うなぎは39歳の2015年秋に突然結婚して
悲しい流産
そして翌年2018年の年始に42歳で初産
周りの知人を驚かしました。
当時、人によっては秘密主義過ぎると怒る人もいたのだが、秘密でもなんでもなく元々友人だった人との交際期間1ヶ月未満の婚約、半年で入籍だった
私の相棒になってくれたチャレンジャーな人は
2013年1月のブログで私が落としたお守りを探してくれようとした友人だ
2年後にまさか身内になるなど、私だって思わなかった
あれから3年
うなぎの人生がいっぺんに様変わりしたので、走馬灯風にまとめる
2015年9月に入籍
急に人生ゲームが激変し始めた
ハワイで挙式と新婚旅行
嵐のデビュー会見したモアナサーフライダーへ
初めて会った日に手作りウェディングケーキのサプライズでお祝いしてくれた
びっくりしたし胸がいっぱいになった
嬉しい気持ちがどれだけ伝わったかわからない
4年ぶり当選(友人が)嵐ライブへ!なんと最前列で至近距離の強運!
ニノやおーちゃんは華奢な少年のままの印象、相葉ちゃんはめちゃくちゃスタイルいい。翔くん意外と男っぽい。MJはびっくりするほど良くできた顔立だった。
近い!これ以上無い幸せ!
ナゴドもお初
年明け。2016年1月末日
副業先が建て替えの為、完全閉店
最終営業後に退職
朝5時からの仕事を頑張って続けたらいつの間にか仲間もできて、大変だしキツかったけど充実したし、勉強になった
料理の現場の内側は大変だし厳しいと聞いていた
確かにそうだけど、だからこそそこで通用する人材になる事にやり甲斐も感じれた
広島発の老舗 アンデルセン お世話になりました
この年ぶっちぎりの独走だったのにこの日が来るまで不安だった
カープの都市伝説、現実に
黒田と新井が帰ってきて2シーズン目の2016年9月10日…ついに…
25年ぶりの優勝
夫婦で友人に会う為に神戸へ行く
しかしちょっと歩くと体調が悪いのか歳なのかすぐバテた
後に…なんと妊娠が発覚した
何回か病院に通い、初めてダンナを連れて産婦人科に行ったある日、とてもショックな事を告げられた
モニターの赤ちゃんの心臓が止まっていた
心に強い衝撃が走った
今だから冷静に思い出せるけど、先生がよくある事だと言っても、当時は言葉にする事も出来なかった
一週間後手術になった。
通院の度にもらった何枚かのエコーの写真は未だに1度も見れていない
捨てることもできないままで押入れの中にある
身体が少し癒えてから
慰安旅行として初めて憧れの湯布院へ
少し贅沢な宿で2人でゆっくりした
囲炉裏のある素敵な宿だった
12月の年末までキッチリ仕事して忘年会まで参加
産休へ
考えてみれば就職して、早20年
仕事から離れたことなんか一度も無かったなぁ
そして翌年2018年の年始に42歳で初産
病院の先生からギリギリイケるかもとお墨付の回復力で復活した
慣れない育児との両立が始まる
身体より心の負担が大きくて追い込まれた
何度も泣いた
育児書やガイドラインや、ネットで情報を集めてこの先1年位の概要を知り何となくペースを掴もうとした
初心者だから失敗も多いけど、少しずつ今も奮闘している
そんなこんなでバタバタしちょっと過ぎたんだけど
百日のお祝い、お宮参りとお食い初め
コレは絶対逃してはならぬと明け方から並んで整理券をゲット
大好きなお2人の生トークショー
その後の夜のイベントは行きたいけど乳飲み子抱えておる身の上、我慢我慢
思いもよらない出来事があった
昼間に友人のお見舞いに行く途中からものすごい勢いで雨が降っており、その降雨時間も長く続く
夕方からの仕事中にも携帯の緊急速報の音が何度も鳴る
しかし市街地に居た私にはまだ分かっていなかった
この時、ここより東側の地区が大変な事になっていたのだった
この日、私の住んでいる町が未曾有の災害に見舞われた
夫が電話で、
「こっちはヤバい!帰ってくるな!」
私は職場から帰宅困難になった
ただただ、自宅に残した夫と0歳の娘が心配だった
何時間かかっただろう…
危険かも知れないと思いながら通行可能な道を見つけては迂回を続けた
頼みの綱はTwitterの情報だけだった
現場にいる人たちのツイートが貴重な情報だった
公的な情報はマヒしていて本当に辿り着けるのかも分からぬまま緊張してハンドルを握っていた
トイレに行きたくなってもいけないから水分も控えた
そしてどうにか明け方に帰宅した
そしてあまりの状況に愕然とした
家のすぐ近くまで浸水していた
しかし奇跡的に家は無事だった
10メートル先からはもう無理だった
翌日もその次の日も緊急車両が引っ切り無しにサイレンを鳴らし、家の前の道路は完全に麻痺していた
この日が金曜日だったのでしばらく仕事に行く必要が無く助かった
しかもうなぎの職場は自宅より西にあるので被害が少ない方向だった
自宅より東に職場がある夫は全ての道路がダメになり、JRも土砂に埋まり、しばらく休みにならざるを得ない事になった
私はしばらく職場にはJRで通った
JRも最寄駅より東は土砂で先月まで運行できない状態だった
土砂にまみれた車が次々に運ばれてきて夏の日差しの中で異臭を放った
2018年秋
少しずつ復旧しつつあるこの町で
カープは遂に
明るいニュースだった
やはりカープはこの町の復興の象徴なのだと思った
そしていま、母になり10カ月が経ち
うなぎの娘はつたい歩きを始めた
大学卒業以来、ピクリとも動きがなかった人生の
地図がいっぺんに書き換わる3年だった毎日が大変で毎日が初心者
明日の事なんかわからない
とにかく今だけで精一杯
短距離走のやり方で長距離を走る感覚かも知れない
こんなに不安だらけなのになぜか幸せだと思える
ありがたい
私は今生きているんだなぁ
そんな風に思うようになった


















