水色日記

水色日記

☆奈央の備忘録☆ 育児、過去、心理カウンセリング、円形脱毛症、甲状腺癌など あれこれ

娘、中学入試に合格しました!

 

午前中に試験を受け、お昼を食べてから家に帰り、

ちょっと休憩したら再び学校に向かい、

判定結果をいただくという流れ。

 

暖かい春のような穏やかな日でした。

 

朝の試験の時は私だけ付き添いましたが、

判定結果の受け取りは家族全員で臨みました。

 

事務所で封筒を渡され、娘がそれを開け、

中に入った判定書を見る。見守る私たち。

そこには「合格」の文字が。

 

中庭や通路のいたるところで、同じような光景が見られました。

ぴょんぴょん飛び跳ねて喜んでいるお嬢さんもいました。

お友達同士抱き合っているお嬢さんたちも。

 

最初から「1校だけしか受けない」。

初志貫徹でここまできた。

娘に極力負荷をかけない受験を、という方針で。

 

学校から帰ってからお友達と遊びにも行ってたし

ゲームもyoutubeも普段通り。

いわゆる受験生的な過ごし方はしてませんでした。

バレエの習い事も続けています。

ひたすら「平常通り」で過ごしてきました。

 

塾は、算数と国語を週に1コマずつ。

キャパが小さく体力のない娘にはこれでもしんどそうでした。

塾で斡旋される全国模試なども断り、

最低限のことだけをコツコツやって

コスパよく乗り越えた。

 

それでも、学力的には飛躍したと思っています。

娘は算数的な考え方がかなり苦手な子だったのですが

小数や分数の計算もきっちりできるようになったし

割合の問題、時速や分速の問題、食塩水の濃度の問題、

円錐の体積などの問題ができるようになっています。

数年前の娘には考えられないことでした。

 

これだけでもかなりの成長だと思います。

(学校だけでは身につけられなかったはず)

 

受験生だけ面接があったので、

紺のカーディガン、白いブラウス、プリーツスカート、

黒タイツ、ローファーという無難な服装で挑みました。

同じような格好のお嬢さんをちらほら見ました。

でも一方で、

ジャケットやワンピースなどの超フォーマルな装いの子もいれば

デニムパンツにフード付きパーカーのような子もいたりして。

結局どんな服装でも構わなかったようです。

関西はどこの学校もそんな感じなのかな。

 

 

学校説明会やオープンキャンパスの時の雰囲気から

生徒と先生方の距離が近く、こちらからも話しかけやすく、

何の違和感もない、ほのぼのした校風に好感を持っていました。

 

一方で全国大会優勝常連の部活もあって、

将来の夢や好きなことに向かって全力で取り組める環境があり、

手厚い指導が期待できる印象です。

大学の付属なので、これで進学先の心配もほぼ無いかな。

 

下の子(小3男子)が

「ぼくもここを受けたい」

と言うぐらい気に入ってしまいました。

女子校なので、諦めてもらうしかない…

 

娘が、この学校で素敵に成長させてもらえることを祈ります。

 

入学金の振り込みも済み、

次は、制服採寸などの手続き。

 

準備を楽しみたいと思います。

 

 

いよいよ娘の受験本番を迎えました


秋から行われたプレテストを

つつがなく終えられるかが 

我が家の中学受験のピークでした

本番並みに真剣に挑みました


その結果、合格安全圏という通知を頂いたので

「こんなに呑気にしててよいのだろうか」

という日々を過ごし、あっという間に本番


ただいま娘は国語を受験中 

私は控え室にてこれを書いています



中学受験といってもいろいろなんだなと思わされる


高偏差値の名門校を目指し

エリート人生を歩むための戦い

みたいなイメージが一般的だと思うけど


うちのような

のんびりゆるゆる受験もまた存在するわけで


全ては「なんのために私立に行きたいのか」という動機によるんだと思います


我が家は娘のために

手厚い環境を用意してあげたいというのが動機です


うちの娘が通う学校は

ある程度「温室」であるべきだと思いました


娘の成長を穏やかな環境でゆっくり見守りたい

それだけです


地元公立中のことは、まだよくわからないけど

公立小学校の延長であると想像するならば

ギリギリの状態の先生方とともに

カリキュラムに追われ行事に追われ

高校受験に向けて全方位的に注意を払いながら走り続けなくてはならない

というイメージ

なんか色々タフさが求められる気がする

うちの娘はしんどいだろうな


そんな感じで

一校専願でシンプルな受験を決めました


娘には今後もいろんなことがあるだろうし

自分の特性と付き合い生きる練習をする必要がある

限られたリソースを有効に使うべきです


合格したら良いなと思います


もし入学できたら、

気の合うお友達を作り、部活やお勉強や多様な経験をして

ゆっくり成長していってほしいです


銀シャリ橋本さんの「コメコメコミック」

というyoutubeチャンネルを見ている。

1980年前後に生まれた人の子供時代の記憶を

リアルに呼び覚ましてくれる素晴らしいチャンネルです。

ゲーム、玩具、CM、J-POP、ドラマ、アニメ、お菓子。

多岐にわたるテーマで、見る者をあの頃に引き戻してくれる。

 

