これはニュース解説ではありません、、というかそんなことできないんですが、、。
オーストリアに住んでいて感じたことを書こうかな、、と思っています。

10日の夜、今学期最後のピアノレッスンを終えて帰宅してパソコンを開けると、

この日の朝、ウィーンから南に150キロほどのグラーツという町の高校で、
卒業生が銃を持って母校の教室で乱射して死傷者が出た。

という衝撃的なニュースが出ていました。

 

グラーツはシュタイヤーマルク州の州都で、
シュタイヤーマルク州と言えば、オーストリアの中で、私調べですが、、一番人柄がおおらかで優しい人が多い土地。

ウィーン出身=プライド高くて、ナーバスというイメージ比べ、

シュタイヤーマルク州出身と聞くだけで、「この人お人好しなんだろうな、、」って思ってしまう。
(これはあくまで個人的意見ですから、くれぐれも参考までに、、)

 

そんなのどかな町で、アメリカみたいな事件が起こったと、メディアは大騒ぎです。

しかも犯人が、いじめを受けていた、ということになり、、

 

でも、今私が書きたいのは、この事件とその背景ではなくて、、、
人々の反応。
そして自分自身の反応です。

こういう事件が起こると、当たり前ですがショックを受けて、

共感して泣いたり悲しんだりする人。

犯人や学校の体制とか、政府を批判して怒る人。

ショックだけれど、冷静に淡々としている人。

あまり気にしない人。

等々、、、いろいろな反応があると思うのです。

 

もちろん、メディアに登場するのは、悲しむ人と怒る人。

 

なので、国中が悲しみに包まれている、、という気持ちになります。

 

因みに、私の反応は、いつも、ショックはショックだけれど、、クールです。
そして、そういうクールな自分を、「冷たい人間だな」と思う自分もいました。

 

でも、今は知っています。私は実はすごーく怖がりなんです。
だから、怖いと感じるのが怖すぎて、怖いって感じないように心のブロックがかかっているのだなーと感じます。
そう感じる中で、自分との付き合い方も、少しずつですがコツがつかめて上手になってきました。

こういう事件が起こったときの大切な教え。

神戸メンタルサービスの平社長が教えてくれたこと。

「愛の目で見るか。恐れの目で見るか。愛の目でみることを選択しましょう。」

 

平さんは、あのウクライナ侵攻の際でさえ

「愛の目で見ること」を教えてくださいました。

私は、ウクライナ人の友人も多いし、実際キーウにも何度も行ったことがあるので、、

「愛の目で見るって言ってもねーー」と当時思っていました。

でも、この戦乱が長引いて、ずっと彼らと接するなかで、

私が母とやった「ありがとうキャンペーン」を実践してくれる人も出てきました。

空襲警報で眠れないキーウの人に「ありがとうキャンペーン」って言ってもね、、と私自身が懐疑的でしたが、、

それでも、愛や感謝の視点で生きようとする人の勇気に、逆に感服しています。

 

銃乱射事件を「愛の目で見たら」、、って、これもチャレンジですが、、

昨日地下鉄のホームに立ったときに、ほっこりしました。

 



グラーツ!私たちもあなたたちと一緒にいますよ!
との意です。

後何分で地下鉄が来るのかな?と見たら、
その合間合間にこの文字が。

たしかウクライナ侵攻が始まった時も、
同じような内容がしばらくこの「○分で○○行がきます」という電光掲示板に出ていたっけ。

こんな「愛」が見つけられて、感謝!

オーストリア人、優しい。
当たり前のようにこんなオシャレなことができるって、いいなー。

 

地下鉄で行った先は、グラーツの事件があったのと同じ年齢の子供たちが通うギムナジウム。
私は、このマリアテレジア(ハプスブルク帝国の女帝)が創設したギムナジウムで週に1回日本語を教えています。

学校の様子はどうなのだろうか。

子供たちの反応は?

 

もちろん、学校には弔旗が掲げられていたんですが、、

 



子供たちとは、楽しく、今年度最後の授業をしてきました。

そう、今こちらの学校は年度末。

ほぼ全ての試験が終わり、成績会議が終わったら、6月後半の2週間は夏休み前の楽しい期間。
高校卒業試験も今週いっぱいで、卒業パーティーが華々しく行われる季節。

 

こういう時期の、少し浮かれた、楽しい学校の雰囲気を知っているからこそ、

一昨日の事件は衝撃的でしたが、

明るく夏休みの予定を話す子供たちの姿に救われました。

大切なのは「愛の視点」
 

「あんな事件があったのだから、楽しんではいけない」と感じるのは「恐れの視点」

 

今日も「愛の視点」で生きていきたい。

 

平さん、ありがとうございました!