゃんさん、どうしたんだろう?」「死んじゃったんじゃない(?)」という方々もいらっしゃるとも思われますが、これからも長い目で見てやってくださいね。ではでは。

ナッキーの4時間帰りの話は前に書いた、と思う。だいたいが給食前にお迎えだったのだが、今週は2日だけ5時間帰りをすることになっていた。給食は止めてしまっていたので、お弁当作り。(これがまた厄介なことにアスペルガー傾向の子は偏食が多く、食べられるものを数えるほうが早いくらい)朝は私、弱いので夜中に起きて明け方にから揚げを揚げたりのちょっと面倒な数日。でもまあ、5時間が主になったら給食プラス小さなおにぎりくらいで、なんとかできそうなので、うつ持ちとしては睡眠をしっかり摂りたいところだが、今は我慢して疲れてもなんとかと思ってやっていた。


5時間目にプールがあるという火曜日に、給食たべて、さあ、あと少しという時間になって電話が鳴った。教頭から。いつものように「なにか起きた」のだ。「ナッキー君がまーくんにハサミを向けて。。」「ハサミは手に持っていたのですか?」と私。「いや、机の中から自分で出して、、」「まーくんに怪我は?」「それは大丈夫です。プール前まで頑張っていて、お弁当もちゃんとほとんどをたべれたのですが、担任が着替えに席を外し、私(教頭)と補助教員で見ていたときに」。。。という。あーやったと思った。2年生の時に前の学校でハサミをお友達に向けたことがあるのだった。私もちょっと混乱してまずは塾の先生に連絡。ナッキーの塾の先生はお子さんが情緒の障害があり(もう社会人として立派にやっている)、なにかにつけて相談にのってもらっているのだ。が、先生が研修中で電話に出れないようだった。早く学校に行かなきゃならないけれど、私も自分の態度(対応)を決めていかないと、と思ったので、次に緊急と言って主治医に電話をする。わたしもパニック気味になる中でさっと、主治医に事情を伝えた。涙があふれる中で主治医は冷静に「とにかく危ないものはよけてもらって、学校での事故がおきないように、それは教師がする」ことだし、お母さんそんなに自分を責めなくて大丈夫。それ以上のことがあればまた連絡してください」と言ってくれた。冷静になって、運転しながら考えた「まずはナッキーの言い分を聞こう」。。


教室に着くと、ナッキーは帰りの支度も終わって、落ち着いて見えた。まーくんが席にいなかったのが気になったが、プールに行く3年生すでに廊下に並んでいたので、そこにいると思うことにして、まずはナッキーに第一声をかけた。「どうした?」と私。「ホーホーの心が折れた。」とだけナッキーが答えた。


もう教頭も居ず、担任がすぐ脇にしゃがんで着いていてくれた。担任が説明をしはじめて、要はこういうことだった。まーくんがホーホー(という、ナッキーが学校に連れていっているふたつのぬいぐるみのうちのひとつで、みみずく。)を隠してしまった。ナッキーがそれに対して、まずはまーくんの嫌がることで、言葉をまねて繰り返すことをし始めた、と嫌がり「やめてよ~」と叫ぶまーくん、そしてナッキーのハサミ。。。それで「ホーホーの心が折れた」だったのだった。


ハサミはいけないよね。言葉で言えなかった?。。じゃあ、しばらくの間ハサミは先生に預かってもらうから、使う時に言うのでいいね?と私がナッキーに言い、担任はまーくんをちゃんと叱って、「それはナッキーくんが怒っちゃうよね」と話をしてくれた、ということだった。どちらにしても、ハサミはまずかったので、ちゃんとこれから事情をこの子にも聞きながら指導しますと言って一緒に帰った。


そんなことがあって、今週が過ぎていき、(実はもうひとつ事件が起こったのだが)私もストレスと疲れでくたくた、限界だった。ナッキーは今日からおばあちゃんちにお願いして、日曜日までお泊り。(本人は喜んでる)今回のハサミの前から(書いたと思うが)、ナッキーに教えることがいっぱいで厳しくしてきた。今回はまずやさしくナッキーの言い分を聞くことができたが、他の件ではここのところ、ナッキーを怒鳴りつけてばかりだった。焦っていて、一気にやろうとしたのも間違いだったし、自分の得意としない役割を演じたことで、私もが壊れかけていた。火曜日からは毎日、泣いて怒ってばかり、感情のコントロールがきかなかった。「入院でもしたい。。」とまで、ダンナと母親に口にした。


ちょっと疲れた。ホーホーどころか私の心も折れたよ、ナッキー。

先日のナッキーの記事で、「大体のところは容認してしまっている。それほど重い障害ではないし」と書いてしまったが、ここ数日、悩みながらナッキーと戦っている(?)。戦いというのは、いままで私(たち)がサボってきてしまった普通の子育てについて。