特に、同時代に阪神地域に暮らし、

橋本さんと同じ私鉄を利用していた私にとっては

橋本さんがもはや同じクラスの男子だったような気さえしてくる。

 

橋本さんは記憶力の鬼であり、

「そんなことまで覚えてるん!」ということまで

的確過ぎる言葉のチョイスでさらりと言語化してくださる。

ほんとにお見事というしかない。

 

 

私は小中学時代の友達と月に3~4回一緒に楽器を吹くのだが、

その友達もまた、記憶力の鬼なのです。

さらに言語化の達人(超人?)でもあり、

ものすごい反射神経ですこぶる明快に思い出を言葉にしてくれる。

 

その友達と話していると、

あの頃が昨日のことのようによみがえってくる。

 

私もあの頃のことは人生でよく振り返ってきたせいか、

細かく覚えている方なので、二人で話すとかなりの精度だと思う。

 

彼女との会話が死ぬほど面白いのは、

30年越しにあの頃に「ツッコミ」を入れているから。

 

30年前、私も彼女も、

自分のおかれた環境に必死に適応しようとしていた。

学校という場所は、大人になってから振り返るとツッコミどころ満載だ。

けれど、当時はそこで生き抜かねばならず、

一生懸命にサバイバルしていた自分たちが憐れだったり、

愛おしかったりすると同時に、

アホやろとツッコミたくなることも多々あるのだ。

 

「大人になったがゆえの冷静な批評眼」があるからだ。

 

それは、当時のクラスメートだったり、

調子乗ってたサッカー部男子だったり、

怖かった部活の先輩だったり、

各教科の先生だったりにも向けられる。

 

恨みつらみも、苦い思い出も、

30年経つと全てがネタ化できる。

ワードだけで爆笑できる。

 

これが長く生きている人間の強味だろう。

 

親にも伝わらないニュアンスが、

あの時一緒に過ごしていた友だちには一瞬で伝わる喜び。

 

子供時代を共有する友人に勝る宝物はないなと感じる昨今。

 

 

最後に、

それらと同質の喜びを得られる漫画がある。

東村アキコ先生の「まるさんかくしかく」である。

 

世代は私たちより少し上になるし、

宮崎県という異なる文化圏の地が舞台であるにもかかわらず

大笑いできる「昭和末期」の子どもの世界。

 

 

人生も折り返し地点を過ぎると、

忘れかけていた思い出すら極上に旨いお寿司みたいなものになる。

面白いものだなと思います。

久しぶりのブログ更新。

娘は小6になりました。

 

娘は学校頑張っています。

 

5年生では念願の漢字大テスト満点を達成し、

国語の成績がクラスでトップという話を

先生からもいただきました。

 

行きたくない、家にいたい、しんどい、6時間も無理…

 

そういう日は今でも変わらずあるけど、

休んだり、手を抜いたりしながら、やり過ごしている。

 

今年は受験生です。

 

中学受験とはいえ、今までと変わらない生活リズムで、

コツコツ、同じペースで、できることをできる範囲でやるだけ。

 

「朝から晩まで塾塾塾!」みたいな受験生活では決してありません。

何も変わってません。

娘にはそれでいいと思ってます。

 

受験の目的も

娘が娘のペースで過ごせること

いろんな選択肢が用意されている学校であること

が大きい。

 

バレエもお芝居のレッスンも英語も続けています。

英検4級も取れました。

 

好きなことは自分を支えてくれる。

娘もそう理解しているようです。

 

 

娘が無事中学生になって、新しい学校に慣れてきたら、

私も仕事を探そうと思ってます。

 

来年の今頃にはなにか始めていられたらいいなと思います。

私は友達が少ない。

親友と呼べる友達は今や1~2人だ。(うち1人は夫かも)

私にとって友達とは「本音で話ができる人」だ。

私がどういう人間であるかをある程度知ってくれて、

私もまたその人をどういう人間であるかをよく知っている。

それが友だち関係だ。属性は問題ではない。

未婚・既婚、子持ちかどうか、

働いてるかどうかなどは全く関係ない。

 

ちなみに夫も遠方に旧友はいても、

進行形でつきあっている友達などはいない。

 

そんな我々の子たちも、友達付き合いはわりと狭い。

心から大切にしている親友が1人。

そして、その友達よりは親密度が低いが、

近しい友人が2人ぐらい。

親の介入なしに築いた関係だと言える。

娘も、息子もそうだ。

 

それは、馬が合うとか、趣味嗜好が近いとか、

濃い経験を共有しているとかで、

心が通い合うものがあるからこその関係性である。

 

付き合いの浅い友人知人と大勢でワーッと遊ぶことを

うちの子たちは好まない。

(学校行事などは別だが)

それよりも仲の良い親友とじっくり二人で遊ぶことを好む。

遊ぶ友達のいない日は、家で一人で好きなことをして過ごす。

 

我が家ではそれは何も不思議ではない。

 

 

が、もう一方で、

決してそうではない人付き合いをする人たちもいる。

 

息子の同級生Xくんは

クラス内では全く関わらないにも関わらず、

下校の時だけ「一緒に帰ろう」と毎日迫ってくる。

理由は「同じ方向だから」だ。

まるでタクシーに相乗りするかのように、

「一緒に帰ろう」と強く要求してくる。

今日は別の子と帰るからといって断っても、

「なんで? なんでダメなの!?」と言って聞かない。

大騒ぎする結果、そのXくんの親が

「仲間外れにされた!」

と後で乗り込んでくるのだ。

 

子どもたちにも人間関係がある。

低学年とはいえ、話の合う子と心を通わせながら

仲良く下校する楽しみというものがある。

今日遊べる?とか、あの漫画見た?とか

ゲームの話したり、道すがらお花や木の実を摘んでみたり。

その子たちにしか通じることのない、共有された世界がある。

それは、互いの心を互いが大切にしながら、

慈しみ合いながら、作り上げる世界なのだ。

 

それを全く理解しようともせず、

自分の話ばかりするXくんが

「(同じ方向だから)一緒に帰ろう!」と迫ってくるのだ。

 

 

Xくんのママは、ものすごく顔が広い。

びっくりするぐらいたくさんの人と知り合いで、

あらゆるクラスタに所属している。

習い事も必ず別の家の子たちと一緒に通わせているし、

休日のイベントなども別の家の子たちを誘いまくって、

可能な限り徒党を組んで参加しようとしている。

 

我が家も、以前はよく習い事に誘われたり、

イベントに誘われたりした。

ご近所だし付き合いもあると思って、

その話に乗ったり、イベントに顔を出したりしたこともある。

 

が、次第に我が子が「行きたくない」というので

断るようになった。

 

我が子は、

「たいして親しくもない人たちが、ただ群れているだけ」

という状態に何の楽しさも感じないのだ。(私もだが)

 

そして、なんだか

「利用されている」

ような気もするようになっていった。

 

Xくんのママが別の家の親子を誘いまくり、

何かにつけて、誰かと共に行動しているのは、

自分の子育ての負担を軽減するためなのだ。

 

だんだん、そう感じるようになった。

 

(Xくんが、1対1では手に負えないのだろうか?)

 

 

つまりこれも、

「同じ方向だし乗っていきましょうよ」

と、タクシーに相乗りしてwinwinという感覚だと思う。

 

子どもの相手するのって面倒だよね、

みんなで集まって、

子どもは子ども同士で遊ばせれば私たちも楽だよね!

 

という。

 

そのために、

「近所のママ友とその子」をたくさん「友達リスト」に入れて、

極力自分が一人で子育てをしなくて良いように

とにかく人を誘いまくっているのである。

 

そういう親のところで育つ子(Xくん)が、

そういう風にしか友達付き合いができないのは

必然だなぁと思う。

 

趣味嗜好が合うわけでも、

心が通い合うわけでもないけど、

親の都合だけで「とにかく誰かと一緒に!」を

生まれてこの方ずーっとされてきたのだから。

 

 

Xくんにも、

いつか「誰よりも気の合う子」や「同好の士」的な

友人ができることを祈りたいのだが、

あんなふうに他人を「相乗りしてwinwin」感覚で使い続けるならば、

そういう日は遠いのではないかと思う。

 

winなのは自分だけで、

巻き込まれた相手はloseであることを知らないのだから。

 

相手は、優しいから、おとなしいから、

断れなくて「いいよ」って言ってくれたり、

「今日だけだから、まあいっか」となるだけで、

いわばお情けだ。

それに預かって一緒にいてもらっているだけ。

 

不憫だ。

 

そして、Xくんのママは、

そうやってXくんが誰かと一緒にいることを

「うちの子は友達が多い」

「うちの子は友達とちゃんとやれてる」

と満足する。

 

Xくんのママは、私の息子に

「心の中では嫌だなと思っててもいいから、

それは言わずに、一緒に帰ってほしい」

と要求してきた。

 

お情けをください、と懇願しているわけである。

 

Xくんが不憫すぎる。

 

 

「友達観」というのものも、

親と子は同じ傾向になるものだなあという話でした。

 

お読みいただいてありがとうございました。