たとえば、ナッキーは宿題(学校のも塾のも)をやることを、異様に嫌がる。取り組んでしまえば、ものの10分で終わることができるのに、だ。たいていは宿題をやろうと声掛けをすると、「今日は無理」「難しくてできない」と言い訳の言葉を何度となく繰り返し、だらだらとごねる。その拒絶の仕方が半端ない。一旦言ってしまってあとにひけなくなったとかではなく、とにかく面倒な様子で、一時間でも二時間でもずっと嫌だと言い続ける。(そのほうがよっぽど面倒だと思うのだが)なにかのアスペルガーについての本で「とにかく宿題を嫌がる」という事例を読んだことがあったので、障害のせいなのかとも考えあきらめそうなることも多々あるが、ここは負けずに根気強く、こちらも言い続けるようにする。結局はだいたいが「やればいいんだろ」と捨て台詞をはきながらも(時には泣きながら)課題に取り組む結果になる。まだなんとかやっていけている。それでもこのやり取りが毎日続くと、さすがに疲れて負けてしまいそうになる。(実際に負けてしまうことだってある。8勝2敗といったところか)でも。。ここで踏ん張らなければならないと、普通の親が言う以上に言わなくてはと思うのは理由があって、その他の日常の子育て、しつけに関しても最近は深く考え、厳しく言うようになった。


ナッキーは一年生で通級(週に一回、自閉症児のための訓練をしながら特別のクラスで過ごす)を利用しながら普通級でやっていた。そこの先生は厳しさ以外は持ち合わせていないとさえ思うほどだったし、その当時はなぜ、通級が憩というか自閉症児なりの葛藤やストレスを受け止める憩の場でないのかと疑問にばかり思っていたが、今考えればナッキーのようなタイプにはそうしないと普通級でやっていくための助けにならなかっただろうし、やっていけなかっただろうと思う。その教員とはトラブルになって通級をやめたのだが、(一年時の担任も連携してなんとかやっていてくれた)そこから、崩れだしたのは、今となっては確かだ。その時には私たちはナッキーの障害について、楽観視していたし、情報も集めたりもせず(特徴が顕著に表れてはいなかった、と思った)ただただ、そこの教員のある事柄への対応のひどさに、そこを辞めさせたのだったが、そういう子供たちばかり、ある意味で見続けている側(専門に訓練を受けた教師)としては、ここはこうしたほうがいいという事例をたくさん見て、正しい(正しかった)対応をしてきたのだろう。


二年生になって、担任が変わり新任の(に近い)若い女性の教員になり、4月早々廊下に立たされたり、残されて指導されたりしたナッキーは、担任もクラスも嫌になってしまった。ほぼ登校拒否に近くなった。(ここからは前に書いたので簡単に)空き教室で手の空いた教員と勉強しはじめたが、クラスのようにリアルタイムで二年生の課題に追いついていけなくなってきていた。ナッキーをはじめ、他の2名の、そこで過ごす子どもたちは誰もが、わがままを言い、席を立ち、時に暴れ、反抗し、そして教員のほうが負ける形になることが多くなり、更に子供たちは我を通し、ラクし始めた。ナッキーがわがままが通る相手かどうか試すことをよくするのも、ここが始まりだった。そして、算数も、国語も(特に漢字の書き取り)遅れ、他の教科に至ってはほとんどなされていなかった。


(いろいろこの間に事情が変わり、)前にもこれも書いたので省略するが、三年生では今の「固定の情緒学級」に通うために転校した。ここでも生徒は3人。教科としては算数と国語がメイン。ここでの、今の担任は専門に情緒障害児に対しての専門の教育を受けた先生。そこで今、問題もなんとかクリアしながら毎日過ごしているナッキーだが、私(たち)の認識が違っていた点として、やはりここは障害児のためのクラスなのだった。担任の対応には満足しつつも、全教科をやるというのは無理だし(ここも考えていなかった)、とにかく勉強に関しては遅れが続いているのだった。ここで今回のブログに書きたかったことにもどるのだが、この3年間、ナッキーの思惑通りというか(本人にとっては仕方ない)ラクなほうに流れる道を選んでしまった。今はここが悩みである。


そんなわけで、通常に追いついていない小学生の学習科目の内容に、なんとかこれ以上遅れを出さないよう、学校と塾の宿題は彼にとって必須なわけだ。が、前記の具合で、なかなか思うようにいかない。勉強面でここまで。それ以外でも、ナッキーは次の日の学校の支度を自分でやったことがほとんどない。やらせてこなかった。しかし、もう3年生なのだ。もう普通級に通う子たちがあたりまえにやっていること。ここで、私の認識の甘さ、障害を障害と受け入れるかばかり悩んでいて、実際にナッキーに、親としてしなければならないことをわたしも、サボってきたのだ。今になって心も痛い。


私事なんだが、最近うつの状態があまり良くなく、自分自身のこの先が不安になった。私がうつでもうつでなくてもなんだが、どう考えてもナッキーより私たちは先に逝くのだ。この子が将来、兄弟もいない状況で社会人としてやっていけるのだろうか、いや社会人にさえ今のままではなれないのではないか。ここでは勉強の遅れについてばかり書いてしまったが、それよりも大事なことさえできてもいない。自分のことを自分で。。という親が子供に、子育ての中で教えていかなければならないこと、それこそ大切なこと。ああ、なぜ今までそこに私は気づかなかったのだろう。。私自身が親に教わってこなかったから。私は健常者だったので、普通のことは普通に成長につれてできるようにはなってきた。けれども、学校では忘れ物ばかり、成績でこそたまたまよかったのだが、宿題も課題もやらないことも日常茶飯事だった。だから、今まで気が付かなかった。ナッキーには申し訳ない。これからは厳しくするようにする。普通にナッキーの歳でできることはできるよう、教えていくようにする。急に厳しくなってナッキーも可哀そうなところもあるが、将来、できないほうが可哀そうなのだから。

ちょっと長くなったので、ここまで前半として、また書くことにしようと思う。